第九話 いざサールロイへ

【7月9日(木):オリミーティリ】



 私達四人はオプリ村で雇った馬車に揺られていた。さすがに空気タイヤではなかったものの、馬車のタイヤは外周にゴムが巻かれており、さらに車軸受けに板バネが仕込んであって、かなり快適な乗り心地だ。馬の蹄の音を環境音に、ゆったりと流れる原風景を眺める。もうすぐ7月になるけど、遠くの山にはまだ雪が被っていた。

 オプリ村を発ってしばらく経ち、日も高く登ってきた頃、馬車は山の麓に到着した。ここからは馬車で進むことはできないので、歩かなければならない。木々に囲まれた獣道が、ぽっかりと私達を招いている。

 馬車の料金は銅貨80枚だった。私はポケットから20銅貨出して、御者に渡す。ダリンが私の分まで出そうとするが、養ってもらうつもりはないので断った。馬車から荷物をおろして、それぞれの荷物を担ぐ。トシュデンの荷物には野営に必要なものが一通り入っていて、私では持ち上げることもままならそうなほど大きかったけど、トシュデンは軽々とそれを持ち上げた。私達はサールロイに向かってスラーヴ山脈を通り抜ける、第一歩を踏み出した。


 足場が不安定な獣道みたいなものを想像していたが、山道は意外と広く、踏み固められていて歩きやすい。二人が並んで歩けるくらいの幅はある。サールロイで獲った魔獣の素材を、歩荷のような人々がこの道を通って運んでいるのだろう。

 トシュデンとダリンはかねてからの知り合いだったので、積もる話があるらしく二人並んで歩きながら喋っている。なので、必然的に私はサンナと会話をする流れになった。

 サンナはダリンを救出するときに着ていた軍服はもう着ておらず、代わりに色使いが鮮やかな、民族衣装のような服を着ていて、赤色の髪に小麦色の肌をしているサンナにその衣装はよく似合っていた。そのことを伝えると、素敵な笑顔でニカッと笑った。

「私の故郷は南の国境付近でね。母親が子供にこういう衣装を送る習わしなんだ。綺麗だろ」

「素敵な風習ですね。私もいつか南の方にも行ってみたいなぁ」

「ああ、いいところだから是非来てもらいたいんだが、しばらくやめといたほうがいい」

「どうしてですか?」

「6年前までこの国が南のクシェール帝国と戦争をしていたのはしっているだろう? 私の故郷であるレナン州はその最前線になってしまってね。取ったり取り返されたりで街は荒れ果てて、最終的に国境は戦争前と変わらなかったんだが、今では難民と孤児ばかりの街になってしまった」

「そんな…」

「その時に知り合ったトシュデンと結婚して逃げ出した私は卑怯者さ。だが、私があそこにいてもできることはなかった。私は必ず、冒険者として大金を稼いで、レナンを復興させる。それが私と旦那の目的だね」

「そんな使命を背負っているのに私達の個人的な旅路に付き合わせちゃって、申し訳ないですね」

「ああ、気にすることはないよ。サールロイには、他のことで行きたくもあったしね。幻のドラゴンが出たという噂が流れたんだ。もう文献にしか残っていないが、約百年前、このアウリーン王国を恐怖に陥れたというあのドラゴンだ。討伐することができれば、莫大な賞金が手に入るらしい」

「それなら良かったです。ところで、百年前のドラゴンと今回現れたというドラゴンは同じ個体なんですかね?」

「さぁ、噂で聞いただけだからなんともいえんな。ただ、繁殖行動をしているとしたら、もっと多くの目撃情報があってもいいと思う」

「たしかに。ドラゴンがエーテルのエネルギーによって凶暴化する魔獣と同じだとすれば、動けるくらいエーテルを溜め込むまでこの百年間眠っていた、と考えることもできそう」

「そうだな。例えば何らかのトカゲがエーテルによって魔獣化したものがドラゴンだとすれば、一個体しか確認されていないのも説明がつくが… そうだ、思い出したことがある。同じような発想をしていた人物がいる。確かあれは… 私の弟子だったか」

「サンナさん、弟子がいたんですか」

「ああ。一人だけな。1年半前くらいに、3ヶ月ほど一緒に旅をした。正義感が強くて真面目で、教えたことはすぐに吸収してしまうから、教えがいがあったよ。丁度アリスと同じくらいの年齢だった。そういえば、肌の色や、顔の作りも似ているかもしれない。たしか東の方の出身と言っていたが、アリスと同郷かもしれんな」

 私と出身が同じなら、私と同じように寝ているときだけ異世界にくるような人物がいるのだろうか。東の方と言ったのも日本人っぽくはある。全然ありえない話ではない。一年半前といえば、私がバドミントンの新人戦に出て、全国大会まで勝ち上がった少し後のころか。

