第十二話 夏祭りの夜

【7月18日(土):現実世界】



「いってきます」とお母さんに声をかけて、家を出る。日が落ちてきた空を黒っぽい雲が覆っていて雨が降りそうだったけど、予定通り決行されるらしい。商店街のアーケード通りを中心に開催される規模の小さなお祭りなので、雨が降ろうがあまり関係がない。

 葉月が指定した待ち合わせ場所の神社はアーケード通りから徒歩5分程度の場所にあり、お祭りの喧騒と熱気が夜の住宅街を突っ切って伝わってくる。錆びた遊具がぽつねんと置かれている普段の閑散とした境内より随分と賑やかで彩りにあふれている。

 私の格好はモノトーンの長袖のTシャツにスッとしたジーンズといったラフなものであった。こんな小さなお祭りに気合を入れて帯を締めていく人もそうはいないだろう、なんて考えてのことだったけど、もう少し浮かれても良かったかもしれない。

 小さな子がぶんぶんと手を降っているのが奥に見えた。その隣に金髪があったのでその小さな影が葉月だと気づく。葉月も楓も浴衣を羽織ってばっちりおめかしをしている。特に楓の格好が気合が入っていて、黒地に花火の柄の浴衣で、足元やかんざしもそれに合わせて和風になっている。一方の葉月は小学生の頃にも着ていた、見慣れた水色の浴衣だった。集合時間にはまだ少し余裕があるけど、二人が待つ狛犬の元へと足早に歩を進める。

「ごめん、待った?」

「一年と二分くらい」

「去年から待ってたのかよ!」

 葉月の返事にテンポよくツッコんだのは楓だ。彼女は意外と律儀なところがある。

「楓の浴衣かわいいね」

「ありがと」

 褒められ慣れていないのか、いつもの威勢がなく、声が小さい。

「私は?」

「葉月も可愛いけど… その浴衣、小学生のときも着てなかった?」

「あの頃は有朱のほうが背が低かったのにねぇ」

 葉月が遠い目をする。

「楓はいつの浴衣?」

「…今朝買ってきた」

 私は楓の気合の入りように、おぉと少し驚く。なんとなく、ラフな格好で来てしまったことを申し訳なく思う。

「だって、もうあんまし身長伸びないだろ?」

 楓が少し照れながら言い訳をする。

「伸びるよ!!」と葉月が背伸びをしながら反発する。

「伸びないよ!! と言いたいところだけど、私はまだ伸びてるんだよね。去年は5センチくらい」

 すげぇ!、いいなぁと二人から羨望の眼差しを向けられ、複雑な気分になる。私はこれ以上大きくなりたくない。


 他愛ない会話をしながら、神社からアーケードへと向かう人の波に乗って私たちもぞろぞろと移動する。商店街に近づくに連れ段々と人口密度が高くなっていき、人々の声のトーンが上昇していく。私はお祭りの空気に当てられて足取りがおぼつかなくなる。そうだ、私は人混みが苦手なんだった。誘われるがままにのこのこと出張ってきたことを、ぼーっとして眠たくなってきた頭で少し後悔する。

 道沿いにで店が立ち並ぶゾーンへとたどり着き、私達はきょろきょろとお上りさんのように気になる屋台を物色する。あれが食べたいと葉月が指さした先はりんご飴の屋台だった。私は最近食欲が無くて、あまりご飯を食べていない。りんご飴なんて見るだけでげんなりしてしまう。楓も買うというので、私は一人で隣のジュースを売っている屋台に並ぶ。せっかくなので、雰囲気的に瓶のラムネを手にとって屋台のお姉さんに130円を渡す。清涼飲料水なら、なんとかお腹に収められそうだ。

 りんご飴を買った二人と合流して、商店街を練り歩く。

 小学生時代にも葉月を含む数人の友達と毎年のようにこのお祭りには来ていたけど、そのころよりもかなり露天に対するモチベーションが減ったなぁと実感する。あの頃は見るものすべてが輝いていた。今はチョコバナナを見ても、バナナにチョコがかかっているとしか思わなくなってしまった。

