第八話 バドミントン部で起こったこと
【7月9日(木):現実世界】
高校へと向かう通学路。私はクーラーの効いた電車内で揺られている。
朝の電車は混んでいるけれど、今日は運良く一つだけ席が空いていたので、葉月には申し訳ないが座らせてもらった。私は落ち着いて鞄から先日購入した新刊を取り出す。
主人公の少年が夏休みに、おばあちゃんの家で大きな怪物と出会うという内容。
最近人気のある作家のそのファンタジー小説は確かに面白いのだけれども、雰囲気作りのための地の文が冗長で若干目が滑る。
冒険の疲れと電車の振動が相まってうつらうつらと舟を漕いでしまう。左手から本が滑り落ちた。
バサという音で私は本を落とした事に気が付き、目を覚ました。拾い上げようと腰を折り、座席の下へと手を伸ばす。そのとき、座席と床の隙間で毛繕いをしている一角ウサギと目が合った。
見慣れていたので悲鳴は上げなかった。魔獣化したら捕まえるのが大変だし、今のうちに捕まえなくちゃと思い私は手を伸ばす。
その一角ウサギは毛を逆立てて少し威嚇してから背中を向け、どこかへと逃げていった。
仕方ないのでその伸ばした手で本を拾い上げて、自然な動作で再び読書へと戻った。
電車を降りて通学路を歩き、教室の前についた頃には電車内で見かけた一角ウサギのことなんてすっかり忘れて、私は小説の次の展開について妄想していた。私が思っているよりも私はあの小説に心を惹かれているのかもしれない。
学校について、授業を受ける。今日の二時間目は体育の授業だ。三組と合同で、バレーボールをする。一時間目終了のチャイムが鳴ってすぐ、私たち女子生徒は着替えを持って急いで女子更衣室へ向かう。休み時間は一〇分しかないので、授業に遅れてもとくに何も言われないが。
私は今日は体操着をセーラー服の下に着てきたので、着替えを簡単に済ませることができるけど、ゴム紐で紙を後ろに縛ったり、体育シューズの靴紐を結び直したりしてわざと更衣室を出るのを遅らせた。バレーのネットのポールは一人じゃ張れないから、友達の少ない私には向いていない作業だから。
私が更衣室を出る頃に、一年三組の人たちがどやどやと入ってくる。その中に楓がいた。校則で髪色は自由とはいえ、金髪のメッシュは流石に目立つ。
「相沢さん、今日も頼むよ。バシッと」
楓の周りの女子が言った。
「おう、任せとけ」
楓が軽く力こぶを作って返事をする。初めて楓と喋ったとき、楓は中庭のベンチで一人でご飯を食べていたから、てっきりクラスの人に恐れられているのかと思いきや、私と違ってちゃんと喋れる友達がいるようだ。まあ、別にだからどうということはないのだけど。
授業が始まり、準備体操をしてチームごとに別れる。私は同じクラスのリーダー格、沖春香と同じチームだ。チームで輪になって、トスを繰り返す。沖はバレー部に所属しているだけあって、さすがにトスくらいは簡単にこなす。基礎的な練習を済ませて、授業も残り35分弱になったところで、他チームと試合をすることになった。一戦目の相手は、楓率いる三組のチームだ。私と楓は試合前に、手加減してよーとか適当な話をして、それぞれのコートに別れた。
楓は身体能力が高く、私は背が高いので、アタッカーとしてネット越しに相対する。こっちのアンダーサーブを相手の後衛がなんとか拾って、トスを楓に上げた。楓のスパイクはブロックに成功するととても痛いので、当たりたくないと思いながらもジャンプしてブロックに参加する。楓の打ったスパイクは私の腕の横をすり抜けていった。着弾点になんとか沖が滑り込んで、ボールを上げた。トスが私のところに回ってくる。私はスパイクをしようとして、右側のスペースが空いているのを見つけて、そこにぺちんと落とした。慌てて楓が飛び込んだけど、ボールはコート外へとはじき出された。私は振り返って、慣例的にコートの中央にハイタッチしにいく。ただ、私のやる気のない態度が気に入らなかったのだろう、沖が私に向かってすごい睨んできた。
私はその目を見て、中学時代のバドミントン部での同級生、千々石希子のことを思い出した。