「私もどちらかといえば東の方の出身なので、同じかもしれませんね」

「そうか… アリスの出身地では、神を信じていない人が多いのか?」

 急な質問に困惑するけど、現実の日本を思い浮かべて答える。

「ここらへんに比べると信仰心は薄いかもしれませんね。でも、どうして急にそんな質問を?」

「いや、なんでもないんだ」

 サンナはごまかすようにはにかんだ。


 そんな感じで、雑談を交えながら私達は歩き続け、次第に日は落ちていった。山の尾根にある開けた場所で、今夜は野営することに決まった。私は荷物をおろして、張った足を休めるためにしゃがんだ。

 ここは標高が高く肌寒い。さっきからスイカが私のポケットの中で身震いをしている。両生類はたしか変温動物だったはず。妖精だけど、寒いのかもしれない。妖精は死ぬことはないはずだけど、いざ戦闘となったときに冬眠してしまっていたら大変だ。私はとりあえずスイカを肌着とシャツの隙間にねじ込んだ。少し前の私なら、蛙を胸元に入れるなんて考えられない行動だろう。ひんやりとした感覚を胸に感じた。

 各々が少しの間くつろいだ後、トシュデンは自分の背負っていた大きな荷物を漁って、渋い顔をして言う。

「パンは持ってきたが、それだけだと寂しいな」

「そうだね。じゃあ、アタシ達で狩りに行こうか」

「そうしよう」

 さすが夫婦だ。二人とも同じことを考えていたらしく、すぐに狩りにいくために、素手のまま暗い森へと分け入っていく。きっと二人でたくさんの修羅場をくぐり抜けてきて、背中を預け合うことのできる仲なのだろう。私は素直に羨ましくて、ダリンとそうありたいと思って、ダリンの方をチラと見た。分かったのか分かっていないのか、ダリンは私の方を見て少し頷いた。

 サンナが消える直前に振り向いて言う。

「焚き火でも焚いて待ってて! おいしい夜ご飯を持ってくるから!」

 残された私とダリンは、とりあえず言われたとおりに焚き火を作ることにした。適当な枝を拾って、円錐状に組み上げる。

「スイカ、ショック」

 私はスイカを胸元から取り出して、魔法を唱える。電流がおが屑に当たって、煙を上げる。ダリンが必死に息を吹き込むと炎が上がり、組み上げた木に着火する。私はおぉーと歓声を上げた。


 十分に温まって、眠くなってきたころ、ガサガサという音ともに、木々の間から熊が姿を見せた。トシュデンがもう狩りから帰ってきたのか。さすが早いなと思って、熊に近づく。やけに纏っているオーラが濃いような気がするのは、山の中でエーテルが濃いせいだろう。私が挨拶に右手を上げると、トシュデンも同じように右手を上げた。

「アリス!!」

 鬼気迫る声でダリンが叫ぶのが聞こえた。何事かと振り返ると、両手に槍を構えたダリンが走り寄ってくる。次の瞬間には、トシュデン… だと思っていた獣の右腕に深々とやりが突き刺さっていた。

「毛並みが赤みがかっている。こいつはトシュデンじゃない」

 熊の魔獣は雄叫びを上げて、槍に刺さった右腕を引っこ抜いた。

「よくわかったね! あの熊がトシュデンじゃないって!」

 私はダリンに言った。

「俺はエーテルの流れが見えない分、細かいことを意識的に覚えるように訓練してきたんだ。それにあれがもしトシュデンだったとしても、アリスに危害を加えるなら俺は戦う」

 ダリンはそう言って、私を護るような位置に移動する。私も短剣を取り出して、戦闘態勢を作った。


 改めて魔獣を見ても、私には毛並みの色合いが違うことはわからなかった。しかし、体から溢れ出すエーテルは周囲の景色を歪めるほど濃く、魔獣の強さを物語っている。体躯はトシュデンと同じくらいでものすごく大きく、恐怖心がこみ上げてくる。ダリンがいなければ、武器を取り出すことすらままならなかったかもしれない。

 ダリンは槍を中段に構えているが、脅威と見なしていないのだろう、右腕から血が流れていることを気にもせずそのまま突進してくる。ぶつかる直前に魔獣は首を傾け、その肩口に棒が浅く刺さった。

 私は魔獣の視界の外から横に逸れて、則背面に回り込むように動く。

 私のような非力が正面に陣取ってもやれることは少ないと思う。これで間違っていないはずだ。

 

 ダリンは魔獣の脳天を突き刺すように槍を構えていた。それをあの魔獣は、ダリンの反応が及ばない速度で最小限の動きで回避したのだ。エーテルに脳幹を侵された魔獣は凶暴化するとは聞いていたが、賢くなったり、痛みを感じなくなったりもするのかもしれない。致命的な一撃を与えないと倒すのは難しそうだ。

