第十七話 決戦の日

【7月21日(火):オリミーティリ】



 ついにというか、突然にと言うべきか、決戦の日がやってきた。戦いの場は希子が指定した、サールロイからさらに北に少し行った、火山のふもとの大地。火山からあふれた大量のエーテルが沈殿して強力な魔獣の巣窟となって、あまり人が近寄らない場所。私たち一行は熊形態になったトシュデンに跨って、その場所に向かっている。いつもは陽気なサンナが一言も喋らないのは珍しい。

 今朝、四人で軽くどう戦うかを話し合ったけど、ろくなアイデアは出なかった。一応私とサンナで撃ち落としてあとは流れでというような作戦と呼ぶにはお粗末すぎる打ち合わせは行ったけど、そもそも希子がどう出てくるかわからないから、対策のうちようがない。それに、サンナとトシュデンは部屋で二人で何か別の作戦を立てていたのか、私やダリンの提案に対する否定が多かった。何か隠しているのかもしれない。それを私たちに話せない理由までは皆目見当がつかないけど。

 昨日希子に相対した感じ、私たち四人が束になっても希子にはかなわないだろう。だから、希子のいうとおりに戦わなければならない。サンナとトシュデンは希子がドラゴンを操っていたことに立腹している様子だったけど、力関係が明白で手出しできそうにないのが歯痒そうだった。私は… どうなんだろう。希子がドラゴンを操って、サールロイの街並みを焼き払ったのだとしたらそれは許してはいけないことなんだけど、それよりも希子に嫌われていたという衝撃の方が大きくて、そのことに対してはあまり感情の動きはなかった。一昨日依頼から帰って来た時に、壊れた街並みを見た時はドラゴンに対する怒りがふつふつと湧いてきたけど、今はそうでもないのは、私にとっては一週間過ごした街よりも二年間一緒に過ごした希子の方が大切だと思っているということかもしれない。


 熊形態のトシュデンの走りは速かった。ぐんぐんと山道を駆け抜けて一時間程度で目的の、開けた盆地に着いた。その間、魔獣に襲われることはなかった。私たちはトシュデンから降りて、トシュデンも人間に戻る。トシュデンはこれだけ魔法を使い続けたのだから疲れているかと思いきや汗一つかいていない。エーテルが濃いおかけで回復が早いのだろう。私も昨日作った〈ライトニング〉でも二発くらいは撃てそうだ。盆地は希子に指定されたそこだけ雑草が自生していなくて、よく見ると雑草や木までもが不自然に地面すれすれの位置で切りそろえられていた。多分希子がやったのだろうけど、どのような魔法陣でこのようなことができるのか、皆目見当もつかない。

 見回しても、希子の姿は見えなかった。希子と顔を合わせるのが辛かったので、希子がいないことにほっとする。今日ここでドラゴンに負けたらもちろんなんだけど、勝ってもきっと、私の力を認めて一緒に行動するみたいな都合のいい展開は待っていないだろう。まだ希子に対してどういう態度をとるか方針が定まっていなかった。涙ながらに別れを告げようか、それとも永遠のライバル宣言でもしようか。


 私はそんなことばかり考えて、頭の中からドラゴンのことなんか消え去っていたけど、そんな思考も飛来するドラゴンの影によって引き戻される。しかし、昨日とは違って、ドラゴンの背中には乗っていなかった。

「みんなお揃いで、来てくれたのね」

 いつの間にか、希子は上空の遥か高い場所に現れていた。今更そんなことくらいでは驚かなくなった私たちは希子を見上げる。

「ドラゴンはどうしたぁ? もう飽きたってか?」

 トシュデンが声を張り上げる。

「乗り心地が悪かったのよ。無駄に大きい翼を大げさにはばたかせて、あれに乗り続けてたら切れちゃうもの。もう少し静かに飛んでほしかったわ。これで師匠よりも弱かったら、伝説のドラゴンがお笑い草ね」