 しかし、一方の葉月は右手に綿あめを、左手にかき氷を持って大変ご満悦な表情をしている。どうやってかき氷食べるのと聞いたら、あちゃ〜という反応が返ってきた。私は持っててあげるよと葉月から綿あめを奪い取り、一口食べる。うん。砂糖の味がする。

 楓は楓で射的屋で手に入れた大量の景品を抱えて上機嫌である。ああいうのは獲れないものだとばっかり思っていたけど、錐揉み回転をしながら次々と景品が落ちていく様は見事というほかなかった。コツを聞くと、とにかく銃身に無理やり弾を押し込むと言っていた。

 私はそんな二人を眺めながら何とは無しにふらふらとお金を使ったけど、それでも久しぶりのお祭りの非日常は楽しいような気がする。

 まあ、でもそろそろいいかという気分になって、とりあえずトイレに行ってくるねと言って二人から離れる。盆踊りを踊る行列がもうすぐ通過するはずだから、それを見たら帰ろうと決める。

 トイレの個室に入ると、楓が葉月に話しかけている声が聞こえてきた。

「私もう少し有朱と仲良くなりたいんだけど、あの子ってあんまり感情を表に出さないじゃん? 距離の詰め方がわからなくて」

 どうやら壁一枚隔てたところで二人が会話をしているらしい。トイレの屋根と壁の間に少し隙間が空いていて、声が筒抜けだ。私は二人がどんな会話をしているか気になって聞き耳を立てる。

「根は優しいんだけどね」

 葉月が返事をした。声は一音一音クリアに聞こえる。

「葉月は幼馴染でしょ? いつから仲がいいの?」

「まあ、割と小学生の頃はみんなで遊ぶ中のひとりって感じで。明確に仲良くするようになったのはやっぱり中二の、あの事件からかな」

 胸が疼いた。私にとって葉月はずっと一番の友だちだったけど、葉月にとってはそうではない。私はそのことを知っていたけど、いざ本人の口から聞くとショックだ。

 あの事件とは、やっぱり希子が自殺した件だろう。私は頑張って忘れようと努めてきたけど、たしかに葉月の態度ははっきりと変わったかもしれない。そういえば、中三の春休みはよく葉月がうちに遊びに来ていた。昼食を一緒に食べるのが週間づいたのも三年生になって同じクラスになってからのことだ。

「あぁ、うん。希子さん…だっけ、彼女もバド部だっけ」

 楓も同じ中学なのでもちろん知っている。当時は名前は伏せられたけど、人の口に戸は立てられない。

「有朱… すごい落ち込んでて見ていられなかったから、まさか有朱まで自殺しちゃうんじゃないかって心配で」

 それは私にはできなかったことだ。希子が死にそうなほど悩んでいたときに、私がしてあげられなかったことだ。それが葉月には私に悟られないように自然にできる。希子のダブルスのペアが葉月だったら、希子は自殺なんかしていない。いや、葉月に限らずとも、私以外だったら…。

「それで可哀想で一緒にお昼ごはんを食べるようにしたの」

 葉月が私と一緒に昼ごはんを食べていたのは、哀れみからだった。葉月は一緒にいるのが楽しいからとか心地よいからとかそういう理由でなく、消沈する幼馴染を哀れんで付き合ってやっていたのだ。私はそんなことも知らずに葉月につまらない話をして、葉月の話にはろくな相槌も打たず、クラスの日陰者がのうのうと人気者の時間を奪っていたのだ。

 苦しい。嫌だ。聞きたくない。

 劣等感と羞恥心と自己嫌悪と憎悪がないまぜになって、澱のように私の心に溜まっていく。これ以上二人の話を聞いていると本当に澱に沈んで窒息してしまいそうだった。脳みその酸素濃度の低下して、夢と現実の境目がわからなくなってくる。私はなんとか個室を出て、鏡の前で両の人差し指を口に当てて、なんとか笑顔を作ろうとするけど無理だった。どうしても不自然な気色の悪い笑顔になってしまう。言うことを聞かない体をなんとか叱咤して外に出て、「待たせて悪いね」みたいなことを言う。足元まで意識が及ばず、石に躓いて転びそうになるけどなんとか体勢を立て直す。

