第七話 エルタ村からの脱出

【7月8日(水):オリミーティリ】



 宿屋の主人が案内してくれたのは、もう使っている人がいないであろう、経年劣化した道具が積み上げられた狭い部屋だった。部屋の隅には家蜘蛛が巣を作っており、棚の下の方に眠っている掃除道具もホコリを被っている。その棚のとなりにある扉が、裏通りへと出る扉らしい。

「ここから出られるが、本当にいいのかね。私は一ヶ月ほど前から君をこの宿で見ていたが、指名手配されている彼とはそんなに長い付き合いじゃないんだろう? そんな冒険者ギルドの正会員じゃない、どこの馬の骨ともわからんやつに付き合ってババを引くこともないと思うがね」

 主人はダリンに聞こえるような大声で嫌味を言う。衛兵に協力する気がないとはいえ、正式にギルドに登録していないダリンのことはよく思っていないのだろう。

「心配しなくても大丈夫ですよ。私が決めたことですから。この程度で仲間を見捨てていたら、女がすたるってもんですよ」

「そうかい。それならいいんだ」

 その様子を見ていたダリンも、主人に向かって礼を言った。

 軋むドアを開けて裏路地に出た私たちは、とりあえずギルドへ向かう。宿屋の主人と同様に、ギルドの人たちなら協力的だろうと考えてのことだった。ダリンは私の前を、顔を少し伏せて、しかし堂々と背筋を伸ばして歩く。この世界はまだ写真はなく、人相書きもそれほどあてにならなかった。すれ違ったくらいでは強いて捜そうとしていなければバレることはない。しかし、小さな村である。いずれは必ず出ていかなければならないときがやってくるに違いない。そうなったらどうしようか、妙案はまだ浮かんでいない。

 ギルドの前の道路についた私たちは、物陰からその様子をこっそりと見ていた。門の前には誰もいないが、もしかしたら中に憲兵が待ち構えているかもしれない。

「そこの路地で待ってて。私が中の様子を覗いてくるから。衛兵が駐在しているなんてことはないと思うけど」

「ああ、おう」

 ダリンは上の空の様子で、返事は歯切れが悪い。普段であれば「置いていくなよ」くらいの軽口を交わすところなんだけど、それが無いと少し心配になる。まあ、自分が指名手配されていることを知ってから数時間しか経っていないのだ。憔悴するのも無理はないことだろう。

 

 冒険者ギルドの建物の中に入ると、やはり受付には軍服を着た女性がいた。カウンターの前に立って、ギルドの受付嬢のサリアさんと何事かを喋っている。私は会話が聞こえる位置まで近づこうとして、サリアさんに呼ばれた。

「アリスちゃん! ちょっと来て」

「なんですか?」

 私は何食わぬ顔で軍服の女性に近づくけど、背中には冷や汗が伝った。

「アリスちゃんはこの人とパーティーを組んでいたわよね?」

 そう言ってサリアさんが掲げたのは、件の手配書であった。

 私はドアに向かって駆け出した。こんなところで捕まるわけには行かないのだ。ダリンにここもやばいって伝えないと。しかし、軍服の女性の反応は素早かった。

「アンレッグ」

 彼女が唱えた呪文に呼応し、肩に乗っていた白い鳥型の精霊が床に魔法陣を展開する。急速に成長した植物の蔦が私の足首に絡まった。私は走る勢いそのままに床に倒れ込みそうになったけど、軍服の女性が間一髪のところで私の腰を後ろから抱えて、女性とは思えないほどの腕力で引き起こした。

「手荒な真似をして悪かったね。私はサンナ・セーデルマンという者だ」

 サンナと名乗ったその女性は、赤色のかみに小麦色の肌を持ち、目鼻立ちのくっきりとした美人であった。私よりも20センチほど身長は低いけど、さっきの反応を見るに、魔法でも体術でもこの人に勝てないことは明白だ。しかし、私は精一杯強がって足に蔦が絡まったまま私はサンナを睨んだ。

「彼の場所は言いませんよ」

 言わないもなにも、ギルドを出てすぐの路地にいるのだが。ダリンは私がなかなか出てこないことを察して、一人で逃げてくれているだろうか。そう考えていると、サンナは少し笑って言った。

