第五話 魔法使いアリス

【7月7日(火):オリミーティリ】



 朝の支度を済ませた私は魔法店に来ていた。店の外観は円錐型の屋根のかわいらしい建物だったけど、中に入ると薄暗くいかにもという雰囲気が漂っている。朝早い時間なので店の客は私一人だった。ゆっくり落ち着いて魔法を試すことが出来そうだ。

 私は初級魔法から順に魔法を試していく。

 あのごろつきが相棒なんて素敵な言葉で表せる関係を築けていたのかはともかく、スイカの元相棒が言っていた、スイカは全く魔法を覚えないというのは嘘だった。魔法店の店主が言うには、妖精との関係性も魔法を覚えるかどうかに関わってくるらしい。私は魔法を試すたびに、私の体からエーテルが吸い取られ物理的なエネルギーへと変換される不思議な感覚に感嘆の声を上げた。

 魔術師と呼ばれる職業の人たちによってエーテルの練り込まれたインクで描かれた魔法陣は、私にはさっぱり解らない。妖精が魔法陣をその体に吸収し、魔法を使えるようになると、魔法陣は消えて羊皮紙はまっさらに戻ってしまう。そして客はその時点でお金を払わなければならない。予算をオーバーするような強力な魔法は試すことすらできない。

 スイカはカエルの妖精だけあって水系統の魔法をよく覚えた。特に私のお金が足りる範囲で最も強力そうな魔法が〈ヴァンストローム〉という魔法で、高圧の水流を発射して木の板程度なら貫けるらしい。しかし、他の系統の魔法は全く覚えなかった。ただ一つ、火属性の魔法で〈ショック〉を除いては。

 私は試せるだけ試して、それに応じた代金を払って店を出た。結局、4つほどしか魔法を買えなかったけど、ほぼ素寒貧になってしまった。また稼ぎなおさないと。


「えーと、ショック」

 私が呪文を唱えると、ポケットから顔を出したスイカの鼻先に魔法陣が展開され、魔法が放たれた。魔法が直撃した木を観察すると、やはり少し焦げていた。

 私は宿屋の裏手にある雑木林で魔法を試し打ちしていた。〈ヴァンストローム〉は一度使うだけでエーテルが欠乏して貧血のような感覚に襲われたけど、威力は抜群だった。しかし、それよりも私の興味を引いたのは〈ショック〉だ。

 この呪文だけ異質だった。水属性以外の魔法でスイカが唯一覚えた魔法で、さらに、他の魔法、例えば水流を噴射する〈ヴァンストローム〉はその威力や範囲によって細かく分けられていたけど、〈ショック〉には派生する魔法がなく、これだけしかあの魔法店には置いていなかった。そして威力の割に値段が高い。魔法店の店員さんに聞いたら、誰かが偶然発見した魔法らしく、原理が分からないから使える妖精も、使おうと思う人も少ないらしい。

 なんのことはない。その正体は電撃である。この時代の人は電気という概念を知らないだけだ。多分、あの魔法陣は偶然の産物。そうでなかったら、もっと色々な派生魔法が開発されているだろう。原理を理解していなければ魔法は開発することはできない。つまり、私だけがこの魔法の開発を行うことができるのだ。スイカが〈ショック〉を使えたのも運が良かった。ここまで条件が重なったら、やるしかないだろう。あとは魔法陣の書き方を誰かから教わるだけなのだから。もしかしたら、それが一番の鬼門かもしれないけど。

「精が出るね。少しは実践で使えるようになった?」

 さっきまで近くで朝の日課の素振りをしていたダリンは手を止めて、適当な石に腰を掛け私の魔法の練習の様子を観察する。きれいな顔で見つめられると恥ずかしくて、私もスイカをポケットにしまう。

「次の依頼で使ってみる。そっちも毎朝素振りしてて偉いね」

「毎日鍛錬を欠かさないってのは、死んだ祖父との約束事だから。一日サボると取り返すのに3日かかるぞって」

「お祖父ちゃんのこと、大好きだったんだね」

「大好きって… その言い方はずるいな。まあ、あながち間違いではないが」

 私が茶化すような口調で喋っても、ダリンはいつもの渋面を崩さずに答える。これでもであった頃よりは大分打ち解けて、たまにはダリンが冗談を言ってくる日もある。それにしても、ダリンは毎日鍛錬を欠かさない努力家で、人間的にも全く問題がないように思う。ただ魔力がなかったというだけでダリンを廃嫡にしたルトストレーム家の現当主は、よっぽど見る目がないのだろう。


