第三話 パーティーを組もうよ
【6月29日(月):オリミーティリ】
青色の光は赤色の光よりも波長が短いので大気中の分子に衝突し、散乱しやすい。故に成層圏を突き進む太陽光は地球の空を青く染め上げる。小学校の図書館でよんだ『漫画で分かる音と光』に書いてあったことだ。オリミーティリにおいても物理法則は変わらないらしく、青空が上空に広がっている。
この世界の魔法は、魔法陣にエーテルを注ぎ込むことによって発動する。魔法陣があれば妖精がいなくても魔法を使えるけど、羊皮紙は高いし管理が大変だし、大量に持ち歩くには不便だ。だから、妖精に魔法を教えて魔法陣を展開してもらうのだ。
本当はスイカのために魔法店で魔法を購入したかったけど、懐が寒々しい。お金が十分に貯まるまで魔法使いデビューはお預けだ。今日も依頼を受けてお金を貯めよう。
妖精店を後にした私は獣道よりちょっとまし、といった程度の道を通ってエルタ村の中心へ戻る。
そういえば、スイカとの使い魔契約を結んだときに、使えるようになった魔法があったっけ。確か使い魔の妖精を呼び出すことができる魔法だ。
ギルドへ向かう道中、私は地面にスイカを置き、少し離れる。
「オプガルド」
私がクリオさんに教わった呪文を呟くと、スイカの体は金色光の粒子の集合体となって緩やかな曲線を描いて私の方に向かってくる。その光は胸ポケットへと入り込むと同時に、元のスイカへと戻った。どうやら私の胸ポケットはスイカのお気に入りらしい。ここが自分の定位置だと言わんばかりに、顔だけをぴょこんと出している。意外とかわいいかも。
冒険者ギルドの建物は普通のログハウスで、ぱっと見は立派な民家のようだけど、冒険者ギルドであることを示す剣と虎の紋章旗がはためいている。中に入ると左手が昨日の納品所で、右手にクエストボードが置かれている。私はクエストボードに張り付いて、手頃な依頼を探す。
貼り出されている依頼の中でお手軽なのはエルタ村と西の交易都市オリオールを繋ぐ街道に現れたハイエナの魔獣の討伐だろう。魔獣とはエーテルによって脳を蝕まれた動物のことだ。魔獣化した動物はずる賢く、屈強に、そして凶暴になる。各自治体はよく魔獣の討伐を冒険者ギルドに依頼していて、いい小金稼ぎになるのだ。私は依頼を受ける旨を受付嬢に伝える。幸い、この依頼は私が一番乗りのようだった。
ロングソードとダガーを携え、西門を出た私は魔獣を目撃したという街道へと向かう。踏み固められた土の道には轍がくっきりと残っている。エルタ村の経済を支える、オリオールからの馬車の往来を示すものだ。周囲はなだらかな丘陵にステップのような背の低い植物が生い茂っている。隠れる場所は少ないし、魔獣が現れたらすぐに分かるだろう。
周囲を見渡していると、岩陰にゴソゴソと動く影を見つけた。ハイエナの魔獣か。私は鉄の剣をにぎりしめ、ジリジリとにじり寄る。しかし、予想に反して岩陰からバツが悪そうに出てきたのは一人の男性だった。
彼はこの国の平民とは違う、光沢のある素材の服や立派な革靴を身につけており、お金を持っていることが身なりからわかる。身長は私よりも高いが、190センチはないだろう。しかし、一番目を引くのはそのルックスだった。短く揃えられた黒髪には清潔感がある。全体的にやや縦長の輪郭はシュッと整っていて、少し青みがかった切れ長の目は冷酷でとっつきにくい印象を受けるけど、それを含めて私のストライクゾーンど真ん中の顔立ちをしていた。
私は後をつけられていたことを詰問しようとしていた事も忘れて、その場に立ち尽くしてしまった。
「…女ひとりで魔獣の討伐は骨が折れるだろう。付いていってやる」
だから、そのイケメンの第一声が酷いセリフだったとき、私は少しほっとした。このルックスで中身まで完璧だったら、私が彼の人生に介在する余地なんてこれっぽっちもないに違いないから。私は彼のルックスに騙されないように意識的に警戒心を引き上げようと、キッと眉毛を釣り上げる。
