第六話 学校のアイドルについて

【7月8日(水):現実世界】



 1年四組に永野有紗という女子生徒がいる。入学当時から何かと話題に上がることが多い人物だけど、その理由は彼女をひと目見れば誰もが理解することが出来た。彼女はおおよそ人類が想像できる最も整った顔をしており、その所作はつま先まで完璧に計算されているように優雅だった。

 彼女を初めて見たのは入学式の生徒代表挨拶を務める姿だった。背中にかかった綺麗な黒髪に天窓からの光が差し、宙に舞う埃と共にキラキラと輝いていた。まるで絵画のような美しさに、誰もが息をのんだのを覚えている。

 そんな美少女だから当然、永野有紗は毎日のように異性から告白をされる。お付き合いの申し出は全て断っているようだが、その断り方もとても真摯で丁寧であり、彼女の評価は日に日に増している。


 今日は梅雨明け間近のラストスパートと言わんばかりに結構な雨が降っていて、靴下が濡れてしまって気持ち悪い。わたしは靴箱の前で靴と靴下を脱いでから、フェイスタオルで足を拭いて靴下を履き替える。足元の不愉快さが取り除かれて少し上がったテンションは、靴箱を開けた途端にみるみる下がった。またラブレターが入っていたのだ。入学してから三通目のラブレターで、うんざりする。

 目の前にあるこのラブレターは私に当てられたものではなく、永野有紗宛のものが私の方にまぎれてしまったものだ。私と永野有紗は隣のクラスでかつ同じ出席番号で、特に他学年の人なんかにはよく間違えられる。ラブレターといえばそれが誰から出されたものであれ受け取る側は多少なり嬉しいものだと思うけど、こと私に限っては全く嬉しくなかった。それどころか、最初にラブレターが入っていたときに舞い上がってしまったことを思い出して恥ずかしくなる。私宛だなんてそんなこと、ありえるわけがないのに。

 ピンク色の封筒に入れられた薄っぺらい紙。差出人の脳内の色と人間性の薄っぺらさを表しているみたい。封筒には何も書かれていないけど、内容は分かっている。私はため息をついて自分のクラスの靴箱の裏側に行き、永野と書かれた名札の貼ってある扉を開け、その手紙を入れた。

 こんなことをしなければいけないのも、全て永野有紗が悪い。彼女が送られてきたラブレター全てに律儀にお断りの返事を書くから、付き合うことが無理だと分かっていても手紙を出す輩が後を絶たないのだ。きっと大切に保管しておいて、永野有紗が芸能界入りしたら見せびらかすつもりなのだろう。私もサインくらい貰っておくべきだろうか。これだけ迷惑を掛けられているのだから、そのくらいの権利はあるはず。


「今日も靴箱にラブレターが入っててさ、困っちゃうよ」

 昼休み、机にお弁当を広げながら葉月に話しかける。今日は雨が降っているので適当な空き教室に忍び込んでのランチタイムだ。中庭でご飯にする時と違って、楓はいない。別に楓のことを嫌ってるわけじゃないんだけど、やっぱり二人きりの方が落ち着く。

「モテる女は辛いね」

 葉月は私の事情を知りながら、冗談で返してきた。

「全部永野有紗の元へ届けられるんだけど。これまでも、これからも…」

「悲しくなるけど、あんな美人じゃ仕方ないよね。色々とすごい噂があるし。実家がアメリカにあるとか、世界一のIT企業の社長の隠し子だとか、エリア51に顔パスとか」

 普通の人なら嘘をつくなと一蹴されてしまうところだけど、永野有紗ならありえなくもないと思わせてしまうのが彼女のすごいところだ。

「私達でも何か永野有紗に関する噂を作って広めちゃう?日頃の恨みも込めて」と葉月が提案する。

「私は別に恨んではないけど。ただ面倒くさいだけで…」

 永野有紗に対して恨んでいるとかそういう感情はない。雲の上の人すぎて、恨みや憧れが及ばない次元に彼女はいる。だからこそ、芸能人の噂話をするように、適当なことを気ままに言えるのかもしれない。

「モナリザのモデルになった、とか?」

「いいねいいね。レオナルド・ダヴィンチが存命ならだけど」

「え、ダヴィンチってもう亡くなってるの?」と私はとぼけた。

 葉月も少し考えて、

「美容整形クリニックには必ず永野有紗の蝋人形が置いてある、ってのはどう?」

「確かに、あの見た目は人類の美の最終目標みたいな感じだもんね。ありえなくはない… かな?」

 ありえないでしょと葉月が突っ込む。

 こういう下らない会話を葉月としているといつも考えることがある。昔から、葉月の会話は気まぐれだった。私はそんな話題にについて行こうとしてできるだけ頭をフル回転させているうちに、いつしかそれが私たちの間での自然になった。でも、葉月が別の友人と二人で喋るときは、どのような会話をするのだろうか。しょうもない冗談を言い合っては笑っているのだろうか。私は多分、意識的に葉月が私の知らない友人と一緒にいるところから目をそらしてきたので分からないけど、できればそれが陳腐な、工夫のない会話であったらいいと思った。


