2章 短い旅立ち
1話
「これにて今日の鍛錬を終了としましょう」
リリーの鋭く優しい声が部屋の中で響いた。
それと同時に何かが倒れ込む音がする。先程まで剣を振っていたアンジェとアンナだ。アンジェはまだ腰を下ろすだけで済んでいるが、アンナに至っては着ている服など気にせずに訓練所の床で横たわっている。
「……朝っぱらからアレだと体、持つのかな」
「さぁ、分かりません。ただ、聞いた話では講義などでは積極的に励んでいるようですからね。案外と少しの休憩で回復するのかもしれません」
「とはいえ、今日は行かなきゃいけない場所があるだろ。外へ出るのだから少しだけ優しめにしてあげても良かったんじゃないかな」
エルの言葉を聞いて安心はした。
だが、今日で二人が家に来て一月が経つからと前から約束していたんだ。一応、リリーには手加減してあげて欲しいとは言ったんだけどね。ストイックだからこそ、リリーの手加減は大して今までの鍛錬と関係が無いらしい。
「二人共、お疲れ様」
「い、いえ……申し訳ありません。このような不甲斐ない有様を見せてしまうなんて」
「いや、アレだけ厳しい鍛錬なら私でもアンナみたいに倒れ込んでいたさ。お客様がいるわけではないのだから気にしなくていい」
元から二人には気を使うな、と言っている。
人前ならまだしも、ある程度関係の知れた相手しかいない時まで敬われても面倒にしか感じない。心の距離が空くというか、話しかけたり接したりっていう機会が極端に減ってしまうからな。
「シオン様ぁ……アンナ、疲れた」
アンジェと話していたらアンナが来た。
クイクイと服の裾を引っ張っている。目元を擦りながら話しかけてきたあたり眠いんだろうな。そもそもの話、アンナは七歳になったばかり。小学校に入りたてくらいの子なんだから欲望に忠実でいるのが当然だ。
本来なら終わってすぐに出たかったが……。
まぁ、いいか。今日まで分からないなりに頑張ってきたんだ。少しくらいなら甘やかしても問題は無いだろう。俺は俺で時折、行われるマナー講座や座学でストレスが溜まっているし良い解消の機会だ。
「大丈夫、少しだけ休んでからにするから。その間に飲み物でも飲むかい」
「うん! あの酸っぱくて甘いの飲みたい!」
酸っぱくて甘い……ああ、レモンジュースか。
アンナと接してみて分かったのだが、どうにもアンナは酸味の強い物が好きらしい。大体、飲み物を求めてくる時はレモンジュースだし、前に反応を見たくて食べさせた梅干しを今では好んで毎日のように食べている。まぁ、梅干しは公爵家といえど無いから、その度に買っているけどね。
適当なコップを二つ出して片方に注ぐ。
もう片方は純粋な麦茶だ。こっちはアンジェが好んで飲むからな。運動していない時なら焙じ茶の方が良いと思うけど今は麦茶の方がいいだろう。キチンと水筒からコップに注いでいるから疑われる心配も無いし。
「はい、二人とも飲んで」
「ありがとー」
「ありがとうございます」
おお、すごいな。二人ともいい飲みっぷりだ。
アンナは兎も角として普段からお淑やかという言葉がピッタリなアンジェでさえも、三百は入るであろうコップの飲み物を一気に喉の先へ流し込んでいた。飲んだ後で少しだけ恥ずかしそうにするのもまたいいな。……若干、エルから来る視線が痛く感じるのは気のせいだろう。
「おかわりはいるかな」
「うん!」
「えっと……はい……」
親子とはいえ、対称的な反応だな。
二人のコップに同じ飲み物を入れて手渡す。今度は二人とも一気にでは無く、ゆっくりと飲み始めた。味わいながら飲む姿を見ると幸せそうでコチラまで気分が良くなってくる。
「リリーやエルも飲むかい」
「いえ、私は結構です」
「私も何かを飲みたい気分ではありませんので」
先に返事をしたリリーはいつもの事。
後に返事をしたエルは単にヘルムを外したくないのだろう。部屋の中ならエルの方から欲しいって言ってくるし。アンジェやアンナの前では普通にヘルムを外すから……リリーには顔を見せたくないのかな。
そういえば二人共、あまり仲は良くなかったか。
何かしらの確執があるから飲まないって選択を取っても不思議では無い。まぁ、そっちの方が自分の前では顔を見せるっていう特別感があって悪くは無いかな。
「私のせいで申し訳ありません。いつもより優しくしようと思っていたのですが長引かせてしまいました」