希子はバドミントン部の副部長で、誰よりも熱心に練習をする子で、そして私のダブルスのペアだった。一年生の初め、一緒に初心者として入部した頃は私のほうが全然上手だった。でも負けず嫌いの希子は毎日朝練に参加して、基礎練習も厭わず努力を積み重ねた。その結果、二年生に上がるころには、同学年で二番目に強いプレイヤーになっていて、私もたまにセットを取られるようになっていた。そして私からセットを奪うと決まって私を非難するようなあの目で睨むのだ。
希子とはダブルスを組んでいたけど、プライベートで遊んだのは一年生の頃に数えるほどしかなく、そこまで仲がいいというわけではなかった。希子のことは練習を頑張っているのをずっと見ていて尊敬していたし、多分希子も私を嫌いではなかったと思う。でも、苛烈な希子と事なかれ主義の私では反りが合わないことも多く、それ以上に私たちはライバルでもあったから。
懐かしいことを思い出して、感傷的な気分になってしまったけど、バレーの試合の方は沖の活躍もあって、かろうじて勝利することができた。私は現実世界では体育でしか体を動かす機会がなかったので鈍ってはいるけれど、何本かスパイクを決めることができた。やっぱり、久しぶりにスポーツをすると結構楽しい。私は自分の前腕を見て、ブロックしたところが赤くなっている事に気づいた。
3,4時限目の授業が終わって昼休みになるとすぐに、お弁当を持って教室を出た。体育がある日はいつもよりお腹が空く。私の成長期はまだ終わっていない。
中庭のベンチへと向かう途中の渡り廊下で、以前も同じ場所にいた、雰囲気だけダリンに似ていると言えなくもない男子生徒とすれ違った。
少し俯いて通り過ぎようとしたとき、「あ、あの」と私を呼び止めるような声が聞こえた。
接点が無いのになんだろうと思いながらその方向を見ると、彼と目が合った。目線だけで振り返ったため、少しにらむような恰好になってしまった。
「長野さん、ですよね?」
男子生徒は意を決したように話しかけてきた。
「そうですけど、誰ですか?」
私はそのままの体勢で返事をする。
男子生徒が、「そりゃあ名前も知らない奴に呼び出されても来ないよなぁ」と呟くのが聞こえたが、なんのことだかわからない。私が立ち去ろうとすると、男子生徒が話し始めたので体ごと振り返る。
「俺の名前は都築優斗っていうんだけど、知らないと思うけど、中学の頃バドミントン部に入っていて」
バドミントン部の話かとうんざりする。私のことを知らない人に、何も言われたくない。
「俺は全然全国に行けるような選手じゃなかったから、長野さんの足元にも及ばなかったんだけど、長野さんが強烈なスマッシュをバシバシ決めるの格好いいなぁって憧れてて、こっそり全国大会も見に行ったりして。それなのに、どうして辞め…」
「用件はそれだけ?」
私はそこまで聞いて、それ以上聞くのが嫌になって、彼の言葉を遮るように言った。男子生徒はどうして私が怒ったのかわからない様子で、何か言葉を続けようとするけど、私は踵を返して中庭へと歩き出した。男子生徒はその場に突っ立ったままだった。
私がバドミントン部を辞めた理由。それは希子が自殺をしたからだ。そんなこと、気軽に言えることじゃない。
彼女はその厳しさから部内で少し浮いていたのは確かだけど、それでもバド部の雰囲気は和気あいあいとしていたし、いじめがあったとかそういうわけではなかった。でも、注意深く思い出してみれば、自殺の兆候は確かにあったと思う。
ダブルスでは地区大会で負けたくせに、シングルスで全国大会に進んでしまった二年の夏の大会。思い返せばあの時から希子の様子が少しおかしかった。大会が終わってから、希子の性格は幾分か丸くなった。いや、丸くなったというよりは無気力になったと言ったほうが正しいかもしれない。朝練にもあまり行かなくなったし、疲れているような顔をすることが多くなった。それでも私は希子の変化に興味も持たずに漫然と練習をしていた。
それから半年後、三年生になったとき、希子は自殺して、私はバドミントン部をやめた。
希子の様子がおかしくなったきっかけは私のせいだ。多分、ダブルスでは県大会にも行けなかったのに、シングルスで私だけ全国に行ったからだ。それでも、私がもっと快活で希子の様子にもっと気を付けていたら、もしかしたら希子はまだ生きていて、元気に笑顔で練習に打ち込んでいたかもしれない。私が希子を殺したも同然なのに、どうしてバドミントン部にぬけぬけと在籍し続けられるだろうか。