 遠くからドーンという爆発音が聞こえてきた。山の方だろうか。毎年花火なんか打ち上げていたっけ。最近来てなかったから思い出せないや。

 ぽつぽつと雨が降ってきて服が濡れるけど、祭りは続く。


 私達が佇んでいると、やがて笛と太鼓の祭ばやしと共に踊りの一団がやってくる。波が引くように、道路を歩いていた人々が中央を空けた。私もそれに倣って一方後ろに下がる。

 踊りの一団は手足を楽しそうに動かしてはいるが、練習などしてなかったかのように動きはてんでバラバラだ。お祭りの盛り上がりは最高潮に達して、踊る人も見る人もみんなてらてらした顔を紅潮させて楽しそうだ。私はその中で一人だけ暗く沈んだ心持ちをしていることが悔しくなって、私の心に溜まっていた澱は怒りへと形を変えた。

 何が可哀想だ。誰もかまってくれなんて頼んじゃいない。おせっかいだ。私は希子が死んだとき全く悲しくなかったし、涙だって一滴も流さなかった。私は葉月と一緒にご飯を食べることをちっとも特別だと思っていなかったしちっとも嬉しくなかった。

 私がそんなだから、希子は死んだのだ。


「私も希子も可哀想なんかじゃない!!」

 私の叫びはやまびことなって、靄がかかった頭の中を反響する。あたりを見回すと霧がかかっていて葉月と楓はいなくなっていた。私はいつの間にか木々に囲まれた山の中に、オリミーティリに来てしまっていた。ぽつぽつと降る雨が冷たくて、くしゅんと咳が出た。

 私は何がなんだかわからなくて、急に不安になる。野営地に戻ってテントで寝ていたサンナを揺さぶり起こした。

「なんだい? こんな夜中に」

 サンナが迷惑そうに目を半開きにする。

「なんだか沢山の人が山の中を踊りながら歩いていて…」

「ん… それは、死んだ人たちだな。死者は魂だけの存在となってスラーゔ山脈の頂きから天界へと還るんだ。だが沢山? まさか…」

 そう呟いたサンナはガバと跳ね起きて、私と一緒にその踊りの一団を見に行く。

「サールロイに、ドラゴンが現れたんだ」

 サンナが掠れたような声で言った。私はダリンとトシュデンも起こして、同じように説明した。

 朝ぼらけの中、4人で並んでその不思議な行進を見る。サールロイにドラゴンが現れて、沢山の人が亡くなったということは、サンナの見知った顔がその中にあったのかもしれない。サンナは泣き崩れて、行進を見続けることはできなかった。トシュデンがサンナの肩を優しく抱いた。

 どれくらいの時が経ったかわからないが、行進の列が途切れて私達はようやく動き出した。なんとか立ち直ったサンナが説明する。

「百年前の書物に出てくるドラゴンは全長が50メートル以上もあり、弓が届かないほど遥か上空から、炎のブレスを村めがけて吐いていったそうだ。それは人間をいたぶるように執拗に、丁寧にばらまいて、跡には炭しか残らなかったらしい」

「許せないな…」

 ダリンが言った。

「だが」

 トシュデンが続ける。

「死者の魂は空中に漂うエーテルによってその記憶を保ったまま、スラーヴ山脈の最も高い場所から天界へと還り、また新しい命として生まれる。そうして輪廻転生を繰り返す。死ぬということことは普遍的なことで、避けられないことだ」

 トシュデンは元軍人で、五年前の戦争も経験している。仲間の死にも触れる機会はたくさんあって慣れているのだろう。あるいは、仕方がない思わないとやってられなかったのかもしれない。

 デリカシーが無いと思われるかもしれないけど、どうしても気になって質問する。

「つまり、死ぬことは恐れることではない、ということですか? 悲しいことではないと?」

「本人にとっては、悲しいことではないのかもしれない。でもやっぱり、周りの人は悲しいさ。もう二度と会えないのだから」

 そう語るサンナの目は真っ赤に腫れていた。

 渓谷に立ち込める霧は上空で雲に形を変え、私の頭を雨で濡らした。



【7月18日(土):オリミーティリ】

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