「してしまった事は仕方ないさ。まぁ、早く二人には強くなってもらわないといけないからね。それを踏まえて教えているリリーを否定する事は出来ないよ」
「そう言って頂けると幸いです」
事実、二人とも強くはなってきている。
少し前に二人とも一人で五階層の敵を倒す事が出来るくらいには強いからね。俺は俺で剣術スキルのレベルを三まで上げたが追い抜かれるのは時間の問題かもしれない。今のところは二人を相手取っても負ける事は無いけどな。
「二十分程度、休憩の時間を取る。それまでに息切れとかを治して外へ出られる格好に着替えておいてくれ」
そう言い残しておいて先に部屋に戻る。
今ならマリアも課題の時間だから絡まれる心配も無いし、安全に着替えられるからな。慣れたとはいえ、たくさん動き回ったから結構、汗をかいてしまった。もしも部屋にいたら嗅がれたりとかで面倒な事この上ない。
全身鏡に映る自分の姿を見る。
前に比べれば明らかに痩せたな。若干、腹の肉は残っているけど力を込めればカチカチになるし、顔なんて半分くらい小さくなっている。この姿で現れたら十人中九人は確実にカッコイイって言うだろう。
身長も……少しだけ伸びたのかな。
折角、新しく生まれ変わったんだ。幼い時には感じられなかった小さな幸せを喜びたい。シャツや服などを着替えて上からフードを被る。これだけで十分にカッコよく見えてしまうな。痩せたからこそ、シュッとして見えるというか、前のような着ているだけって感じがしない。
しっかりとファッションとして成り立っている。
だからなんだろうな、イケメンはモテてブサイクがモテないのは。こういう服装一つ一つで実感させられるな。……だが、今の俺は転生と努力によって圧倒的、前者になったんだ。このニヤケ顔でさえも様になるのだから本当に気分がいい。
「準備なさっていたのですか」
「あ、ああ、そうだよ」
「私も着替えを、と思い来ました。シオン様も着替えを終えていたようですし、丁度良かったですね」
別に着替えを何度か見られているからな。
今更、見られたところで特に何も思わない。それどころか、いつもエルは俺がいるのも気にせずに着替えを始めるし……目の保養にはなるけど節度は保って欲しいな。今だって鎧を外して肌着になっているし。
さすがに部屋から出るわけにはいかないか。
扉の先に他の男がいて今のエルを見られるっていうのは何か嫌だ。洗面所の扉を開けて中へ入る。そのまま外の着替える音を聞きながらボーっとエルから声がかかるのを待った。
「着替え終わりました」
「わかった」
三分くらいで着替え終わったのか。
女性と聞くと服装選びとかで時間がかかるイメージがあったからな。なんというか、すごく早く済んでいる気がする。まぁ、さすがにメイクとかはしていないだろうから、ほぼスッピンだろうな。
「どう……でしょうか」
「……なんというか、すごいな」
白いワイシャツに薄青色のジーパン。
それに合うような綺麗系の顔だからか、色々な意味で刺激が強い。もちろん、普段なら分からないエルのボディーラインがハッキリとしている。常人よりも少し大きめな胸だって……。
「せめて、これを着てくれ」
「ふふ、ここまで体が見える服はシオン様にしか見せませんよ。ご命令の通り上着を羽織って仮面も付けさせて頂きます」
「ああ、私の前では時々でいいから見せて欲しい。そう思うくらいには似合っていて綺麗だよ」
気にした様子も無く準備を整えている。
だけど、一月の付き合いである程度は分かるようになった。指を頻りに動かしているという事は喜んでいる証拠だ。二人でいる時とかに日本のお菓子とかを食べさせたら似たような事をしていたからな。
それにあの行動は俺の時にしか見せない。
バレないようにしたいんだろうけど一月のうちの大体を一緒に過ごしていたらさすがに、ね。良いところも悪いところも多く見てきた。……まぁ、それでも尚、エルが可愛くて好きだって気持ちは変わらないんだけど。
「少し早いけど玄関で二人を待っていようか」
「はい」
手を伸ばしたら繋いでくれた。
本当に可愛らしい女性だよ。……離したくはないし離す気もないけど、こんな姿をマリアに見られたらヤバいだろうなぁ。週二で一緒に寝ているのを週五とかにされてしまいそうだ。
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