16話

「ッ!」


 ハァハァ……すごく気分が悪い。

 酷い汗の量だ。横になっていたベッドがビショビショになってしまうくらい多い。……きっと、それだけ嫌な夢を見ていたのだろう。なのに、夢だったせいで何も記憶に残っていない。


「お目覚めですか」

「えっと……君は……」


 気が付かなかったがソファに人がいた。

 短い銀髪の美しい女性だ。少し鋭い目がクールビューティって感じですごくいい。……っと、少し見とれすぎてしまった。声は聞き慣れているから知らないわけが無いんだよな。


「……もしかして、エルかい」

「ふふ、そういえば素顔を見せるのは初めてでしたね。正解です」

「そっか……綺麗で見つめてしまったよ」


 うーん、本当に笑顔も何もかもが綺麗だな。

 それこそ、顔だけで言えばリリーとかも負けない程に綺麗だったが心からの笑みというか、そういう観点から言えばエルの方が間違いなく美しいと思う。


「顔を隠さないでください」

「っ……恥ずかしいからあまり見ないでくれ」


 いきなり隣に座って顔を近づけてきた。

 おかしいな……ある程度は俺も免疫があると思ったんだけどな。それだけ一人でいる時間が増え過ぎたのか。思い出せば素振りの時もエルの匂いにドギマギしていっけか。……って、思い出したせいでエルの匂いを意識してしまう。


「もう! これ以上、虐めないでくれ!」

「ふふ、仕方ありませんね。でも、シオン様が望むのならまた膝に頭を乗せてもいいのですよ」

「くっ……そ、それは気が向いたらしてもらう」


 こんなに綺麗な人の膝枕とか……。

 拒否してやりたいと思ったけど俺の煩悩が無理やり肯定の言葉を口から出させてしまった。本音を言えば今すぐにでも、あの柔らかそうなスパッツを履いたエルの膝に頭を乗せたいさ。だが、一人の成人した男としての矜持がそれを許してはくれない。


「って、そうじゃない。エル、他の人達はどうなったんだ」


 危ない、もう少しで流されてしまう所だった。

 でも、特に不安がった顔をしていないから親子に問題は無いのだろう。少なくとも子供に対して使ったポーションは百万以上もかかった代物だ。使ったのに死んだとあれば返金してもらいたいからな。


「大丈夫です。今は二人とも治療を終え、別室にて休憩していただいております。この後の話はシオン様抜きで決めるわけにはいきませんでしたから」

「そう……それは済まなかったな」

「いえ、数日前に剣を振り始めたばかりというのに子爵の付き添い人を三人、倒し切ったのです。心身に対しての疲労はとても大きいはずです」


 三人を……ああ、そういえばそうだったな。

 そのうち、だとは分かっていた。だが、こんなにも早く俺は人を殺したんだ。それも一人ではなく立て続けに三人も。……あー、思い出したら余計に気分が悪くなってきたな。自分が死ぬかもしれないとはいえ、俺はこの手で人を殺したんだ。


「え……」

「ご褒美ですよ。こう見えても私、顔や体を触らせるのも、ましてや、見せることすら許容できなかったのですから。でも、こうでもしないとシオン様の気分は悪くなるばかりですよね」


 いきなり抱きしめられてしまった。

 ものすごく柔らかい感触、冷めきってしまった俺を心の底から暖めてくれるくらい心地よい。胸元に頭を押し付けられてしまって……こうやって頭を撫でてくれるなんてさ。いつ以来だったかな、幼い時に母親にされてからこんな事されなかったっけか。


 そう……すごく暖かい……。


「エル……俺……」

「辛かったんですよね。きっと敵とはいえ、人を殺してしまった事を悔やんでいる」


 ああ、やっぱり、バレバレだったのか。

 返答をしたかったけど口が上手く動かせない。だから、首を縦に振って合っている事だけは伝えておく。本当は殺したくなかった、いや、殺したくなかったというよりも殺すだけの覚悟が足りなかったんだ。


 俺は誰であろうと殺す事を否定しない。

 日本にいた時もずっとそうだった。理由の無い殺しはクソ喰らえだったが、何かを守りたいのなら殺しも一つの手段になる。何度も殺しを躊躇う主人公を馬鹿にしてきたのに……いざとなると俺も震えるだけで上手くはいかなかった。


「間違って……いたのかな」

「間違ってはいませんよ。少なくともあの子爵の御子息は元から身勝手が過ぎました。恐らくあの親子を助けられるのはシオン様だけでしたし、仮にシオン様が何もしなければ遅かれ早かれ、二人は亡くなっていたでしょうから」


 初めて見た俺ですらもそう感じたんだ。

 ああ、助けなきゃいけないって。助けたいって気持ちは無くとも何かをしなければ理不尽に殺されるだけだった。だから、力を持っているから助けたんだよな。……分かってはいるんだよ。でも、未だに震えが止まらないんだ。


「きっと、もうそろそろでマリア様が来ます。その時にシオン様の助けた親子も呼びましょう」

「こんな顔……誰にも見せられないよ」

「ふふ、とても可愛らしいですよ。初めて見た時は大人びていると感じましたが……今のシオン様は年頃の可愛らしい少年です」


 確かに……シオンの元はいいからな。

 でも……はは、素直に喜べない。年頃だ、なんて俺の年齢はもう成人を超えた男だというのに。体だけが成長して精神は何も変わらなかったのか。こうやって甘えたいだけのガキのまま……生きてきたんだろうな。


