第十九話 さよなら
【7月22日(水):オリミーティリ】
山の天気は移ろいやすいというけれど、今は雲一つない青空が広がっていて急に雨が降り出すようなことはないだろう。空気は澄んでいて、遠くの山並みも良く見える。その中にひときわ高い、槍のようにとんがった山頂が見える。あそこがもっとも天界に近い場所、魂の行き着く場所なんだろうか。
見知らぬ山の中でダリンと二人、置き去りにされてしまって、さらにダリンは縛られたままだけど、不思議と恐怖感は無かった。きっと、希子が「待ってて」と言ったからだ。希子は約束を破らない子だった。
「クソッ 身動きが取れない」
「ごめん、私にもほどけないや。燃やすわけにもいかないし」
「いや、君のせいじゃないから、いいんだ」
ダリンは足首から腰あたりまでを完全に拘束されたまま、もぞもぞと動いて脱出しようと試みているけど、抜けられそうな兆しはない。
「それにしても、あいつだけは許せない。幸い、あいつの魔法は俺に効きにくいみたいだ。だから、こうやって物理的に拘束するしかなかった」
「そうみたいだね。希子はダリンの体質が気になるみたいだから、悪いようにはしないんじゃないかな」
「それは… あまりにも屈辱過ぎるな。あの悪魔に魂を売るくらいなら、死んだほうがましだ」
「希子はそんな人じゃない」
「状況的に、奴がサールロイを壊滅させたことは明らかだ! 刺し違えても俺が…」
「違う! ギルド側の誤解だよ! 多分、ドラゴンの噂… そうだ。サールロイが襲われたということを耳にしてからやってきて、その日のうちに手なずけて私たちの前に現れたんだよ。だって、私たちもそうだったじゃない」
「だが…! あんなドラゴンを、サールロイの人が束になっても敵わなかったドラゴンを、そんな一晩で支配することなんて到底無理だ! サンナやトシュデンだってそれが無理ってわかっているから、彼女に対してあれだけ怒っていたんじゃないか!」
「よく思い出してよ。希子が見せた幾つかの魔法。街一つ包むほどの大きな魔法障壁に、魔道具でさえめったに見ることのないテレポート。どれも私たちの常識で計れるものではなかったでしょう。それに、壊滅させた街を魔法障壁で守るなんて、意味が分からない」
「たしかに… 敵が目の前に現れて盲目的になっていたけど、言われてみれば、そうかもしれない。でも、街の人たちはドラゴンを操っている彼女を見ている。きっと許さないだろう」
「でも、私は希子を信じているから。お願い。ダリンだけでも、あの子を信じてあげて」
「…わかった。だけど、俺が信じているのは君であって、そいつじゃない。君がそいつを信じると言ったから、俺もそうするんだ」
「うん。今はそれでもいいよ」
「なあ、君はその… キコとどういう関係なんだ? 誰がどう見ても怪しいと思うんだが」
ダリンが不思議そうに質問する。でも私にとってはそれは当たり前のことで、答えは決まっていた。
「同じ街出身の、友達だから」
「私と有朱が友達だったって?」
後ろから鼻で笑うような音がしたので振り返ると、やっぱり希子が帰ってきた。火山に捨ててきたのか、ドラゴンはどこにも見当たらない。
「そうだよ」
私は希子の目を見て、はっきりと答える。
「だったらなんで… いや、どうでもいいや」
希子は何かを言いかけてやめた。
「これからこの山の向こう側にある噴火口に行くよ」
「うん。分かった」
「そこの男と違って、有朱は物分かりがいいね。じゃあ、行こうか」
そう言って希子は手を差し出す。私はその手を断って、
「ここから噴火口あまり遠くないんだよね。せっかくだから歩いて行こうよ」
「そうだね。もう金輪際会う事もないだろうし、最後くらいは」
めんどうくさいだろうが、希子にも思う事があるのかもしれない。私の提案に乗ってくれる。私はダリンの方に向き直る。希子との話がどのように転んでも、もうダリンと冒険を続けることはできないような気がしていた。
「じゃあ、行ってくるね。私はもう戻ってこないかもしれないけど、元気でね」
「アリス! 行っちゃだめだ!」
