第十四話 お腹は痛いしドラゴンは来る

【7月20日(月):現実世界】



 もうすぐ夏休みだからか、通学路を歩く小学生がはしゃいでいるのを横目に私も学校へと急ぐ。七月下旬の空には入道雲の子供みたいな雲がもくもくと漂っている。今週台風が来るらしいけど、今の所その予兆はない。

 学校を休むほどではないけど、日曜日は一日中寝ていたせいだろうか、体の節々が痛いし少し吐き気もある。だけど学校へ赴く足取りが重いのはそれだけが理由ではなかった。なんとなく、今日は葉月や楓に遭遇したくない。そのせいで電車を一本遅らせたので、急いで歩かなければならないのだけど。

 正門から校内に入って、グラウンドの脇を通って下駄箱へ向かう。普段の登校時刻よりも人はまばらだ。下駄箱で室内用のスリッパに履き替えるとき、一通の手紙がはらりと落ちた。またか、とイライラして、そのピンク色の封筒を拾い上げ、差出人の名前を見る。都築優斗と名前が書いてあった。どこかで聞いたような気がするけどどうでもよかった。きっと頭の中もピンク色なのだろう。私は永野有紗の下駄箱の前まで来て、いつもよりも強くその手紙をねじ込んだ。

 チャイムと同時くらいに教室について、自分の席についた。沖春香がなにやら私の方を向いてにやにやとしている。先週希子のことについて無理やり聞いてきたことを思い出して、憂鬱な気分は加速する。私は葉月のこととか楓のこととか希子のこととか嫌なことで頭が一杯になって、気もそぞろなまま授業に臨む。


 終始ぼーっとしながら授業を受けて、お昼になってチャイムが鳴る。今日はやたらと教師に指名される日だ。私の顔に当ててくださいとでも書いてあるのだろうか。私はその期待に答えることはできなくて、「わかりません」を連発した。普段の私だったらありえないことだけど、すぐに顔を伏せる私に教師は何も言ってこなかった。

 お弁当の時間になったものの、葉月にあんなことを言われてしまっては一緒に食べれるわけもなく、私はトイレに逃げ込む。新校舎の三階にある、埃っぽいトイレの一番奥の個室。こんな見捨てられたような場所でも小窓から陽の光は差し込んでいる。

 お弁当は持ってこなかった。お腹の調子はあまりよくないし、それをしたらあまりの惨めさに押しつぶされてしまいそうな気がして。最近は現実ではほとんどご飯を食べていないのに、妙にお腹は減らないので、昼食を抜くくらい全然平気だ。

 手持ち無沙汰でポッケからスマホを取り出し、葉月がメッセージアプリのスタンプを寄越したのだけ確認して嫌になって、またポケットに戻した。

 別に葉月がどう思っていようとどうでもよかった。葉月が誰と仲良くしようが、楓が私にとっつきづらいと思っていようがどうでもよかった。私にはオリミーティリに仲間が、ダリンがいるから現実でのゴタゴタなんてどうでもよいと思っている。

 だけど、そう思ってるはずなのに、どうして私はこんな廃れたトイレなんかににいるのだろう。どうでもよいと思っているなら、何食わぬ顔で中庭でお弁当を広げて、ムカついたら葉月を悪し様に罵って、沖春香にドロップキックでも叩き込めばいいのに。

 私は泣きだしたい気分になったので、とびっきり悲しいことを考えながら涙腺から涙を押し出すように目をギュッと瞑ったけど、一滴も涙は溢れなかった。

 ほら、やっぱり私は友達が自殺した悲劇のヒロインなんかじゃない。悲しむには不幸が足りないし、奔放に振る舞うには勇気が足りない。


 結局お腹の調子が悪いのは治らなくて、でもお通じの気配もなく、保健室で休もうと決める。トイレの個室を開けると、何やらいつもと雰囲気が違っていた。7月であることを鑑みても暑すぎる。まるでサールロイの冒険者ギルドに入ったときのような… はっと気づいてトイレの窓を開け、外を見ると地獄絵図が広がっていた。空から急襲したドラゴンが、校舎の壁を上空から火炙りにしている。教室などが入っている旧校舎の四階部分が焼け落ちてゆく。サールロイでは実際にドラゴンを見ていなかったが、ものすごい迫力だ。いとも簡単に高火力の炎で焼き払い、後には炭しか残らない。

