第十一話 サールロイにも慣れてきたころ
【7月17日(金):オリミーティリ】
サールロイに着いてから一週間が経過した。私たちはこの一週間、四人で色々な依頼を受けて、数多の魔獣を倒してきた。サールロイの魔獣はエルタ村のそれよりもかなり強く、私とダリンだけだったら正直勝てなかったと思われる場面もいくつかあったけど、面倒見のいいサンナとトシュデンがいつも付き合ってくれて、大したアクシデントもなくサールロイでの冒険者生活を満喫していた。
そんな中で、私はサンナに魔法の基礎的な部分を教えてもらって、大分魔法の腕が上達した。まだ実用的な魔法を作れたことこそないが、以前購入した魔法陣を調整して威力やらをいじることはできるようになった。ダリンはダリンでしょっちゅうトシュデンに稽古をつけてもらっていて、冒険者としての戦い方を身に着けていた。
さて、今日も依頼を受けるべく、四人で冒険者ギルドに来ていた。慣れたもので、四人で並んで掲示板を見ながらあれやこれやを言う。その中に、ひときわ報酬金額が大きな依頼の張り紙を見つけた。
「これ、今までと比較して不自然に額が大きいな」
ダリンが顎に手をあてて不思議そうにする。
「どれどれ? ああ、これは個人の依頼だからかな。素材を依頼人に渡さないといけないから、こっちで売りさばけない。その分やや依頼額は大きいんだが、それにしてもだな…」
「うぅむ。怪しいが、この依頼人なら俺の知り合いだ。報酬金を払わずに逃げられるなんてことはないだろう。できれば生け捕りにと書いてあるし、その分じゃないかね」
「じゃあ、これにするか」
サンナはそう言って、カウンターに手続きに行く。獲物はヘラジカの魔獣で、角が青白く光るらしい。私もここに来てから何体かと戦ったが、そんな魔獣は見たことが無かった。
「でも、目撃情報があった場所結構遠いな。ここから歩いて5時間ほどかかる。今日は野宿するしかないか」
トシュデンが渋い顔をする。まあ、日帰りで済む依頼は安いのばかりだし仕方がない。
「じゃあ、出発前に温泉に入っていかない?」
私が提案した。ここサールロイの近くには活火山があって、いい温泉が湧くのだ。日本人として温泉と聞いたら黙ってはいられない。この一週間で指紋が無くなってしまいそうなほど温泉に浸かった。
「本当にアリスは温泉が好きだな」
ダリンがやれやれといった表情で、それを承諾した。
サールロイの温泉は露天風呂だ。街の外れの小高くなっている場所に、巨大な湯船がある。もくもくと湯気が雲ひとつない空に立ち上ってゆく。浴槽は天然の岩肌を遺していて、男女の湯船は簡単な衝立で仕切られている。
夢の中で温泉に入れるなんて無上の贅沢だ。こぢんまりとした脱衣スペースで服を脱いで、他に誰もいない、貸切状態の湯船に飛び込む。7月といえど標高が高いサールロイはやや肌寒いので、お風呂より少し熱いくらいの温度のお湯が丁度いい。
「いいお湯ですよね」
私は遅れて湯船に浸かったサンナに話しかける。サンナと一緒に温泉に入るのは初めてかもしれない。
「そうだねぇ。私も久しぶりだからね。故郷に、レナンに帰るという使命がなかったら、旦那とここに住んでたかもしれないな」
「サンナさん、この街にも知り合い多いですもんね」
「ああ。なんせここにいれば結構儲かるからね。故郷以外だと一番長くいるかもしれない」
温泉の作法に則って、私は持参した手ぬぐいを頭の上に乗せる。肩までお湯に浸かって、ほぅとため息を付いた。
「そういえば、かつての弟子もそうやって手ぬぐいを頭の上に乗せていたな」
サンナが私の様子を見て言った。かつての弟子は日本人かもしれないという疑惑が一段と濃くなる。私はその弟子についてもっと情報が欲しくて質問する。
「そのお弟子さんってどんな方だったんですか?」
