17話

 とりあえず部屋の前には着いた。

 中に三人がいる事は分かっているが一応、先に三回だけノックをしておく。「入ってもいい」と聞いたら「大丈夫だよ」とマリアから言われたからドアを開ける。


 入ってすぐに見えたのは笑顔の親子だった。

 子供を膝の上に乗せてソファに座る親子、その対面のソファにはマリアが座っている。若干、俺が部屋の中に入ってきたせいか、母親の顔が曇ったが気にしている暇もないだろう。


 適当に椅子を近付けてマリアの隣に座る。

 エルも意図が分かっているから何も言わずとも俺の近づけた椅子に座った。俺のせいで少し雰囲気が重くなってしまったから……いっその事、腕を組んだりして偉そうな態度でも取ってしまおうか。


「お兄ちゃん!」

「へ……?」


 予想していなかった事に素っ頓狂な声が漏れた。

 母親とは違って満面の笑みを浮かべる子供が俺に対して手を伸ばしているんだ。それに『お兄ちゃん』だなんて……嫌な思いはしない。それどころか、すごくいい気持ちだ。さっきまでの自分の考えが恥ずかしくなるくらい……。


「怪我は治ったか」

「うん、お兄ちゃんの友達がね。お母さんの怪我も一緒に治してくれたんだ。後ね、これも好きに食べていいよって」


 そう言いテーブルに並べられた菓子を手に取る。

 クッキーのようなものを手に取って美味しそうに頬張る姿は確かに、いやしん坊だ。でも、助けた後に見ると印象がガラッと変わるな。生きている事を心の底から喜んでいる、楽しんでいるように見える。


「お兄ちゃんにもあげるね!」

「……ああ、ありがとう」

「これ、すごく美味しいんだ! 助けてくれたお礼だよ!」


 助けたお礼が一枚のクッキーかよ。

 そう思ったけど……本気で嬉しいな。そっか、助けなかったら、この笑顔すら見る事が出来なかったんだろうね。やっぱり、自分の手を汚してまで助けた事は……はは、間違いじゃなさそうだ。他の人がどう考えるかは分からないけど少なくとも俺はそう思う。


「さてと、本題に入らせてもらおうか。なに、そこまで畏まる必要は無いよ。見て分かる通り公爵の息子とはいえ、まだ幼いからね。それにあの馬鹿貴族のように誰にでも偉そうに、敬えというつもりは無い」

「わ、わかりました」


 まだ硬い表情のままだが……まぁ、いいさ。

 そのうち、それこそ、慣れが解決してくれる。今は少しでも母親が安心して話せるように朗らかに接するだけだ。この子のように演技ではなく心の底から笑えるように……俺も笑うだけ。


「それにしても災難だったね。まさか、あんな事をする輩が街にいるとは思っていなかったよ」

「それは……いえ、元からあの方の評判は頗る悪かったから知っていました。前も似たような事をしたと噂程度でしたが聞いていましたし」


 ふむ、つまりは初犯ではないということか。

 なるほど、だからこそ、エルは自信を持って俺が助けた事を褒めたのか。この言い方からして同じく災難にあった人は既に……ふん、本当にクソ野郎だったという事だ。


「なら、助けられて本当に良かったよ。本来ならばお忍びで屋敷から抜け出している身だったからね。戦うかすらも悩んでいたんだ」

「本当に助かりました。きっとシオン様以外で助けられる人なんて……あそこにはいませんでしたから。助けてくれなかったら、もう……」


 心の底から安堵するような表情。

 相も変わらず菓子を口に頬張るいやしん坊。目が合ったが首をこてんと倒すだけで見ている理由は分かっていないみたいだ。笑ってまた菓子に集中してしまった。


「そこまで言ってもらえるとポーションを使ってまで助けた甲斐があるよ。実はあれ一つで人によっては一年は働かなくて済むくらいの価値があったんだ」

「そんなに……高いものだったのですか……」

「うん、本音を言えば使うのも躊躇したよ。だけど、今は少しも後悔はしていない。私からすれば金貨程度なら簡単に稼げるしね」


 ものすごく驚いた顔をされた。

 まぁ、確かにそうなるよな。金貨程度とはいえ、日本円で換算したら一枚で一千万とかの価値がある。日本にいた時にそんな事を言う人がいたら俺も同じような顔をしていたと思う。


「まぁ、だからといって痛手ではあるからね。ある程度は金として返してもらうつもりだ」

「そんな……私に出来ることなんて……」

「そうかもね、だから、今ここで話し合おうよ。働くための力が無いというのなら力をつけるために、働ける環境がないというのなら少しは楽になるように手助けをさせてもらうつもりだ」


 おっと、さっきのような驚いた顔をされた。

 ってか、マリアも同じようにビックリしているし。そんなに変な事を言ってしまったか。俺からしたら割と普通の事を言っているつもりなんだけどな。まぁ、俺もこの世界の貴族の常識については知らないし仕方ないか。


「……噂とは大違いですね。シオン様は女の敵だと噂ではお聞きしていたのですが……その発言も何か裏があるのじゃないかと勘繰ってしまいます」

「うーん、そこに関しては何とも言えないかな。私にも色々と事情があるからね。それに助けてしまった手前、その子に関しては軽く思い入れができてしまった」

「アンジェ、悪いけど今のシオンは本気でそう思っているわ。とある事件が起こってからシオンの行動や思想がガラッと変わってしまったから、変に勘ぐるだけ無駄よ」


 助け舟……と、考えていいんだよな。

 それとアンジェか……恐らく母親の名前なんだろうな。そういえば名前すらも聞いていなかったっけか。ここまで来ているというのに父親の姿すら見ていないし。……何か訳ありって感じではありそうだ。