縛られたままのダリンが叫ぶ。その声を背中に受けて、私たちは斜面を登り始める。
「中学時代にも、こうやって試合の帰りに並んで帰ることも多かったよね」
急な斜面を慎重に登りながら、私は希子に話しかける。
「そうだっけ? もうあまり覚えてないや」
「途中でミスドに寄ったりして」
「あぁ。なんか思い出してきた気がする。でも、こんな急斜面ではなかったけど」
「はは。希子はオールドファッションが好きだったっけ」
「そうだったね。ドーナツくらいなら魔法で出せるよ。ほら」
そう言ってどこからともなく取り出したドーナツを投げてよこす。受け取ったそれは、私が当時よく食べていたエンゼルフレンチだった。ありがとうとお礼を言って口に入れる。すごい甘いそのドーナツは、まさしくミスドの味だった。
「昨日から驚かされっぱなしだけど、すごい魔法を使えるんだね。私なんて細い水流を出すくらいが精一杯で」
「まあ、こっちに来てからかなり頑張ったからね。でも魔王には全然敵わない」
「魔王? 初めて聞いたよ」
「ほら、人間って、基本的には魔獣にならないでしょ? それは人間の脳が大きくて、魔獣になるくらいのエーテルを浴びると大抵死ぬからなんだけど。ずっと昔に、ここからもっと北の未開の山に捨てられて魔獣に育てられた赤ん坊がいたらしくて、唯一の人間かつ魔獣、それが魔王と呼ばれていてね。人間を恨んでいるんだ」
「うわぁ、厄介だね。希子が勝てないなんて、想像もできないや」
「私も… 有朱が勝てないなんて想像もできなかったんだけどね」
バドミントン部でのことだろう。私は全国大会で負けてすぐに諦めてしまったけど、希子はそうでなかったみたいで、安心する。そういうところは、変わってないみたいだ。
少し沈黙が続いて、黙々と登る。せっかくの機会なのに、話題が思いつかない。
あぁ、そうだ。聞かなければいけないことがあった。
「あのさ… サールロイを襲ったドラゴン、希子が指示したわけじゃないよね?」
「そういうことになってるらしいね。違うよ。誰も信じないだろうけど」
「…そうだよね。安心した」
「有朱が安心したってどうにもならないんだけど… まあ、ギルドの連中が百人束になったって私には敵わないから、気にしてないけどね」
「希子じゃなということは、ドラゴンが暴れたその晩に服従させたってことだよね」
「そうだね。百年に一度しか起きない伝説のドラゴンだって聞いてたから、どれだけ強いのかとわくわくしてたんだけど、拍子抜けだったよ。有朱にも倒せるくらいだったしね」
「私も結構強くなったでしょ」
「まだまだだね。とりあえず、無詠唱で魔法を発動できるくらいにならないと」
「そうかぁ」
スイカともっと以心伝心になれたら、そんなことができるのかな。
「ところでダリン… あの希子に掴まった男の子なんだけど、エーテルが溜まらないってそんなに珍しい?」
「そうそう! ほら、さっき魔王の話したじゃん。それで魔王の拠点はエーテルの嵐がすごくてさ。それでその対策に色々研究してて。まあ、結局上手くいってないんだけど、もしかしたらそいつが鍵になるかもしれない」
「へぇ。ダリンって、そんなすごい人だったんだ。魔法が使えなくて廃嫡されたらしいけど」
「それは… 周りの人の見る目がないだけだね」
ダリンがそう褒められて嬉しくなる。私は希子の話がもっと聞きたくなって、質問する。
「色々研究してって言ってたけど、例えば?」
「えぇと、結局j魔王には強い魔獣をぶつけるしかないかなって思って、魔法を使う魔獣とか、魔獣を臣従させる魔法を作ったりしたかな。ドラゴンを従えたのもその魔法で」
「魔法を使う魔獣? それ、一昨日倒した気がする」
「え! ヘラジカの魔獣だった!?」
「そうそう。角が光ってるヘラジカだった」
「二ヶ月くらい前に逃げ出したと思ったら、そんなところにいたんだ。それで、その遺骸は?」
「えぇと、サールロイでの依頼で倒した魔獣だったから、納品したよ」
「それ、依頼した人はマシューって医者?」