 鍛錬を終えた私たちは冒険者ギルドに来ていた。解体所も受付も盛況で、職員は忙しなく動いていて活気がある。

 さて、今日は何をしようかと私は掲示板を見ながら考える。といっても、お金をほとんど魔法店で使ってしまったので、また稼ぎ直しだ。異世界まで資本主義に支配されてなくてもいいのではないかとは少し思うけれど、ここは中世のヨーロッパ(に近い世界と思われる)。おそらく人権という概念すら存在しない。自由にお金を稼げる立場にあるというだけでありがたいのかもしれない。

 依頼で稼いだお金は二人で分けているので、ダリンもそれなりにお金を貯め込んでいるはずだけど、それでも付き合ってくれるのはありがたい。一人では敵わない依頼の方が割がいいというのもあるし、一人で慣れた森に入るのは退屈だ。エルタ村のある地域は災害などとは無縁な、エーテルの流れが安定している土地なのであまり強い魔獣は誕生しない。山間部の火山地帯に行けばエーテルを一身に貯め込んだ巨大な魔獣が大怪獣バトルを繰り広げてると聞く。そろそろ活動範囲を広げるべきだろうか。


 拠点を移す話はひとまず置いといて、いつものように掲示板から適当な依頼を探し、冒険者ギルドの受付嬢に報告する。私のブローチを確認、こなれた手付きで手続きを受付嬢が手続きを進める。最初はギルドに登録していないダリンを訝し気に見ていたけど、一週間経った今では気にも留めない。

 私達はエルタ村の北門を通って依頼に出されていたニワトリの魔獣が出るという湿地帯へと向かう。エルタ村の北に位置する湿地帯はきれいな睡蓮が一面に咲いていて景色は好きなんだけど、地面がいつもぬかるんでいるのがどうにも嫌いだ。とっておきの革靴を履いて、私はべちゃべちゃと纏わりつく泥をぬかるんだ地面で拭うようにして歩く。

「歩きにくい? 背負ってやろうか?」

 私がしかめっ面で歩いていると、見かねたダリンが提案をしてくれる。とても魅力的な提案だったけど、180センチ近い私がダリンの背中に乗っているところを想像して申し訳なくなる。葉月くらいの体躯なら遠慮なくおぶってもらうのにと羨ましくなるけど、ないものねだりというものだろう。

「遠慮しておくわ。どうせ重いとか言うんでしょう」

 と自虐混じりに返事をする。

「あはは。確かに、君をおぶったら埋まってしまいそうな地面だ」

「失礼な!」

 無神経な発言に憤慨するふりをしつつ、その実ちょっとした冗談が通じたことが嬉しかったりする。

 しばらく歩いていると、足の裏にふと硬い感触を感じて足を止める。するとすぐにその感触は元の泥のそれに戻る。

「ダリン、これ」

「ああ、コッカトリスがいるみたいだ。地面を石化させながら移動している。コッカトリスの石化はせいぜい一分程度しか保たないからそう遠くには行ってないはずだ」

「石化してる道を辿ればいいのね。簡単だね」

 周囲から不自然に浮いている石の道をダリンは駆けていく。私もその後ろを着いていく。その道は睡蓮の咲く沼地に続いており、その先にコッカトリスの姿が見えた。その今にも石化魔法を放ちそうな、黄色く発光した両眼はまっすぐにダリンを捉えていた。


 ニワトリの魔獣の中でも眼球から石化魔法を放つ種類のことをコッカトリスと呼ぶ。そう聞いたことはあったものの実際に出会うのは初めてだった。現実世界の方でよく見る(実物を見たことはあまりないが)白色のいかにも無害そうなニワトリとは異なり、全身野性味あふれる茶色の上泥に塗れており、もし翼がもう少し大きければ大空へ羽ばたいていきそうなほどスマートな体をしている。

 恐ろしいのは、石化魔法を食らい動けなくなったところを大きな嘴で砕かれることだ。欠損した箇所は当然、もとには戻らない。


 そんな魔法がダリンに向けられている。私は咄嗟に、「ショック!!」と魔法を発動する。腹部のポケットから顔を出したスイカが空中に魔法陣を展開する。淡い光を放つ円形の図形が回転しつつその光量を増していく。魔法の発動はスイカのほうが速かった。放たれた電撃は一直線にコッカトリスに向けて直進し…

 次の瞬間、信じられないことが起こった。まるでメジャーリーガーのスライダーのように、電撃の軌道が曲がったのだ!! …雷って、一番高い木に、つまり放電された場所から一番近い場所に落ちるんだっけ??