「ヴァンストローム!」

 ポケットから顔を出したスイカの口から水流が走る。前にこの魔法を使ったときはエーテルが抜ける感覚とともに立ちくらみがしたけど、今はそこまで辛くはない。エーテルの濃い山の中を歩いたおかげだ。水流は魔獣の後頭部へと直進し、当たった。

「やった」

 しかし、水は魔獣の長い体毛に弾かれて、地面に垂れた。私はコッカトリスと同じように、一番強い魔法が当たれば倒せると思っていたけど、それは間違いだった。何も感じなかったように私を無視して、魔獣はダリンんとの一対一を続けている。

 長い槍を巧みに操り、魔獣の突きやタックルのような直線的な攻撃を捌いてはいるけど、じりじりと押されていっているのが分かる。


 正直に言ってしまうと、情けないことに、私はほっとしていた。私の呪文に魔獣が一切反応しなかったことに。

 あの二つの真っ黒な眼球に睨まれたら、私の足は竦んでしまうだろう。勿論、その隙をダリンが逃さないと確信できるほどには信頼しているけど、それでも怖い。夢の中なのに、死にたくないと思ってしまう。

 私は恐怖心を追いやって、次は〈ショック〉を唱える。結果はやはり同じだった。冬眠明けの長い体毛が絶縁体の役割を果たしているのだろう。魔獣は痒みすら感じている様子を見せなかった。


 その間にも魔獣とダリンの戦闘は続く。ダリンが後ずさりつつも突いた一撃が魔獣の眉間を捉えた。頭蓋を貫いてはいないだろうが、さすがに堪えたらしく、魔獣がよろめく。

 呪文が意味をなさないとすれば私も接近戦を仕掛けるしかないだろう。ここで怖気づいていたら完全に足手まといだ。

 私は首筋に剣を突き立てようと飛び出す。その気配に気づいたのか、魔獣は右腕を振り向かずに振り回してきた。

 巨体のくせに動きが素早すぎる。既に体に勢いがついていて、避けることが出来ないと悟った私は、前腕と脛で防御姿勢を取る。

 ドンという衝撃の後、ペキッと何かが折れる音がした。痛みと共に私の体は吹っ飛んだ。

 ダリンはこれと対等に渡り合っていたのか、と思うと自分が情けなく感じた。

「アリス!!」と叫ぶ声が聞こえる。

 折れていることを覚悟しながら、なんとか立ち上がれる。腕もちゃんと動く。

 魔獣の方を見ると、右腕の最初にダリンが刺した傷と同じ場所に折れた剣先が刺さっていた。

 私は使い物にならなくなった剣を捨て、懐からダガーを取り出した。

 剣が折れて刺さったのは完全に偶然だけど、これはチャンスだ。

「ダリン!もう一回!ひるませて!!」

 私の言葉に小さく頷くと、ダリンは再度魔獣の顔面に槍を突きたてる。右腕を気にしていた魔獣は少し反応が遅れ、左目をかすった。

 私は魔獣の左側から懐に潜り込む。左腕が迫ってくることはなかった。


 ダガーを魔獣の左脇に刺す。ずぶりと刃が筋繊維に食い込む感触が感じられた。

服のポケットをぽんと叩くと、私の意図を察してスイカがポケットから飛び出る。そのままダガーの柄の上に飛び乗った。

 魔獣は私に対処するため次の一撃を構えるが、もう遅い。

「スイカ!ショック!!」

 私は一歩下がり、呪文を唱える。スイカの口から放たれた電撃は、魔獣の右腕に刺さっている折れた剣先へと一直線に走った。

 右腕から魔獣の体内へと侵入した電撃は左脇腹へと突き進む。その通り道にある心臓は、突如流れた高圧電流に不整脈を起こし、やがて停止した。

 魔獣は、うめき声を漏らしながらバタンと倒れた。私の所有するブローチに熊を魔獣化させていた大量のエーテルが吸い込まれる。しかし、倒れている熊が起き上がることはなかった。私はそれを見届けて、気絶するように眠りに落ちた。



【7月10日(金):現実世界】



 目が覚めると午前五時半だった。いつもよりだいぶ早く目が覚めてしまったけど、一回目が覚めるとどうしたって眠れないので、疲れた体を無理やり起こしてベッドから這い出る。暗い階段を降りてカーテンを開けると、意外と窓の外は明るかった。登校まで1時間以上も余裕があるので、何か三文以上の徳になるようなことをしたいと考えるけど、ぼんやりと痛む頭では何も思い浮かばない。とりあえず、なんとなくシャワーを浴びようと思い立ち、足ふきマットやバスタオルを用意して、脱衣所でパジャマを脱ぐ。熱いお湯を浴びていると頭もスッキリしてきて、一週間の最終日である今日も頑張れそうな気がしてきた。

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