 何がなんだかわからなかったけど、とにかく逃げなければならない。私は急いで階段に向かって走り、駆け下りる。ドゴォという耳をつんざくような轟音が背後で鳴り響き、地面が揺れて倒れそうになるけど、なんとか踏ん張る。私は脇目もふらずに階段を駆け下り、吹きさらしになっている渡り廊下を通る。ドラゴンが間近に見えた。

 初めてみたその真っ黒なドラゴンは、いつかのロールプレイングゲームに出ていたドラゴンとよくにた姿をしていた。ただ、迫力は画面の中のドラゴンと違って圧倒的な、足が震えるような威圧感を放っているけど。体の表面は硬そうな鱗が覆っていて、ダリンの槍でもサンナの弓でも弾かれそうだ。獲物を品定めするような眼光は鋭く恐ろしいけど、弱点の一つだろう。翼は下側から見ると比較的柔らかそうで撃ち落とすことはできるかもしれない。

 渡り廊下から見える中庭には葉月や楓はいなかった。代わりに、永野有紗がしとやかに、ドラゴンを見上げるようにして立っている。私は心の中で「何やってるんだ! 逃げろ!」と叫ぶ。実際に叫ぶ度胸はなかった。少し立ち止まって観察していたら、ドラゴンが私に気づいたような素振りを見せたので、私は慌てて旧校舎に入って保健室へ向かう。息を切らしながらドアをガラリと開けると、養護教諭の先生が驚いたような顔で私を見た。

「あら、どうしたのかしら?」

 メガネの位置を直しながら聞いてくる。

「あ、おなかが痛いのでベッドで横になりたいと思って」

「そう。今はベッドが空いてるから、具合がよくなるまでいていいわよ。でも、あまり体調が悪いときに激しい運動をしないほうがいいわよ」

 私はさっき見たドラゴンの禍々しい姿と目の前の養護教諭の落ち着いた姿に整合性が取れなくなって、不安な気持ちになる。ドラゴンから逃げていたことを説明するべきだろうか。いや、よしておいたほうがいいか。私は大人しく制服のまま靴を脱いでベッドに潜り込んで、毛布をかける。外は暑かったけど、保健室は冷房が効いていて快適だ。

 私はドラゴンをどうやって倒そうかということに思考を集中する。そうしている時だけは、葉月や楓のことを忘れられる。

 ドラゴンは頭は校舎の3階の窓から見えるのに、尻尾は地面に着きそうなほど大きくて、今までに戦ってきた魔獣のどれよりも迫力があった。私一人では到底倒すことなんてできないけど、少なくとも、歴戦の冒険者であるサンナやトシュデンと一緒に戦えるだろう。ただ、彼らがドラゴンを討伐したがっている理由は懸賞金を獲得するためだから、ドラゴン討伐に際してパーティーメンバーが増えることを歓迎しないはずだ。それに烏合の衆で戦っても十分に連携が取れるとは思えないし。

 仮にあの四人で討伐に挑むと仮定しても、サンナは弓があるからいいけど、トシュデンの魔法は熊に変身する魔法と土属性の魔法しか見ていない。空を飛ぶドラゴン相手にどれだけ有効打があるのか怪しいところだ。ダリンは魔法が使えないし、私とサンナでドラゴンを地上に引きずり降ろす必要があると考えると私も新たな魔法を覚えなくちゃいけない。サンナに強力な魔法を作ってもらう… いや、自分で作らなければならない。スイカが一番得意な電気系の魔法は私が作る他ないのだから。ドラゴンを討伐しにいくまでに物になるか分からないけれど、それくらいできないと私があのパーティーに加わる資格はない。

 布団を被って目を閉じていたけど、まるで寝る直前までゲームに興じていたときのように頭はギンギンで眠れない。ガラリと扉が開く音がして、誰かが保健室に入ってきて私のベッドの隣に座る気配がした。私は誰とも会いたくない気分だったから、毛布を被ったまま息を潜める。でも、もしかしたらダリンが心配して来てくれたのかもしれない。都合のいい妄想だけど、万が一の可能性を捨てれなくて毛布の隙間から覗いた。