「すぐに引きずりおろしてやる! キコには聞かなきゃいけないことがたくさんあるからな!」

 サンナの宣戦布告を聞いた希子はそれを鼻で笑って、指を鳴らして魔法を展開する。この魔法は、見たことがある。サールロイを丸ごと包んでいた魔法障壁だ。私たちは高校の体育館よりももっと広い空間に、ドラゴンと共に閉じ込められた。ドラゴンもリハーサルはしていなかったようだ。慌てた様子で轟音と地響きと共に突進するけど、魔法障壁はびくともしない。ドラゴンは観念したように、私たちの方に向き直った。この逃げ場のない空間であの突進が私たちに向かって繰り出されるところを想像する。だけど、後者と比較するとあれだけ巨大に見えたドラゴンも、今はそれほど大きく感じない。怖くないのはみんながいるからか、それとも、別の理由だろうか。

 希子は魔法障壁の箱の上に降り立って、頬杖をつきながら寝そべる。その態度がサンナとトシュデンの癇に障ったようで、一刻も早くドラゴンを倒すぞと言うように二人は戦闘態勢に入る。私もロングソードを抜いた。

「ライトニング」

 最初から全力で行く。私は昨日作った呪文を唱える。昨日のような気が遠くなるような感覚はなかった。しかし、スイカが展開した魔法陣を一目見て、私が何をしたいか完全に理解した希子が言う。

「有朱さぁ、それ、魔法障壁の中だと意味ないよ。雷落としたいんでしょ? だったら、箱の中に雲作んないと」

「先に言っといてよ! だったら色々準備したのに!」

 私はフランクに返事をする。そのことに希子は驚いたようで、一瞬黙ってから、

「あはは、ごめんごめん」

 と笑って返した。私はスイカの頭を撫でて、魔法陣を霧散させる。

〈ライトニング〉が封じられてしまったら、もうまともな遠距離攻撃手段は水流を発射する〈ヴァンストローム〉くらいしか残っていない。しかし、熊の魔獣にすらはじかれてしまった魔法だ。あの巨大なドラゴンに通用するとは思えない。ダリンはこの戦いにおいて完全に蚊帳の外だ。ドラゴンはずっと飛んでいて、槍を投げるくらいしかできることがない。トシュデンも、多分届かない。サンナは弓を射ってはいるものの、今のところすべて硬そうな鱗に阻まれている。そのおかげでドラゴンの攻撃の手はだいぶ緩まってはいるけど、致命的な一撃は与えられなさそうだ。

 攻め手がみつからずやきもきしている間に、ドラゴンが息を吸い込む。

「ヨルドベイグ!」

 ドラゴンが炎を吐き出すと同時に、トシュデンが魔法を展開して、地面から土壁がせりあがってくる。熱風が私たちを襲うけど、目が乾いたくらいで無事だった。炎の直撃を受けた壁はボロボロと崩れ去っていく。地面の草木はきれいさっぱり刈られていたおかげですぐに炎は鎮火したけど、箱の中の温度は数段階上昇した。トシュデンのエーテルが切れるのが早いか熱さに耐えられなくなるのが早いか、消耗戦になったら絶対に負ける。

 私はこの状況を打開する方法を必死に考える。そうだ。〈ヴァンストローム〉でも、もしかしたら炎を吐く瞬間に口の中に撃ち込めばなんとかなるかもしれない。そう思って、次のドラゴンが炎を吐くタイミングで試してみるけど、スイカの出した水流は炎の渦に飲み込まれ、蒸発して消えてしまう。まさしく焼石に水だった。

 炎が目前に迫ってきて、

「下がれ!」

 というトシュデンの声で後退する。ギリギリのところでトシュデンの魔法が間に合い、炎は防がれた。

 これくらいで倒せるとは思っていなかった。何か状況を打開できる魔法はないか、今までに覚えた魔法を順番に思い出す。だけど〈ライトニング〉や〈ヴァンストローム〉以上の火力の魔法なんて… いや、一つだけ、この状況で輝く魔法があったかもしれない。サールロイについてサンナに魔法を教わってから初めて作ったけど、条件が整わなくて形にならなかった魔法。水を電気分解して水素爆発を引き起こす魔法だ。水素は軽いのでこの空間の上方、つまり、ドラゴンが飛んでいるあたりに滞留する。爆発を引き起こす火種はドラゴン自身が提供してくれる。そうだ、たしかその魔法の名前は…

「電気分解」

 私はそれっぽい名前にするのがはずかしくて、そのままの日本語で名付けた呪文を唱える。スイカが水を出す魔法と電圧をかける魔法、二種類の記号のみからなる単純な魔法陣を展開する。魔法陣からあふれ出した水は出現すると同時に気体となって、見えなくなる。一回試したときはすぐにその欠点に気付いて、ただ空に水素をばらまいただけに終わって効果の程は確認できなかったけど、きっと箱の上部には水素ガスが溜まっているはずだ。私はドラゴンを倒すのに十分な量が溜まる位まで何回か同じ魔法を唱える。