どうして希子がそれを知っているのかと一瞬疑問に思ったけど、私が知っていることを希子が知らないとは考えにくい。きっと私と同じようにオリモ妖精店を訪れて、あの病弱な息子を助けようとしたのだろう。
「そうだったよ。よくわかるね」
「いや、それなら… 良かった」
希子は安心したように呟いた。
そうして私たちは噴火口に着いた。茶色の山肌に直径十メートルくらいの大きな穴が空いていて、マグマが強烈な熱と光を放っている。まさしく地獄に繋がってそうな見た目をしている。落っこちたらものすごい熱そうだ。
「それで… どうしてここまで来たの?」
「私、昨日言ったよね。有朱のことが嫌いだって。その感情は、今でも変わってないから。だから、今から有朱をここに突き落とすの」
そう言って希子は手で空をつかむ動作をする。目には見えないけど、大きな手のようなもので体全体を掴まれたような感触があって、私の体は宙に浮かび、噴火口の淵まで持ってこられる。足の下からマグマの熱気が伝わってくる。もう後は落ちるしかない状況だけど、意外と恐怖心はない。
希子がオリミーティリにいると知った時から、こうなる予感はあった。もしかしたら一緒に冒険しようという展開になるかと少し期待していたけど、山登り中にちょろっと喋ったくらいじゃあ、自殺した希子の悲しみとは到底釣り合わないだろう。希子は自分の意見を曲げない人だけど、一応情に訴えてみる。
「そう… でも私は、希子とオリミーティリでもっと一緒にいたかったよ」
「だったら… なんで私が生きている間にそうしなかったの!?」
「…ごめん」
「だからさ、私と有朱が仲良く旅をしている未来なんてありえないんだって。有朱は私とは違うから。どっちかが消えなければならないのなら、私は有朱に消えてもらう。それだけだよ」
私は葉月のように自分に自信が持てなくて、そんなことはない、とは言えなかった。それでも、希子には幸せになってほしいと思った。私じゃなくても、誰かが隣にいて希子を幸せにしてくれたら、それでいいのだと。
「最後に、一つだけお願いがあるの」
「なに?」
「ダリンを、よろしく。彼、廃嫡されて、行く場所がないから…」
「あぁ。元からそのつもりだったよ。色々調べなきゃいけないしね」
それを聞いて安心する。ダリンはイケメンだから、きっと大丈夫だろう。あとは言い残したことがないか頭の中で確認して、ない、と結論付ける。
「それじゃあね」
希子がそう言って、徐々に私を掴んでいる魔法の手を緩めていく。
「また会う日まで」
私は頑張って笑顔を作る。
「だからそんな日は来ないって。ばいばい」
「さよなら…」
ついに私は手を放され、溶岩へと落ちていく。だけど、全く怖くなかった。希子が私を恨んでいないということは、その表情を見たときに分かったから。嫌いな人を突き落とすときに、あんなに優しく涙を浮かべるなんてできないと思うから。
やがてマグマの中に沈んで、意識が遠ざかっていく。苦痛はなかった。
私の魂は天界へ還ることはなく、地の底に、現実世界へと戻っていく…
【7月22日(水):現実世界】
目が覚めると学校の保健室だった。カーテンの隙間から顔を出して壁掛け時計を見ると四時半で、授業は終わっている。養護の先生は席を外していた。隣のベッドには、葉月が制服のまま小さく丸まってすやすやと寝ている。いよいよ台風が接近してきたようで、窓の外は木が風に煽られて大げさに揺れている。
その時、暴風雨が窓に打ち付ける音に混ざって、聞き覚えのある声が聞こえる。最後の力を振り絞るような悲痛な叫び声。あれはたしかに、ドラゴンの声だ。私は隣で眠っている葉月を見る。あのドラゴンがもし私たちが倒したドラゴンなら手負いの状態だろうけど、それでも脅威には変わりがない。私以外にドラゴンを倒せる人がこの学校にいるとは思えない。やっぱり私がとどめを刺さなければならない。
私は使命感に燃えて、重い体と眠い頭を奮い立たせて保健室を飛び出した。
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