 考えてる暇なんてないけど、事実ダリンに吸い込まれるように曲がる電撃。もしかしたらコッカトリスの魔法だけならダリンは避けられたかもしれない。だけど後ろから、しかも味方から放たれた魔法を回避することなんて不可能だ。ダリンがまず電撃によって筋肉が痙攣し動けなくなったところに、容赦なくコッカトリスの石化魔法が直撃した。

 私の体は考えるよりも早く動いた。石化したダリンが砕かれることだけは防がなくてはならない。視界の端にダリンの石像が倒れていくのを確認する。沼地でよかった。ダガーを抜いてダリンの前に躍り出る。コッカトリスの嘴が眼前に迫ってくるけど、私は逃げない。こんなしょうもないことでダリンを失ったら、私は私を一生軽蔑する。

 なんとかダガーを大きな嘴に沿わせ、力を逸らす。コッカトリスは私から距離を取って、ダリンと同じように私も石化させようとしてくる。

 同じ間違いはしない。

「ヴァンストローム!!」

 購入した魔法の中で最大威力の魔法を叫ぶ。体からエーテルがごっそり持っていかれるのを感じる。今にも膝をついてしまいそうになるほどの強烈な眠気を必死で我慢する。スイカの展開する魔法陣から発射された高圧の水流は今度こそまっすぐ飛び、コッカトリスの頸椎に穴を穿っていた。それを見て安心した私は、泥の中に後頭部から倒れ込んだ。刺し違えた石化魔法によって下半身は石化していたので、受け身は取れなかった。


 数十秒経って足が自由に動くようになったので泥の中から這い出て、全身についた泥を手で払い除ける。ダリンは石化は解けていたが、動いてはいなかった。傍に寄って容態を確認する。大丈夫、脈は正常だし、呼吸もちゃんとしている。こういうときは顎を上げて、舌が気道を塞がないようにするんだったか。見様見真似で顎をクイッと持ち上げてみる。ダリンの呼吸音が幾分か静かになった。

 それにしてもまるで芸術品のようにきれいな顔をしている。髪の毛を伸ばしたらお姫様と見紛うほどだ。キスでもしたら目を覚ますかしらなんて邪な考えを起こさないように、エルタ村まで帰る手段を考えるけど何も思いつかない。とりあえずダリンの脇に腕を回して草の上まで移動させる。

 エルタ村まで結構近い距離だとはいえ、私よりも背の高い男性を担いで帰るのは不可能だし、かといって野宿ができるほどの装備は持ってきてない。どうしたものかと思案していると、ダリンが目を覚ました。

「えいっつ…」

 ダリンが言語にならないうめき声を上げる。

「気づいた!?」

「ん…、なんかコッカトリスと対峙していたはずが、急に体がしびれて… まさか、新種のコッカトリスか?」

「ほんっとうにごめんなさい!! 私が後ろから〈ショック〉を当ててしまったの。まさか魔法が曲がるなんて思わなくて」

 隠していても仕方がないので、素直に謝る。

「あぁ、今朝練習してたあの魔法ね。厄介な魔獣じゃなくて良かったよ… って、コッカトリスは!?」

 ダリンは焦った様子で槍を構えようとして、まだ電撃の後遺症が残っているのだろう、腰砕けになって少し顔を歪める。この様子だと、エルタ村まで歩いて帰るのは難しいかもしれない。

「なんとか倒せました」

 そう言って私は掴んでいたコッカトリスを見せる。

「おお! 仕留めてくれたのか! ありがとう。助かったよ」

「ダリンを仕留めたのも私だけど」

「終わりよければ全てよし、だ。さあ、帰ろう」

 こういうときのダリンは驚くほど優しい。私のすべてを肯定してくれるその言葉にただただ申し訳無さがこみ上げてくる。少しくらい叱責してくれたほうが折り合いがつくのになんて考えてしまうのは、私のわがままだ。