「話を折るようですまないが二人の名前を聞いてもいいかな。助けるにしても二人の身の上話を知らない以上は何も出来ないからね」

「それもそうですね……今更ではありますが私はアンジェリカ、この子はアンナと言います」

「アンナです!」


 そう言ってアンナは頭を下げた。

 アンジェリカだからアンジェか。確かに略した方が呼びやすいだろうな。後でアンジェと呼んでいいか聞いておこう。アンナの方は……まぁ、そのままアンナと呼べばいいか。


「ちなみに聞くが父親はいるのかい」

「……この子の父親ならもう、いません」


 ふむ、となると、少し話がややこしいな。

 金も無ければ頼れる男手も無い。見た感じ二人とも戦えるようには見えないからな。この世界で簡単に多く金を稼ぐのならば魔物と戦うのが早いだろうから、そういうところを加味すると初歩的な部分から固めないといけなさそうだ。


「すまない、辛い事を聞いてしまった」

「いえ……身の上話を話す手前、家族の話もしなければいけませんでしたから」

「ああ、辛い事を聞いた分だけできる限りの事はさせてもらう。そうだな……」


 選択肢からして二つくらいか。

 一つ目はルール家の人達に頼んで屋敷で働けるようにする。それこそ、俺の周りにいる人達は味方の振りをした敵の可能性だってあるからな。恩を売り付けて確実に裏切らない召使いを手に入れるのも悪くは無い。


 二つ目は俺と一緒に戦闘訓練を積むこと。

 ただ、こっちは手間も時間もかなりかかる。色々な事を考えれば間違いなく排除した方がいい。手段は幾らでもあるが……他はパッとしないものが多いからな。まぁ、やるのなら前者でいい。


「アンジェリカに聞くが私に仕える事は可能か」

「仕える……とは」

「言葉通りだ。私の身の回りの世話をする仕事をしてもらいたい。もちろん、公爵家の召使いの一人として扱われるからアンナと共に学んでもらう事は多いだろうな」


 まぁ、マリアはあまり良い顔は出来ないよな。

 それこそ、女性としては綺麗なアンジェリカを近くに置いておきたくないだろうし、貴族としては教育も得ていない人を易々と屋敷に招き入れられないだろう。何かを言いたげにして止めているのは俺への配慮からかな。


「悪い話では無いだろう」

「はい、すごく魅力的な話ではあります」

「だが、やるからには覚悟は持ってもらうぞ。人によっては差別的な目を向けてくる人だっているだろう。ましてや、一つの行動の失敗が私の顔を潰す事に繋がる。その重圧に耐えられるのであれば手を取りなさい」


 まぁ、俺なら直ぐに返答はできないからな。

 悩む時間くらいは与えておこう。この時間を使って他の人達と話す時の言い訳とかも考えるか。特に勝手に家から出て外で遊んでいた事とかは理由が無いとヤバイよな。今は親子の前だから何も言わないがマリアあたりから詰められそうだ。という事で……。


「やります、いえ、やってみせます」

「……随分と早く決めたね。もう少し悩んでもいいんだよ。時間ならまだある」

「いいえ、最初から決めていたんです。このままだとアンナは幸せにならないって、前からわかっていましたから。だから、仕事だって沢山、こなしました。でも、それで稼げる金銭では毎日の食事すらままなりません」


 ふむ、アンナのために頑張るって事か。

 その思いに関しては否定はしない。自信を持ってとは言えないけど、俺が見たアンナへの涙は本物だと思えたからな。そこに対してなら信頼してもいいだろう。となると……。


「これから礼儀と一緒に簡単な戦闘はこなせる強さを得てもらうつもりだ。その時にはアンナにも頑張ってもらうからな」

「はい! お願いします!」

「……私から何か言ったところで考えは変えないだろうから何も言わないわ」


 呆れたようにマリアはそう言った。

 明らかに機嫌が少し悪い。……こういう事をシオンがしていたかは分からないけど味方にはしておきたいからな。「ありがとう」って言いながら軽く頭を撫でてあげた。笑顔になったところを見るに少しだけ回復したかな。


「おし、決まったな。という事で、私は一旦、部屋から出させてもらうよ。今回の件についてお父様と話をしなければいけないからね」


 その間に言い訳とかを考えておかないとな。

 まぁ、二人を養うって分だけならシオンの立場でも何とかはなるだろう。ってか、最悪は投資として貰った金で生計を立てていけばいいだけの話だし。


「その間に二人の情報を纏めておいて欲しい。纏める仕事は……マリア姉、頼めるかな」

「はぁ……やって欲しいならやるわ。その代わり今夜は一緒に寝てね」

「それで許してくれるのなら今日と明日、一緒に寝よう」


 おっと、マリアに驚かれてしまった。

 だが、今回ばかりは否定しないぞ。少しだけ欲望に忠実に動く事に決めたんだ。というか、マリアと一緒に寝るのは自分へのご褒美みたいなもの。それに一人で寝ても悪夢に魘されて終わりだろうからな。支えになるものがあるのなら使いたい。


「じゃあ、よろしくね」

「任せなさい!」


 ドンと胸を叩いたマリアを置いて部屋を出る。

 一応、エルにも来るように指示を出したから着いてきてくれるはずだ。シンとの話が終わればマリアと一緒に寝れる。……おし、俺は俺で頑張らないといけないな。

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