「ん? ああ、正義感が強くて真面目な女の子で、奇抜な魔法をよく考えていたな。相棒はペンギンの妖精だったな。氷属性の魔法が得意だった。そうだ。なかなか良い妖精が見つからなくてね。丁度ここから少し北に行った山の中でその妖精を見つけたんだ。私ももう結構な歳だけど子供がいないもんだから、随分とかわいがっちゃってね」
「それなのに、どうして半年で離れていっちゃったんでしょう」
サンナは少し苦い顔をする。
「それは… 私が教えれることをすべて教えてしまったからだね。いや、それだけじゃないな。あの子の発想力に、不気味な、手に負えないものを感じたから、行き着く先が怖くなって手放したのかもしれない。初めての弟子だった。もっと技術的なことだけではなく、心構えみたいなことも教えてあげられたら良かったんだけどね。あの子が私の元から離れていったのは、色々な面で、私の力不足が原因さ」
「そう… だったんですね」
二人して神妙な顔になって、しばし沈黙が訪れる。なにやら男湯の方が騒がしかった。私は意を決して、ドキドキしながら一番気になっていることを聞いた。
「ところで、そのお弟子さんの名前は?」
「私はキコと呼んでいたよ。苗字の方はそういえば知らないな」
キコ!! 私と同じような年頃で日本人の希子といえば彼女ではないという可能性には思い当たらなかった。
その懐かしい響きに私はいつになく感傷的になる。その可能性はあった。でも、まさか希子にもう一度会えるかもしれないだなんて夢にも思っていなかった。私の脳内でダムの放流のように希子との思い出が押し寄せてくる。あまり希子と仲良くなかったことも忘れて、それらの記憶を懐かしく眺める。希子は確かに正義感が強くて真面目で、バドミントンに対して誰よりも真摯だった。希子は確かに私の大切なダブルスの相棒だった。
ドンッ!
私の追想を遮るように、鈍い音がした。男湯と女湯を隔てる衝立と共にトシュデンが倒れ込んでくる。毛むくじゃらの体が衝立の上に横たわった。さっきまで騒いでいる声が男湯から聞こえてきてたので、何かはしゃいでいたのだろうと想像できるけど、それにしても女湯の方に倒れ込んでくるとは、世が世なら手錠をかけられるところだ。
「何やってんのさ!」
サンナがお湯に浸かったまま叫ぶ。
衝立は木製で結構重そうだが、幸い私とサンナは湯船の端の方にいて当たりはしなかった。
「いてて… すまん、ちょっとバランスを崩してな」
トシュデンは謝りながら立ち上がった。
「バカだねまったく」
男湯の側を見ると、腰にタオルを巻いて呆然と立っているダリンとばっちり目が合った。ダリンはあわてて顔を背ける。それとは対象的に衝立を倒した張本人のトシュデンは落ち着いていて、腕力だけで軽々と衝立を戻した。
一息ついて、私たちは湯船から上がって、体を拭いて服を着た。脱衣スペースを出るとちょうどダリンと鉢合わせた。ダリンはいつも前髪を横に流しているけど、今は風呂上がりで髪の毛が重力に負けて垂れ下がって、水が滴っている。神話に出てきても違和感がないような格好良さに、見とれてしまう。
ダリンと私はお互いに無言で見つめ合った。ダリンが最初に根負けして、ぷいっと顔を背けた。まだダリンの耳が赤くなっているのは、きっと温泉に長く浸かりすぎたせいだ。
温泉でぽっかぽかになった私達はサールロイに来たときと同じような重装備でヘラジカを探す旅に出かけた。
休憩を挟みつつしばらく山の谷を川沿いに進むと、ところどころに動物の糞が現れ始めた。
トシュデンが一瞥して、鹿の糞だと特定する。しかもまだ新しい。ここらへんにヘラジカがいるのは間違いないようだった。
サンナが背負っていたリュックから折り畳み式の弓を取り出して組み立てる。弓道部が浸かってるようなものよりもかなり小さく、ちょうどサンナの腕くらいの長さの弓だ。
戦闘態勢が整った私達は慎重にあたりを見回す。何かを見つけたらしいダリンが、押し殺した声で言った。
「あの林の奥にヘラジカの群れがいます」