「ああ、そういうことね。別に私はダリンを捕まえたいんじゃないさ。むしろ逆、安全なところまで逃がすために探しているのさ」

「でもあなたは軍の所属なんでしょう?」

「この服は都合がいいから着てるだけで、本業は冒険者だよ。ほら」

 そう言ってサンナは冒険者の証のブローチを見せた。サリアさんと話していたとき親しげだったのはそういうことだったのか。

「でも安全なところまで逃がすって、どうやって? 多分だけど、この村の門は憲兵が塞いでいるでしょう?」

「強行突破さ。うちのペットが、外で待機してるからそれに乗ってね」

「うちのペット?」

「そう。力が強くて、賢くて、意外と可愛い顔をしている自慢のペットだ」

 よくわからなかったけど、ここは異世界だ。魔獣をペットにするような契約魔法があるのだろう。

 なぜこの人がダリンを助けたがっているのかわからないが、私とダリンの二人で逃げても当てがあるわけでもなし、この話に乗ったほうが勝率は高いように思える。

「わかりました。ダリンの場所を教えます。その代わり、私も連れて行ってください」

 サンナは始めは意外そうな顔をして、だんだん口元をにやけさせて言った。

「もちろんいいけど、君とダリンってそういう関係だったのかい」

「ち、違いますよ!」

 私は耳が熱くなるのを感じた。


 さて、そうと決まれば早速決行というわけで、ギルドを出た。この村に少し飽き始めていたこともあって、新しい冒険の予感に不安ながらも少しだけワクワクしていた。しかし、その気分はすぐに萎んでしまう。埃っぽく、地面にはゴミが散乱しており、ダリンの高貴な雰囲気には似合わない路地。そこにはダリンはおらず、街路風が吹きすさむのみだった。

 先程私が考えたとおり、私の戻りが遅いので不審に思って一人で逃げたのなら、寂しいけどまだいい。再会できることもあるだろう。ただ、私の直感はそうではないと告げていた。ダリンの様子は今朝からおかしかった。上の空だったり、殊勝にも感謝の言葉を発したり。そして私とはここで別れるのが当然であるような話の持って行き方をしていた。つまり、私に迷惑がかからないようにするために、自ら捕まりに行くことを選んだのではないだろうか。

「誰もいないじゃないか」

 サンナは呆れたように言った。

「多分、自分から憲兵に捕まりに言ったのだと思います。証拠はないですが」

「それは、ダリンが自ら望んでルトストレーム家に監禁されることをよしとした、ということかい?」

「…違います。彼はお父さんのことを良く言っていたことはなかったですから。おそらく、自分がいることで周りに迷惑をかけてしまうことを避けたかったんだと思います」

「そうか。なら、手分けしてダリンの居場所を捜そう。私はうちのペットを拾ってから向かう。連絡手段は、そうだな… 精霊召喚オプガルドの魔法は使えるかい? お互いに精霊を預けて、ダリンを見つけたら自分の精霊を呼び戻して、その跡を辿ることにしよう」

「あの… 私の言ったこと、疑わないんですか?」

「そんな時間はないし、それに君も… アリスも私のことを信じてくれているだろう? 詳しい事情は逃げた後に共有すればいいさ」

 そう言って、サンナは私に肩に乗っていた鳥の精霊をよこした。私もお腹のポケットからスイカを取り出し、サンナに渡す。サンナはヤドクガエルの毒々しい見た目にも動じることなく、手のひらにスイカを乗せた。

「真っ白だけど、クロウタドリのポリーだ」

「ヤドクガエルのスイカです」

 ポリーはすんなりと私のポケットに収まった。それから私はダリンを探しに、サンナは茂みの方へと別れた。


 ダリンがどこにいるかだけど、自首をしたと仮定すれば、それは宿に戻ったわけではないだろう。よくしてくれた亭主に迷惑がかかるようなことはしないはずだ。だとすれば、最も可能性が高いのは、絶対に憲兵が見張っている東西南北にある4つの門のどれかだ。私は最も近い西門から時計回りに見て回ることにした。