 椅子に座っていたのは葉月だった。私はがっかりして再び引きこもる。

「ねぇ、もしかして、土曜日のお祭りのとき、私達の会話聞こえてた?」

 葉月が遠慮がちに尋ねてくる。昨日の会話とは公衆トイレの中にいるときに聞こえてきたあの会話だろう。葉月が今日の午前中私と会わなかったくらいであの会話に思い当たってこうして言いに来たということは、葉月もあの会話を私に聞かれたくなかったということだ。葉月は私に嫌われたくないと考えているということを喜ぶべきなのか、陰口を叩かれたことを悲しむべきなのか私には判断がつかない。

「だったら何?」

 私は長く喋ると感情が高ぶってどなってしまいそうな気がして、短い返事しかできなかった。

「だったら… だったらって言われても…」

 葉月の声が震えていた。それでも葉月は言葉を続ける。

「私は有朱を…」

「もういいから! 私は本当にお腹が痛くて寝込んでいるだけだから。悩みを相談できる人くらいは他にもいるし、別に葉月がいなくたって…」

 言い過ぎたと思って、口をつぐむ。せっかく心配して来てくれたんだから、笑ってお礼を言って、これからも今まで通りほどほどに付き合えばいいのに、中学のころから何も成長していない。

「そう… じゃあ私、もう教室戻るから」

 葉月は悲しそうな声で呟いて、保健室から出ていった。また一人、友人を失ってしまったのかもしれない。静寂が保健室を包み込んで、世界に私しか居ないような気分になる。それでも私の目から涙が溢れてくることはない。積み重なった嫌なことを忘れるために、必死でドラゴンを倒す魔法のことを考える。私はこんなぬかるみのような感情に足を取られている場合ではない。サールロイを、オリミーティリに生きる人々を守らなければならない。

 そうだ。月並みだけど、雷を落とす魔法なんてどうだろうか。水と電気という、スイカが得意な系統に合致している。私はスマホをポケットから取り出して音量を最小にして、ベッドの中でこっそりとブラウジングする。自然現象だから当たり前なんだけど、あまり複雑な仕組みではなくて、これくらいの魔法なら作れるかもしれない。頭の中で雷を再現するような魔法陣を組み立てていく。どのくらいのエーテルを消費するか分からないけど、私一人でも完成はできそうだ。それにしても、私は本当にドラゴンと戦うのだろうか。こうして制服を着て普通の女子高生のように過ごしていると、その実感が全く湧かない。

 そういえば、オリミーティリでドラゴンと戦って、もし死んでしまったら私はどうなるのだろうか。サンナはスラーヴ山脈の頂上から天に還ると言っていたっけ。例えばゲームのように、チェックポイントからやり直し、みたいなことになるのかな。それとも、エルタ村からやり直すことになるのだろうか。試しに死んでみるのが一番手っ取り早いんだけど、希子のように、それをする勇気は私にはない。まあ、なるようになるだろう。怖いから、できるだけ死にたくはないけど。

 キーンコーンカーンコーンという昼休みの終わりを告げるチャイムの音で思考は中段され、現実に引き戻される。カーテンを明けて保健室の先生が顔をのぞかせて、授業休む? と聞いてくる。いつのまにか腹痛は治っていた。


 午後の授業も適当に受けて、放課後はすぐに教室を出る。帰り際にドラゴンがどうなったのか気になって見上げても、ドラゴンもその痕跡も見当たらず、いつもと変わらない校舎そびえ建っていた。私は変哲のない校舎にすぐに興味を無くし、踵を返して校門へ向かった。

 駅についてキオスクの前を通りかかったところで、そういえばとお弁当を食べなかったことを思い出す。私は駅のトイレでこっそりと鞄に備えてあるレジ袋にお弁当の中身を全て入れて、ゴミ箱にまとめて捨てた。お母さんには申し訳ないと思ったけど、心配をかけたくもない。



【7月20日(月):オリミーティリ】



 目が覚めると見知らぬ天井だった。ドラゴンに襲われたサールロイでギルドに泊まったことを思い出す。私は同じ部屋で寝ているダリン、サンナ、トシュデンを起こさないように気を付けながら、自分の荷物を持って部屋を出る。現実世界で考えた魔法陣を忘れないうちに完成させよう。

 一階の椅子と机のあるロビーまで下りてくる。窓の外はやや薄暗く、ギルドの職員はまだ誰も起きていないようだ。昨日は忙しかったから、ゆっくりと休んでいるのだろう。私は鞄を机の上に置いて、椅子に腰を掛けた。

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