 なら……いっその事……。


「今だけは……甘えてもいいか」

「マリア様が来た時に説得していただけるのであれば拒否はしません」

「はは、すごく難題だね。……頑張るよ」


 エルの膝に頭を乗せて顔を見つめる。

 今だけはシオンとして休もう。元は代の大人だろうと今は幼い少年だ。少しくらいならいいだろ。それに日本にいたとしても人を殺すなんてどれだけの人が経験する事なのか。文句を言う人は同じ事をして何も感じなくなってから言って欲しい。


「実はずっとシオン様の後ろを着いていたんです。本屋によった時も、出店で買い物をしているのも、子供達に怪訝そうな顔をしていたのも全部、知っています」


 少し申し訳なさそうにエルは呟いた。

 そうか、助けに来るのが早いとは思ったが俺の後ろにいたんだな。それもそうだよな、エルの強さからしてコートの持つ気配遮断程度なら看破できても不思議じゃない。怪訝そうな顔……そこも全部、見られていたんだな。


「本当は助けなきゃって思っていました。でも、シオン様を守らなければいけない兵士としての仕事と人としての気持ちで葛藤していたんです」


 額あたりを撫でながらエルは苦笑いする。

 申し訳ないけど意外だった。俺よりも確実に辛い経験をしているであろうエルでさえ、そうやって悩んでいる事で心底、ビックリしてしまう。いや、色々な経験をしているからこそ、仕事と人としての矜恃で悩むのか。


「そうやって悩んでいる時にシオン様は親子を助ける選択を取りました。……素直に嬉しかったんです。元からシオン様の噂を聞く限り、あの子爵の御子息と大差ないと考えていましたから」


 それは……否定出来ない最悪の過去だ。

 俺ではなく、シオンが犯した最悪な罪。オブラートに包まれる程度でだけどマリアから聞いた。少なくとも褒められた人間ではなかった事だけは知っている。俺とは相容れない最悪なクソガキだ。


「弱い人の事を考えられるんだって……初めて仕事としてでは無く人として興味を持ちました。口先だけではなく行動で、自分よりも上の相手に立ち向かえる人は滅多にいません」


 それはきっと俺がシオンでは無いから。

 自分よりも強かろうと立場として相手よりも上だと分かっているから立ち向かえただけ。……そうじゃないよな。何だかんだ言って俺は相手が誰であろうと立ち向かっていた。どれだけ強かろうと日本にいた時以上の絶望は無かったから。


「だから、悩んでください。そのような純粋な心は消さないでください。私のように人を殺す事に罪悪感を覚えなくなってしまってはいけません。綺麗な手を保ってください」


 純粋、日本人としての常識が残っているだけ。

 悩んでいるのも時間の問題、きっと最悪な思い出を薄れさせてくれたように時間が解決してくれるはずだ。エルの言葉も分かるから否定はしないが……一つだけ認めたくない事がある。


「エルの手も……綺麗だよ。こうやって辛かった俺の心を楽にしてくれたのは……間違いなく助けに来てくれたエルだった。硬い篭手の上からでも分かるエルの優しさが間違いなくあるんだ」

「それは……ふふ、そうですね。褒めていただけているのです。何も否定せずに受け止めましょう。だからこそ、シオン様も受け止めてください」


 本気でそう思っている。

 こうやって優しく撫でてくれるエルの手が俺は大好きだ。ずっとこうしていて欲しいって思えるくらい綺麗で美しい手だと思う。何かを口にしようとして止めるエルに笑いかけて手を軽く握る。それで意を決したようにエルは言葉を続けた。


「一人で苦しまないでください。私の手を優しいと思うのであれば、助けて欲しいと思うのであれば口にしてください。シオン様が相手ならば幾らでも苦しみを共に背負います」


 そう言って強く握り返してくれた。

 本気で嬉しいんだ。だって、今のエルが見ているシオンは元のシオン・ルールではなく、薄汚いクソフリーターの俺。その俺だからこそ、エルは良いと言ってくれている。認められて、求められている事が分かって……。


「エル、決めたよ」

「どうかしましたか」


 笑いかけてくれるエルにドキッとしてしまう。

 でも、今度こそ、覚悟は決めた。いや、元々、決めていた事を本気で取り組む決意をしたと言った方が正しいか。


「絶対に強くなる。殺しに慣れるとかは未だに出来るか分からないけど、強くなって殺し以外の選択肢を取れるような存在になりたい。そうすればエルに甘える回数も減らせるだろうからね」

「良い事だと思います。……でも、甘える回数は減らさなくとも大丈夫ですよ」


 それなら時々、甘えさせてもらおう。

 強くなって、あわよくば痩せて……エルにカッコよくて頼れる男の人って言ってもらうんだ。幼い子供が大人の女性に憧れるように、純粋な恋心だけが心の奥底にいるのが分かる。


「エル、マリアはまだ親子のところにいるみたいだから一緒に行こう。もう迷いは晴れた」

「はい、行きましょうか」


 エルの手を取って立ち上がる。

 そのままエルが鎧を着込むのを待ってから一緒に部屋から出た。

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