よく目を凝らしてみると、暗がりの中に青白く発光して見える1対の角がぼんやりと浮かんでいた。その周囲に幾つかの黒い影が見える。
「目的の魔獣はいますか?」
「多分。溢れ出た魔力が見えるって聞いたからね」
「僕は魔法がからっきしなのでその魔力は見えませんが、一頭だけ体躯の大きな鹿がいますから、そいつでしょうか」
どうやらダリンにはあの青白いエーテルのオーラが見えてないらしい。よく見つけたなぁと素直に感心する。
「先手必勝…」
そう呟きながら、サンナさんが弓に矢をつがえキリキリと絞る。片目を閉じ、照準器を通して狙いを定める。同時にサンナの相棒のポリーが魔法陣を展開した。風切り音と共に放たれた矢が勢いよく鹿の群れへ一直線に向かっていく。小さな弓から放たれた矢は、放物線を描くどころか風の魔法に乗って加速してゆく。
相当な距離があったが、矢が放たれた瞬間、青白く光る角を持つ鹿の真っ黒な瞳がこちらの方を向き、身を捩るように大きく跳躍した。矢はその目的の魔獣の後ろにいた、不運な魔獣に刺さったようであった。
その光る角を持つ魔獣は、身を翻して道のない森へと去ろうとする。
「セメンフローデ」
トシュデンが呪文を唱えた。魔獣が逃げようとする先の上方で、まるでブルドーザーで削り取ったように土塊が盛り上がり、土石流となって斜面を轟々と駆け下りてゆく。魔獣は崩れていく地面の手前で立ち止まって、こちらを向く。私達は武器以外の荷物をその場に置いて、魔獣と相対した。
魔獣は光る角を持つ親玉以外にも確認できるだけで3匹ほど見える。
「君たちは周りのを」
サンナさんが私とダリンに合図を送る。ダリンが槍を構える後ろで、私も短剣を取り出す。
私達が前にしている魔獣の目は血走り、口からだらだらと涎を流している。二頭は一直線に突進してきた。
「スイカ!ショック!」
私は物理の教科書を読んだりしたおかげで、電撃の軌道がどのように描かれるか大体わかるようになっていた。スイカの口から走る電撃を顔面に受けた鹿は足を止め、ぶるぶると頭を振った。ダリンの槍はもう一頭の体をかすめ、脂肪を切り裂く。その鹿はすぐさま反転して、再び突進しようとしたが、一度目のような勢いはない。ダリンは右手から左手に槍を持ち替えながら振り返り、ゾンビのように開いているその口に先端を突き立てる。
「がっ・・」
その瞬間脇の茂みから1頭の鹿が飛び出してきた。角をまともに喰らったダリンが苦痛にうめき声を上げる。
私はその鹿に向かって回し蹴りを繰り出し、呪文で追撃した。勝ち目がないと判断したのか、その魔獣は足を引き摺りながら森の奥へと消えていった。
「大丈夫!?」
「ああ。打撲だけみたいだ」
私はダリンに駆け寄り、介抱する。
しかし、一つ忘れていることがあった。私がショックの呪文を打ち込んでよろめいた鹿、その存在を思い出して振り返ると、弓を構えるサンナさんの方に突進していた。
「危ないっ!!」
私は叫んだ。しかし、私がサンナだと思っていたその影は、手品のようにゆらゆらと立ち消えて、魔獣の突進は空を切った。当のサンナさんは5メートルほど離れた場所で、矢をその魔獣に向けて放っていた。矢が魔獣の腹部に突き刺さり、ばたりと倒れた。
「ふぅ、全部片付いたね」
サンナが何事もなかったかのような顔で額の汗を拭った。トシュデンが角が白く光る魔獣の親玉を抱えている。その頭部には二本の矢が深々と刺さっており、彼らが戦いに勝利したことを示していた。
私達は親玉以外の鹿の魔獣にブローチをかざし、魔獣となった元凶であるエーテルを吸い取る。みるみるうちに怪我から回復し、正気に戻った鹿たちは森の奥へと消えていった。
「さっき体当たりを避けたとき、どうやったんですか?」
「ああ、陽炎ってしってるかい?」
私は首を縦に振る。たしか地面や水面からの熱で光が歪む現象のことだ。
「それの応用だよ。ポリーは風系統の魔法が得意だからね。直接的な攻撃は不得手だが、魔法は使いようさ」
サンナの肩にポリーが留まる。