 空になったお弁当箱を抱えてそれぞれの教室へと戻る。

 私はつかれた脳を癒すように、大きな体を机に突っ伏して残りの休み時間をやり過ごす。そういえば、他にもなにか考えないといけないことがあったっけ…

 そうだ。ダリンが指名手配された件についてだった。

 ダリンと父親の確執のことを考えると、素直に自首するのは論外だ。もし秘密裏にことが運んでいたら、ダリンは実家に戻った後に軍に加入するようなこともできたかもしれないけど、あそこまで大っぴらに犯罪者として指名手配したということは、捕まえた後は牢に繋ぐぞという宣言に違いない。

 もし指名手配犯であるダリンを見捨ててエルタ村に留まった場合、仲間探しからやり直しだ。ロールプレイングゲームで一週間前のセーブデータをロードするようなもので、すこぶる面倒くさい。エルタ村の景色にも飽きてきたが、他の街へ行くにせよ情報収集を一人でしないといけない。一方でダリンと一緒に逃げた場合、仮に首尾よく逃げることができたとしても、二人とも頼れる人がいないため大変な旅路になるだろう。しかし、必然的に他の街へ行くことになるし退屈はしない。映画のヒロインになったような気分で、状況を楽しめるかもしれない。

 現実に影響が出るわけでもないし、夢の中の世界でつまらない選択肢を選んでも仕方がない気がする。私はダリンと一緒に逃げようと決意した。どうしようもなくなったら、逃避行から降りればよい。私はそう考えて、ダリンと共に行動することに決めた。



【7月8日(水):オリミーティリ】



 明朝、日も出てないうちに目覚めた私はノックもせずにダリンの部屋へと入る。ダリンはまだベッドに横たわってぐっすりと寝ていた。どうやらいい夢をみているようで、口元が緩んでいる。ずっと見ていたくなるほどにきれいな寝顔だったけど、そんな暇はない。私はダリンがそれを望めば、ダリンと一緒に追っ手から逃げると決めたのだ。

 ダリンの肩を揺さぶって無理やり起こす。目を覚ましたダリンの格好は、昨日討伐に出かけたときの豪華な服のままだった。

「ダリン、よく聞いて」

「ん? …おはよう」

「挨拶してる暇はないの。あなたは今、指名手配されている。被告はルトストレーム家。ダリンのお父さんでしょうね。ここまでは、いい?」

 眠たそうにしていたダリンの目は、次第に瞳孔が開き、そしてせわしなく白黒と変化する。ダリンは、自身が指名手配されていることを知らなかった。

「は? 父が、俺を指名手配? 何を馬鹿なことを…」

「罪状は、窃盗およびルトストレーム家に対する誹謗と書かれていたんだけど、なにか、指名手配をされるようなことをした心当たりはある?」

「心当たりといえば、昨日使用した魔力瓶をこっそり持ち出したくらいだが、それだって元は祖父の遺した物だし、父にとってほとんど痛手ではないはずなんだ。それに、誹謗だなんて絶対にありえない。なぜなら、俺が自分の事情を話したのはアリスだけだからな」

 そう言って、ダリンは首をかしげる。私にしか話していないから、そのことが広まっていることはありえないということは、私のことを信用してくれている、ということでいいのかな。

 魔力瓶の窃盗も言いがかりに近いのであれば、大方ダリンの父親がダリンを捕まえたいがためにでっちあげた罪状なのだろう。あるいは、ルトストレーム家の醜聞をダリンのせいだということにする意図もあるのかもしれない。

「ここの宿の主人は捕物に協力的ではないけど、厄介は避けたいと考えている。頼めば人目につかないように宿から出してくれるはず」

「そうか。じゃあ、アリスとはここでお別れだな」

 ダリンは荷物の入ったリュックを背負って、出ていこうとする。その横顔はやっぱり格好良かったけど、どこか悲しそうにも見えた。私は咄嗟にその腕を取って引き止める。

「待って。私も支度をするから」

「やめておいたほうがいい。俺と一緒に行動するということは、アリスまでお尋ね者になる可能性があるってことだ。これまで迷惑をかけてきて、そこまで恩知らずな真似はできない」

「そんなことはわかってる。昨晩ずっと考えて、私がそう決めたことだから。それに、私は迷惑だなんて思ったことは一度もないよ。パーティーを組んでからずっと楽しかったし」

「そうか。人から必要とされるということが、こんなに嬉しいことだなんて知らなかった。廃嫡される前も腫れ物のような扱いを受けていたし、されてからもいいことなんて一つもないと思ってたけど、アリスに出会えたことは俺の人生で一番の幸運だ」

「いいことだって幸運だって、これからも沢山ある。二人で逃げればなんとかなるよ」

「そうかもしれないな。俺のやるべきことがわかった気がするよ。裏口から逃げるんだっけ? この部屋で待ってるから」

 私は支度をするために自分の部屋に戻る。ただ、ベッドに腰を掛けているダリンの表情が今までに見たことないほど優しい表情をしていたことだけが私を不安にさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る