5話
「どうして私を選んだのですか」
訓練所に連れて行かれてすぐ。
心底、不思議そうにエルが聞いてきた。何かしら特別な理由をつければ納得してもらいやすいんだろうけど、生憎と良い言い訳が思い浮かばない。広い訓練所の角を眺めても思い付かなかったし時間の無駄にしかならなさそう。
「話した事のある騎士がエルしかいなかったからだよ」
仕方ないから隠さずに伝えた。
顔が見えないせいでどんな感情を抱いているのかは分からない。だけど、嫌がっているようには見えなさそうだ。「それなら納得しました」とか言っているから指南はしてもらえるだろう。
「でも、剣術自体は教えた事はありませんよ。独学で覚えた事を伝えるだけですが本当にそれでいいのですよね」
「うーん、試してみて駄目だったら変えればいいだけだろ。例え変えたとしてもエルには騎士との橋渡しになってもらうつもりだからさ。そこまで気にしなくてもいいよ」
「……分かりました。それなら最初は剣の振り方からです」
シンとの会話で剣を覚えたい話はした。
それに仮に指南役を変更したとしても処遇は変わらないと伝えたから、エル側でも不利益を被る事は無いだろう。シンからも「他の騎士を指南役にしてもいい」って言われたけど別に簡単な事さえ教えてもらえれば今はいいからな。
「そこにある銅の剣を取ってください。剣の重さや力加減を覚えてから打ち合いに入ります」
「了解」
立てかけられた剣を一つだけ抜く。
持ってみて実感するが重いな。当たり前と言えば当たり前だけど、それだけ質がいいって事でもある。例えば中に入っている金属の量が少なければもっと軽いだろうし。……まぁ、銅の代わりに鉄が多く入っていたりとかだったら別かな。
でも、重ければ重いほど練習にはいいね。
刃は……丸くなっているから体に当たっても痛いだけだろう。ただ、わざわざ自分で自分の体を痛め付けるつもりも無い。振り上げてみてからゆっくり下ろしてみる。最初だから力を込めて出来る限り落ちる速度は遅くしてみた。
「お見事です」
「……想像以上に止められないんだね」
本気で振り下ろしていたとしたら……。
そう考えるとものすごく怖い。力を抑えてもなお剣の先が股付近まで来ていた。仮に体に当たらずとも地面にぶつけていただけで数分間は剣を握れなくなっていた可能性すらある。こういう時は最悪な事態を想定して動いた方がいいんだろうな。となると……。
「なるほど、少しだけ分かってきた」
止めるのは俺の想像より早くていい。
その時は質量とかもあるから本気で力を込めないといけなさそうだ。この二点さえ分かっていれば素振りは特に難しくは無い。ただ冷静に振って上手くいっただけだし、何より重いものを振り続けるのだって今の俺にはキツい部分がある。
「振れて五十が限界かな」
「使った事も無いのに五十回も振れれば十分ですよ。何より姿勢がとても綺麗ですから重みに慣れれば剣を使う事自体は出来ると思います」
「お褒めありがとう。ちなみにエルから見てどれくらいの点数を付けられる」
エルがどれほど強いのかは分からない。
でも、騎士という立場上、戦った事の無い人はいないだろう。それに公爵家のマリアというお嬢様に付いていた騎士でもある。そこら辺にいる有象無象よりは人を見る目だってあるはずだ。
「雑さは見えますが十点中六点は出せます」
「……買い被り過ぎていると思うくらい高い点数だな」
「ふふ、騎士になりたての素人の目線ですので。そのせいでシオン様の求めていた結果にはならなかったのかもしれませんね」
嫌味だと思われてしまったのだろうか。
個人的には六点ってかなり高い気がするんだけどな。それこそ、生まれてからずっと剣を振っていたなら嫌な気持ちにはなっていたかもしれない。でも、俺は転生したてで剣を振った事すら一度も無かったような男だ。
「一週間以内にはエルから八点を出せるように頑張らせてもらうよ」
「……一週間もかからないと思いますよ。私に任せていただいた以上、才能のあるシオン様の時間を無駄に使わせる気はありません」
「その言葉、信じさせてもらうよ」
ここまで強く出たんだ。
何かしらの手段はあるだろう。まぁ、仮に口だけだったとしても別に構わない。最悪は他の人に頼めばいいだけだし、何よりレベルも上げていない状態だからな。最底辺から始めているわけだから打開策は幾らでもある。
とりあえず、今は無心に剣を振るだけだ。
出来る限り一定のリズムでさっきの通り剣を振り続けて、エルから指示を出されたらその通りに動いてみるだけ。止める位置を変えるとか、どこを切るつもりで振るかとか、色々な指示を聞いてフォームが崩れないように振り続ける。