 私が魔法を唱えている間、何も言わずともダリンが囮となってくれている。槍は役に立たなさそうだけど、ドラゴンの突進は十分に引き付けてから紙一重で回避しているのが見える。そして再びドラゴンが上空に舞い戻ったとき、そこは水素で満たされていた。ドラゴンが息を吸い込んで炎を吐く準備をする。

「伏せて!! 爆発するから!!」

 私は叫んだ。それを聞いて、四人とも亀のような姿勢になって耳を塞ぐ。

 ドカン!!

 爆発音がした。水素爆発の実験は中学の理科の授業でやったけど、規模が全然違う。爆風が魔法障壁箱の中で渦巻き、地面が揺れる。幸い炎は私たちの方まで届くことはなかったけど、身動きが取れない。衝撃が過ぎ去るまで地面にへばりついているのが精一杯だった。やがてドサッという音と共にドラゴンが落ちてくる。硬いうろこに覆われた体は無傷だけど、羽の裏側がやっぱり弱点だったみたいで、翼をだらんどぶら下げている。ああなったら、もう飛べないだろう。そうなったら、やっとダリンの出番だ。

「やるな! アリス!」

 いち早く起き上がって槍を構えたダリンが私をほめる。そうしている間にも翼をもがれたドラゴンは次第に元気を取り戻し、暴れはじめる。ああなったら、おちおち魔法を発動する余裕もなさそうだ。私の近接戦闘能力では攻撃を避けるので精一杯で、足手まといになりそう。サンナも魔法障壁の壁際に下がり、弓で援護する姿勢だ。

「あとはよろしく」

「ああ、任せとけ」

 私は信頼してダリンに任せる。負けるだなんて想像もしていない。私はトシュデンの魔法によってできた土壁の残骸の後ろに隠れて成り行きを見守る。

 トシュデンが、普段の熊形態よりも一回り大きい熊に変身して、ドラゴンの目の前に立ちふさがった。体重差は十倍以上ありそうだったけど、トシュデンの立ち姿は堂々としている。ドラゴンはそれを見て顔から突進しするけど、トシュデンはドラゴンの顔を両手でつかんで受け止める。土属性の魔法も併用しているのかもしれない。トシュデンは微塵も動かなかった。手負いの状態で分が悪いと感じたのか、ドラゴンが退く。そして炎を吐こうとした瞬間、ダリンが懐に飛び込み、大きく開いた口の奥に槍を突き立てた。一瞬でも遅れていたらダリンは丸焦げになっていただろう。しかし、ドラゴンの口から炎は出なかった。ドラゴンはその場に倒れた。

「ダリン!」

 私とサンナは倒れたドラゴンの前に立つダリンに駆け寄る。

「意外と、なんとかなったな。ほとんど、アリスの魔法のおかげだが」

「それは、運が良かっただけだよ。希子の指定した戦場がこの密閉された空間だったから。そうじゃなかったら、全滅するか逃げられるかの二択だった」

「それでも… あんな大爆発を起こせるだなんて、アリスじゃなかったら思いつかなかった」

 ダリンが私を褒めてくれる。

「そうだ。それに、ダリンも、いい踏み込みだった。二人とも、本当に強くなったな」

「私の矢はほとんど弾かれちゃって、冒険者の先輩として面目ないわ」

 トシュデンやサンナにまで口々に褒められて、恥ずかしくなってくる。私はぶんぶんと手を左右に振って、皆さんのおかげですよと答えた。

 そうして勝利の余韻をかみしめていると、魔法障壁が解除され、希子が地面にゆっくりと、透明なエレベーターに乗っているかのように降りてくる。体全体が淡く発光していて、何らかの魔法であることが分かる。さっきまで楽しそうにしていたサンナとトシュデンの目つきが変わり、睨むように希子を見る。

「まあ、伝説のドラゴンと言ってもこんなもんか」

 希子は冷めた口調で吐き捨てるように言った。

「希子…」

 私は希子を前にして、どうしていいのか分からずにその場に立ち尽くす。

「あぁ、有朱。昨日あれだけ言ったのに、よく来たね」

「うん…」

 その瞬間だった。希子が地面に降り立った直後に、サンナとトシュデンが希子の背後で、息を合わせて魔法を発動したのが見えた。希子の頭上に魔法陣が現れるけど、希子は気づいていない。