 西門には憲兵が暇そうに突っ立ってるだけで、ダリンはいなかった。私はダリンを見つけたらなんて言おうか考えながら歩く。無理やり攫うことになるわけだから、もしそれがダリンの本意ではなかったらどうしよう。あの怜悧な目で糾弾されたらと思うと不安で仕方がないけど、歩みは止められない。

 北門には憲兵がいなかった。街の中心にある詰所へと続く道を振り返ると、ダリンとそれを護送する兵士三人の姿が遠くに見える。私はそれを走って追いかけた。10メートル圏内ほどまで追いついたところで羊皮紙の魔法陣を取り出し、手を当ててエーテルを送り込む。魔法陣が発光し、精霊召喚オプガルドの魔法が起動したことを示した。ほどなくして、ポリーがエーテルの集合体となってポケットから飛び出る。サンナも魔法を起動したようだ。その光源が道なりに飛んでいくのを見送った。

 私はダリンを見失わないように付かず離れずの位置を保っていた。ダリンは手を縄で縛られ、その一端を一人の兵士が握っている。憲兵たちは自首をした人が逃げるはずがないと考えているようで、簡単に攫えそうなのは好都合だった。しばらく着けていると向こうから飛来した光のもやが私のポケットに収まり、スイカへと姿を変えた。そして、それを追いかけるように覆面をしたサンナが巨大な熊に跨って突っ込んできた。想像していたよりも何杯も物凄い迫力でそれは迫ってくる。トラックと相撲をとっても寄り切りそうな勢いである。私は咄嗟に路地へと隠れた。

「どきな!!」

 突進してくる脅威に恐れをなした兵士は、膝をついてよたよたと道の脇へと逃れる。すれ違いざまにサンナが魔法陣を展開したのが見えた。三人の兵士の足には蔦が絡みついて、身動きが取れなくなる。ダリンは突然の事態に狼狽しながらあたりを見回した。私が手招きをするとダリンはそれに気づいたようだ。見知った顔に安心したような様子で、上半身だけで捕まえようとしてくる憲兵の手をするりと躱しながら、私のいる路地へと消えた。


「どうして…」

 ダリンは困ったような顔で呟く。

「いいから。逃げよう」

「だが…」

 私は煮えきらない態度のダリンの手を握って引っ張る。私の真剣な表情を見て覚悟を決めたらしく、ダリンも握り返してくる。私は手の温もりを感じながら、比較的大きめの通りを一本外れた路地を北門の方向に向かって走った。

 北門の木製の吊り下げ式の大きな門は閉まっていたが、人が通るための扉は開いていた。北門の外に出ると、サンナが巨大な熊に跨ったままスタンバイしていた。なるほどよく見るとつぶらな瞳で、可愛いかもしれない。

「この人は?」

 ダリンは尋ねる。

「冒険者、ということ以外わからないけど、逃げるのに協力してもらったの」

 私はざっくりと説明する。

「で、ダリンはどうして捕まっていたの? このまま逃げてもいいの?」

 私はもっとも重要なことを尋ねる。ダリンは決意を固めた様子で、口を開いた。

「俺は、自首することが君を護る最善の手段だと思っていた。だからそうしたんだ。でも、違ったみたいだ。君が許すなら、また一緒に冒険がしたい」

 乗りな、というサンナのジェスチャーを見て、二人で熊に跨った。サンナの「走っていいよ」という指示により、走り出す。賢いとは聞いていたが、人間の言葉がわかるなんて、賢すぎやしないだろうか。ふわふわした毛並みは気持ちよかったが、走り出すと下から突き上げられるような揺れが激しく乗り心地がいいとは言えなかった。サンナの腰に回した手に力が入る。ダリンもそれは同じなようで、私の背中一面にダリンの体温を感じた。


 町中で爆走していたときと違ってだいぶ抑えて走ったようで、ゆったり漕ぐ自転車くらいの速度で森を抜けたけど、それでもしがみついているだけで結構疲れる。サンナは「停まって」と声を掛けると、熊はゆったりと減速して停まった。

 森を抜けたそこは、膝くらいの雑草が無造作に生えた丘陵地帯だった。丘の上にはエルタ村よりも小さそうな集落が見える。私たちが降りると、熊は両サイドにぶら下げていた大きな荷物をするどい爪が生えた手で器用に下ろした。そして、さすがに聞き取れはしないが、まるで人間に近いような声で鳴いた。その瞬間、熊の体が魔法を使ったときと同じような輝きを放った。