目の前に敵がいたらどうなっているんだろう。
切りにかかったとして綺麗に傷跡を作り出すことが出来るのだろうか。……こういうのを雑念って言うんだろうなぁ。剣を握る以上、そういう事に頭を持っていかれないようにしないと。
それと今更だけど……うん、結構くるな。
甲冑を着たままのせいか、はたまた二人っきりのせいかは分からない。だけど、微かに女の人の香りがするんだよなぁ。いや、女の人って言うと変態チックだけど何か良い匂いがするというか、明らか俺の体からは出ていないであろう匂いが鼻を通ってくる。
無心になろうと目を閉じたら余計に気になるし。
やった事が無いからこそ、色々と問題とかがあるなぁ。まぁ、まだ良かったのはエルの顔を見ていなかった事と、甲冑のせいで触れられても金属製の篭手の感触がするだけってところか。エルがもし美人だったら無心なんて確実に無理だし、女の子の柔らかな手をもしも味わったら……。
駄目だ駄目だ……変な気持ちになってしまう。
そういえば四年間くらい女の子との関わりって無かったっけ。それが今更になってマリアとか美人な人と関わる事になってしまっている。これで指導を頼んだエルがもしもマリアと同レベル以上の美しさなら……俺は耐えられるのか。
「もう少し優しく振りましょう」
「あ、ああ……」
「大丈夫です。シオン様は才能がありますから」
青色の瞳が上目遣いのように微かに見える。
一瞬だけ引き込まれてしまいそうになって……咄嗟に剣を振る力を強めた。思い切って振ったせいで多少は手足が痺れたが止める事は何とか出来ている。エルも驚いたような目でこちらを見てきたけどすぐに言われた通りに優しく振ったら何も言わずに横で見てくれた。
二十、三十……頭の中で数えるだけ。
それ以外はまた変な事を考える種になってしまうから片隅にも入れない。目も開けたままで剣の先を見つめたまま、呼吸も口でして出来る限り感覚は手に集中させる。……剣を振る時に軽く痛みを感じられるのが少し心地良い。思考を無理やり剣に向けられる。
「五十……振ったよ」
「お疲れ様です。腕の方は大丈夫ですか」
「痛いけど振ろうと思ったらまだいけるかな」
とはいえ、本音は振りたくはない。
痛みだけなら無理を押してでも我慢するけど女の人の近くだと気が散るから嫌だ。振るにしても一人になってからかな。まぁ、一人になれるか分からないけどさ。ただ何を言われても一人になる時間は作る。シンから金さえ貰えれば固有スキルも活用出来るし。
「……一日目としてはこれくらいで十分です。自分で思う以上に体は悲鳴をあげているものですからね。何も分からずに無理をして剣を振れなくなってしまっては元も子もありません」
「そう言うのなら今日はこれくらいでやめておくよ。別にすぐに強くならないといけないわけではないからね」
「ええ……とりあえずは剣術スキルを獲得するまでは無理をしないという事にしましょう。目標さえあれば不要な事を考えずに済みますから」
剣術……簡単に言ってくれるなぁ。
俺のステータスからしてスキルって簡単に手に入るものでは無いだろうに。それとも何だ、お前なら手に入れられるから頑張れって事か。無理を言ってくれるもんだなぁ。仮に手に入らなければ固有スキルで何とかするからいいとしても無理に決まっているだろうに。
「ちなみにエルはどれくらいで剣術を手に入れたんだ」
「一日五十回の素振りを二日やったら手に入っていました」
「あっ、そう」
なるほど、エルは天才か何かなのか。
となると、エルに指南を任せたのはミスだったかな。他の騎士に任せた方が俺の成長速度に合っていて良かったのかもしれない。……まぁ、初日でとやかく言うのは意味が無いか。エルの見立てが当たるかどうかは俺の頑張りと才能があるかどうか次第だ。
「きっとシオン様ならすぐに獲得できますよ。エルという一介の騎士の発言でしかありませんが私はそう信じています」
「……冗談抜きで言っているのか」
「見栄や冗談で才能が買えるのであれば幾らでも言いますよ。こうやって世話役を任せて貰ったのも金や名誉のためではありませんし」
見栄や冗談で才能は買えない。
確かにそうだけど……何故にエルは俺をそこまで買えるんだ。数回、会話を交わしただけの関係だろうに。ましてや、俺の世話役になったのも金や名誉のためじゃないなんて……って、世話役って言ったか。指南役ではなく世話役……。
「全てとは言いませんが出来る限りの手は尽くさせてもらいます。騎士、エルの名にかけて」
そう言ってエルは片膝をついた。
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