「それに、可愛いだろ?」
ポリーがサンナにスリスリと頬を寄せた。
思ったより楽だったなと、私達は和気あいあいと山を下る途中、私はお喋りに夢中になってしまい、地面が凍っている場所に気づかずに、滑って尻餅をついてしまった。
「おい」
最後尾を歩いていたトシュデンが声を荒げる。
「すまん、まだ生きてた」
トシュデンの足が氷で固められている。信じがたいけど、どうやら魔獣が氷属性の魔法を使ったらしい。頭に矢を刺したままの魔獣は角の光を一層増し、堂々と立っている。
「頭部にこれだけ損傷を負っても動けるとは… 討伐報酬が高いはずだ」
矢をその魔獣の頭に射ち込んだサンナはあの魔獣がまだ動いていることが信じられない様子であった。
「しかも魔獣が魔法を使うだなんて、そんなことあり得るんでしょうか」
「あたしも、見たことがない」
私とサンナは武器を構える。ダリンは捻挫しているので戦力として数えるのは厳しいか。
鹿が雄叫びを上げる。
見渡す限りの辺り一面が凍りついた。7月だというのに、木々には霜が付き、近くで聞こえていた沢の音も止んで静寂があたりを支配する。氷によって足元が地面に固定され、物理的に動けなくなる。寒さに震えることさえできなかった。
魔獣が悠然とこの場を立ち去ろうとしていくのを只見守るしかないと思っていたとき、エネルギーが切れたように魔獣が膝から崩れ落ちた。
サンナの温風を送る魔法によって足元の氷が溶けていき、足先に血が巡っていくのを感じる。
「まさかあの状態から動き出すとはね」
サンナさんがクチを開く。
「完全にとどめを刺したと思ったんだがな」
「依頼書にはできるだけ損傷のない状態でもってこいといっていたが、また動き出されても敵わん。仕方ないだろうな」
トシュデンは倒れている魔獣の首に鉈を振り下ろす。刃は骨を断ち、魔獣の首はごとりと地面に転がった。
もう日も傾いていたので、昨晩と同様に私達はトシュデンさんが担いできたテントで野営することになった。川べりに置いてきた荷物まで引き返す。
「でもどうして最期、魔獣は倒れたんでしょうか」
下山しながら、私はサンナさんに質問する。
「魔法を制御できなかったことによるエーテルの使いすぎかもしれんが、詳しいことはわからんね。なんせ魔法を使う魔獣なんて聞いたこともないから」
荷物のところまでくると、ヘラジカの魔獣の魔法によるものだろう、川が凍りついていた。どれだけ強力な魔法を使ったら、どれだけのエーテルを溜め込んだらこんなに広範囲に影響が及ぶのだろう。私はわくわくしていた。この世界の魔法の作用にもっと触れて、自分で魔法を作ったりしてみたいと思った。そうすれば、いつか必ず私の先をゆく希子に会えるだろう。
【7月18日(土):現実世界】
布団の中で目を覚ました。時刻は午前十時を少し回ったところだ。
私の寝起きの頭はぼーっとしていて、希子がオリミーティリにいる可能性が高いという衝撃を受け入れる態勢が整っていない。一階に降りて、顔を洗ってようやく少し頭がスッキリして考えを巡らせれる状態になる。
私は冷静になるに連れて、そもそも私の思っている希子がオリミーティリにいたとして、私が希子に会う資格があるのかどうか不安になってくる。希子と私はダブルスのペアだったにもかかわらずあまりプライベートで仲良くするようなことはなかったし、そんな私を恨んでいるかもしれない。夢の中では、希子は私を許してくれるし仲良く喋ることもできるだろうという楽観的な思考をしていたけど、そんな保証はどこにもないのだ。希子と対面した結果、特に話すこともなくすぐに別れる場面が容易に想像できる。
私はネガティブな気分になって、それを打ち消すように今日のお祭りのことを考える。うん、面倒臭さよりも楽しみという気持ちのほうが勝っている。今のところは。
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