「希子! 逃げて!」

 私は咄嗟に叫んでいた。しかし、私の声は希子には届かなかった。魔法陣から出現した土砂にみるみるうちに希子の体は埋もれ、その外側サンナの魔法障壁が覆いかぶされる。箱状の土で満たされた空間の中にいる、希子の姿は全く見えなくなった。多分、魔法障壁によってテレポートも使えないだろう。

「サンナさんっ! これは!!」

 私は魔法を使って疲れた様子のサンナに詰め寄り、肩を揺さぶる。

「ドラゴンが去ってもキコがいる限り、サールロイの安寧は保証されない。アリスは反対するだろうから黙っていたけど、こうするしかなかったんだ。希子の魂はスラーヴ山脈の頂上から旅立ち、いずれ転生する。いずれまた会えるさ」

 サンナは悪びれた様子もなく言い放つ。

「ダリンは… 知っていたんですか?」

「いや、言っていない。だが、これはギルド全体の決定でもある」

 トシュデンも厳めしい顔で言う。感情の整理ができずに、私は押し黙ってしまう。だけど私は、希子がこの程度の魔法でやられるとは思っていなかった。希子との関係がこのまま終わってしまっていいはずがないという願望もあった。だから私は、希子が閉じ込められた魔法障壁の箱から目を離さなかった。箱を満たしている土がサラサラとした砂に変化して、そして消えていく。その中から現れた希子の服には砂粒一つ付いていない。希子はそのまま魔法障壁の壁をノックするようにトントンと叩いて、まるで自宅の玄関の扉を開けるように自然に、魔法障壁の壁に手を当てて出てくる。その様子の一部始終を、私は黙って見ていた。

 サンナとトシュデンが気付いたときにはもう遅かった。いや、ずっと注視していたとしても、希子を止められなかっただろう。易々と脱出した希子は、苛立ったように眉をゆがめて、手刀を切るように手を動かした。途端に、サンナとトシュデンが体の力が抜けたように膝から地面に落ちて倒れこんで動かなくなる。

「もしかして… 命を…?」

 震える唇で希子に尋ねる。

「いや、邪魔だったから、エーテルを奪っただけ。そのうち動くよ」

「良かった…」

 私は安堵のため息をついた。希子はサンナとトシュデンの攻撃もまるで効かなかったかのように、服の裾を直している。

「ところで、ドラゴンの死体を片付けにスラーヴ山脈の向こう側にある火山の火口まで行くんだけど、有朱も来る?」

「うん。行くよ」

「あぁ、そう。意外だね。有朱なら断ると思ってたよ。まあ、それでも強引に連れていくつもりだったけど。性格変わった?」

「まあ、1年以上経ってるからね。希子も、すごい強くなったんだね」

「そうだね」

 希子はつまらなそうに答える。

「じゃあ、行こうか」

 そう言ってさしのべられた手を握る。

「アリス!!」

 その瞬間、叫ぶような声とともに、私の腕をつかまれる。ダリンだった。そのまま希子の瞬間移動の魔法は発動する。私たち三人の体は光に包まれる。視界が上下に歪んで、自分が何処に立っているのか分からなくなる。意識が途切れた。



【7月22日(水):現実世界】



 目が覚めると自分の部屋の見慣れた天井でほっとする。夜に眠る、意外の方法で転移したのは初めてだったので、どうなることやらと思ったけど、どうやら普通に現実世界のようだ。デジタル時計で今日がちゃんと水曜日の朝であることを確認する。

 次にオリミーティリに行くときは、希子と対面しないといけない。それはつまり、自分のトラウマと向き合わないといけないということだ。一昨日の夜のように飲まれないように、気合を入れて臨まないといけない。

 私は一階に降りて水道水で顔を洗う。鏡で自分の顔を見て、髪型を整える。そういえば、葉月には昔一回オリミーティリについて相談しかけたけど、結局具体的なことは言えなかったっけ。葉月や楓は私が夜に異世界に転移していると知ったら、どんな顔をするのだろうか。いずれそのことをネタとして話せる日が来るのかな。私はそうなったらいいなと思った。

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