「本当にごめんなさい。治療費が必要なら払います。それで帰るにしても、足、動かないんじゃない?」

「ああ、痛みは大したことないんだが、妙に力が入らないんだ。君におぶってもらうわけにも行かないしね。あ、そうだ」

 ダリンは何かを思いついたようで、ゴソゴソと腰のベルトに取り付けてあるポーチをまさぐる。取り出したのは仄かに光る、透き通った青い液体の入った、きれいな小瓶だった。

「あった。転送の魔法が詰まった小瓶だ。これを地面に垂らして円陣を描くと、陣の中にあるものが転送されるらしい。転送先は使用者が最後に眠っていた場所だから、この場合はエルタ村の宿屋だね。僕は魔力がなくて使えないから、アリスが使ってよ」

「でも… 魔道具なんて、高いんじゃないの?」

「そうらしいね。でも、気にしなくていいよ。相場はよく知らないけど、実家から出るときにこっそりカバンに入れてきたものだから。けちな父親あいつが持っていたって、箪笥の奥で肥やしになるだけさ」

 私は右手に小瓶を持って、円を描くように液体を垂らしていく。ぽたぽたと垂れる液体は地面につくと光の帯を形作った。ダリンの荷物やコッカトリスの死体など、必要なものがが円の中にしっかり入っているか確認してから、私は始端と終端を繋げた。瞬間的にフラッシュを大量に焚かれたように明るくなり、景色は白に染まって見えなくなる。エレベーターで降りるときのような浮遊感の後、細めた目を開いたときには、馴染みの宿屋のロビーで床にしゃがんでいた。


「長いこと宿屋を開いているが、久々に見たよ。その魔法」

 口ひげを蓄えた気の良さそうな宿屋の主人は、驚いた様子でダリンの顔をちらちらと伺っていた。高級な魔道具を持っているダリンの素性を訝しんでるのかもしれない。私は軽く会釈を返した。

 私たちはいつもの部屋に案内されるけど、ダリンはまだ一人で歩けないので肩を貸す。ダリンを布団の上に寝かせて、私はチェックインの手続きを済ませるためにロビーへと戻ると、さっきまでにこやかだった主人が険しい表情で話しかけてきた。

「お嬢さん、ちよっといいかい」

「はい、何でしょう」

 こんなことは今までなかったので、少し身構えてしまう。

「いつも一緒にいる金髪の男、ダリン・ルトストレームという名前で間違いないかな」

「はい。そう聞いてますが」

「ああ、やっぱりそうか。これ、見るといいよ」

 そういって一枚の紙を差し出してくる。表題は、『手配書』。


氏名:ダリン・ルトストレーム

年齢:17

特徴:金髪、碧眼、180cm少しの背丈

罪状:窃盗、誹謗

見つけた方はルトストレーム伯領までご一報を


「今日この宿に官吏が来てね。その紙を置いてったんだ。そいつ、お尋ね者だよ」

 主人は好奇心をその口調の端に滲ませながら続ける。

「元来冒険者ギルドとお貴族様は折り合いが悪いし、ズカズカと横柄な態度で入ってきて腹が立ったもんだから、俺は通報するつもりはない。しかし、あのダリンとかいう男はギルドの正会員ではないんだろう? どういう関係か知らないが、別れたほうがいいと思うがね」

 主人の言葉を聞いている内にようやく手配書の意味を理解し、頭から血の気が失われてゆく。私は狭まった視野でベンチを探し、ふらつく足取りで腰を掛ける。遠くの方でなにか声をかけられたけど、うまく反応することができない。ダリンも動けないことだし、もう寝てしまおうとそれだけ決めてなんとか立ち上がり、自力で自分の部屋まで歩く。異世界のベッドはバネが硬く、布団は薄っぺらかったけど、一分も経たないうちに私は眠りについた。 



【7月8日(水):現実世界】



 ベッドの中で目を覚ました。まだまだ眠くて二度寝したくなるけど、私は無理やり気合を入れて上半身を持ち上げる。オリミーティリに行くようになってからなぜだか日中眠ることが出来なくなってしまった。まあ、もし日中眠れてオリミーティリに行けるんだとしたら、きっと私は行くだろうから、それでよかったかもしれない。

 それにしても眠たい。眠たいのに寝れないというこの感覚はけっこう不愉快なものだ。もっとも、二度寝したら確実に学校には間に合わない時間なんだけど。

 私は急いでパジャマを着替えて、階段を降りた。





 

 

 

 



 

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