 私とダリンはぽかんと口を開けてその様子を見る他なかった。サンナはその反応を期待していたのか、にやついている。輝きが収束したとき、大きな熊だったものは、可愛らしい子熊の精霊と髭面の大柄な男性に分離していた。

 こんな魔法は今までに見たこともない。私は熊が人間に変身したことに唖然としてしばらく呆けてしまったが、先に動いたのはダリンだった。

「その髭、丸太のような手足… トシュデンか!」

「ああ。ダリンも大きくなったな」

 大男はニカッと笑って手を差し出す。二人はガッチリと握手をした。

「すごい… 魔法ですね」

 私は気を取り直して言った。

「そうだろう? 私が作ったんだ」

 サンナが自慢げに言った。サンナは自力で魔法を構築することができる、魔道士だったのだ。


 私たちは荷物に腰を掛けて、お互いに情報交換をした。まとめると、ダリンの祖父、ガレン・ルトストレーム将軍の直属の部下が、熊に変身していたトシュデン・セーデルマンで、その妻がサンナらしい。トシュデンはガレンと個人的な親交があり、祖父に溺愛されていたダリンともしばしば会っていたようだ。トシュデンは既に退役して一介の冒険者となっていたが、ルトストレーム家の内部の問題をよく理解しており、こうしてかつての上司の孫を助けに来たのであった。ガレンのことについて語るトシュデンはえらく情熱的で、言葉の端々にガレンへの尊敬の念を感じ取れた。

 一通り必要なことを喋ったあと、サンナはしみじみと言った。

「それにしても災難だったね。実の父親に指名手配されちまうなんてさ」

「そうですね。縁は切ったつもりだったんですが、まさか父がこんな手段を取ってくるとは想像もしてなかった」

「もし捕まっていたら、どうなってたんだい」

「父は俺のせいでルトストレーム家の評判が落ちていると考えているから、城に軟禁状態になるのは間違いないですね。魔法が使えないという点でそれは真実かもしれないけど」

 そこまで言って、ダリンはサンナとトシュデンに向き直る。

「だから、助けてくださり本当にありがとうございます」

 ダリンは深々と頭を下げる。夫妻は全然気にしていない様子で、いいっていいってと手をひらひらさせた。気のいい夫婦だ。

「アリスも、君にはパーティーを組んだときから本当に世話になったけど、また借りを作ってしまったね。アリスには感謝してもしきれないけど、次は必ず俺が君を護るよ」

 ダリンは私に向かって、歯の浮くようなセリフを浴びせる。

「私は全然貸しだなんて思ってないよ。私はダリンともっと一緒に冒険したいし、ダリンもそう思っているなら嬉しい」

 私もすっかりヒロインの気分になって、目には涙さえ浮かべながら答える。ダリンは優しく私の頭を撫でた。どうやら私の冷静な部分は今は就寝中らしい。こっ恥ずかしい状況も普段なら絶対言わないセリフも、今は気にならなかった。


 もう日も暮れてきて今晩は丘の上の集落で休むことに決まった。トシュデンにコネがあって、安全な宿があるらしい。暗い中歩いて抜けるには森は危険だし、東の方から森を迂回したら馬車を使っても追いつくことはできない距離だ。エルタ村にいた憲兵がここまでやってくることはもうないだろう。私たちは荷物を担ぎ、丘の上に向かって歩き始めた。



【7月9日(木):現実世界】



 目が覚めると自宅のベッドの中だった。

 私は夢の中での、ダリンとのあのやり取りを思い出して、枕に顔を埋める。なんて恥ずかしいことを言ってしまったんだ私は!! あんなのは私の柄じゃない。もしもあのシチュエーションを同級生に見られていたら、不登校待ったなしだ。

 ひとしきり悶えた後、私は自室の押入れの横にある姿見を見て、自分の容姿を再確認する。どう考えても、サイズ感が少女漫画のヒロインのそれではない。ダリンの方が背が高いとはいえ、よくこんなでかい女の頭を撫でようという気になったものだ。私は汗ばんだ男物のパジャマを脱ぎ捨てて、体操着に着替えた。

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