それなのに、私の中学時代を知っている人は大抵あの男子生徒ような反応をする。「どうしてバドミントン辞めちゃったの?」とか、「もったいなね」とか。私は結局全国大会では一度も勝つことはできなかったから、全然もったいなくない。私は所詮、練習に熱心でもなく、プロになるほどの才能もなかったくせに、バドミントンに集中している振りをして希子を見殺しにした最低な選手でしかなかった。
沈んだ気持ちを抱えてで中庭に着くと、楓が一人でお弁当を広げていた。葉月がいないところで楓と喋ったことがないわけではないが、若干のぎこちなさがまだ残ってしまう。私は行こうかどうか少し迷って、そういえば二時限目にバレーボールの授業で対戦したなと思い出して、また歩き始めた。
「楓、今日のバレーボールめちゃ強かったね」
私はベンチに座って言った。
「結局負けちゃったけどね」
「こっちのチームにバレー部員いたから」
「たしかに私のスパイクはあの上手い人に結構拾われちゃったけど、でも得点したのって半分以上有朱でしょ? みんな有朱を頼ってたよね」
「私身長高いからね。雷が避雷針に落ちるようなもんだよ」
「ん? 避雷針? ああ、ボールが集まるってことか」
「そう」
「それにしても、すごいスパイクだったし、あれだけ運動できるのに帰宅部なんでしょ? もったいないと思うんだけど」
またか、と思ってすごい暗い気分になってしまったけど、それを悟られないように努めて笑顔で顔を上げる。葉月が遅れてやってくるのが見えた。助かったと思ってしまう。
「あ、葉月が来た」
私がそう言うと、楓が振り向く。
「クラスの人に捕まっちゃって」
葉月が言った。私と楓は「遅いよ〜」とか返事をした。さっきまでの話題は流れたことに私はホッとした。
【7月9日(木):オリミーティリ】
目を覚ますと、見慣れない部屋のベッドの上にいた。そういえば、昨日はエルタ村を脱出して、北のところにある集落、オプリ村に到着したんだっけ。オプリ村はエルタ村よりも一回り小さく、まだルトストレーム家の追っ手は辿り着いていないようだ。私は部屋の木製の窓を開けて光を取り入れる。今日も天気が良さそうだ。
陽の光に当てられて、ダリンもむくりと起き上がった。おはようと挨拶を交わす。昨晩部屋をとるときに、サンナが気を遣って同じ部屋にしたのだ。エルタ村ではずっと同じ部屋に住んでいたのでいまさらどうということもないけど、知らない土地でもダリンが隣にいるというのは安心する。
私はダリンを部屋から追い出し身支度をして食堂へ行く。サンナとトシュデンは既に席についていた。
「これからどうするか決まってるかい?」
今後のことについて、サンナが質問してくる。私はダリンの方を向いて、どう? と首を傾げた。
「急なことだったからな。これからのことなんか考えてる暇はなかった。まぁ、どんな状況になっても実家に監禁されるよりはましだろう。俺はアリスに付いていくさ」
ダリンはそう言って微笑んだ。
「私も必死だったし、情勢がよくわからないから。サンナさんは何かアイデアがあったんですか?」
「特に異存がないというなら、もっと北にいったところにあるサールロイに行くのがいいと思う。サールロイは王国の中でも最もエーテルが濃く、魔物の巣窟である地の一つ、スラーヴ山脈の麓にある都市だ。魔物の討伐のために作られたような都市で、自治権を冒険者が握っているからルトストレーム家も手を出し辛いはずだよ」
「だが、スラーヴ山脈の魔物は強いぞ」
トシュデンが忠告してくる。
「あそこには大きな火山があって、四六時中エーテルが溢れ出して魔物のエネルギーとなっているんだ。魔物の強さもここらへんの比じゃない。行くというなら俺たちも付いていくが、いつまでも面倒を見てやるというわけにはいかんぞ」
付いてきてくれるのか。口調は厳しいが、根は優しいのだろう。私は他の選択肢を持っているわけではないので、ダリンの方を見ると、ダリンも決意を固めたような表情で頷いた。
「追っ手を逃れたときから覚悟はできています。私たちも、もっと強くならなきゃ」
「よし、決まりだな。ここからサールロイまでは歩いて丸2日ほどかかる。早いうちに出発しておきたい」
サンナはそう言って、朝ごはんを豪快に食べ始める。私も負けじとフォークを動かした。
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