「はぁ? 誰ですか?」
私がイライラした様子を見せると、彼は少したじろいだ。
「俺の名はダリン・ルトストレームだ。ルトストレーム伯爵といえば知っているだろうが、そこの嫡男だ。かの有名なガレン・ルトストレーム元帥に槍術を仕込まれた身で、槍試合なら負けを知らない」
私はその名字を知らない。有名な貴族なんだろうか。
「ルトストレーム家も元帥も知らないけど、どんな理由があってこんな村から離れたところまでストーカーしてきたの?」
「ストーカーではない! が、結果的にそうなってしまったのか?」
ダリンは声を荒らげた後、首をひねる。表情は全然崩れないけど、身振り手振りが忙しい人だ。
「君を追いかけていた理由は、諸事情あって冒険者になろうと決意したからだ。しかし、いきなりパーティーを組もうと提案しても承諾する人はいないだろう。だから、まず実力を見せるべきだと思ってな。俺は付いていくだけだ。邪魔はしない」
これで昨日の妖精店で出会ったような小汚い男であれば一も二もなく断るところなんだけど、突き放すには惜しい見た目をしている。私は将来こうやって悪い男に騙されるのだろうか。
「ああ、そう。でも報酬は私がもらうからね」
心の中では降ってわいた美男子に運命を感じながらも、安い女と思われていないか心配になってぶっきらぼうに答える。
「もちろんだ。そういえば、君の名前を聞いてなかったな。なんて呼べばいい?」
私の現実での名前は長野有朱だけど、世界観的に不自然なので名字は不詳ということにしている。有朱という可愛らしい名前が無駄に背の高い私に似合わなくて全然気に入ってなかったけど、最近は名付けた両親に感謝している。
「アリス… アリスで」
「そうか。それではアリス、君のお眼鏡に叶うよう、精一杯槍を振るおう」
男子に、それもこんなに恰好いい人に名前なんて呼ばれたのは初めてで、頬が紅潮しているのを感じてばれないように俯いた。
私が今回の依頼の標的を教えると、ダリンは地平線に僅かに見えるハイエナの魔獣を見つけた。ダリンはその場で背負っていた細長い袋から1メートルくらいの棒2本を取り出し、それぞれの端同士をねじこんで槍を完成させた。その間わずか10秒ほど。手慣れているのが分かる。待ってなと私に言い残して、軽く槍を持ち堂々と魔獣の群れに近づいていく。ダリンの姿に気づいた魔獣の目が赤銅色の輝きを放つ。口からはよだれを垂らしており、獲物として認識しているようだった。
私が近づくと警戒心の強いハイエナは散り散りに逃げてしまう。自分より弱そうに見える相手しか襲わないのだ。ハイエナがダリンを獲物と捉えているということは私よりもダリンの方が弱いのだろう。私は少し失望しつつ、本人が言っていたほど強くて出自もちゃんとしている人だったら他のパーティーから引く手あまただろうから嘘だったんだろうと、半ばパーティーを組むことを諦めていた。
だから、その後に見せた大立ち回りは、魔獣にとっても私にとっても完全に予想外だった。三方から飛びかかる魔獣に槍頭による斬撃、石突による打突、そして蹴りを浴びせ、踊るように華麗にいなしていく。武術の経験がない私でもわかる。ダリンの無駄のない洗練された動きは達人のそれだ。三匹の魔獣が力尽きるのにそう時間はかからなかった。
少し離れたところでダリンの闘いぶりに見惚れていた私は我に返り、倒れた魔獣に駆け寄ってブローチをかざす。ブローチに仕込まれた魔法陣の力によって魔獣を蝕む淀んだエーテルが吸収され、代わりに治癒力となって魔獣だったハイエナの傷を癒していく。実に便利な、或いはご都合主義な道具だと思う。むくりと体を起こしたハイエナたちは、地平線へと去っていった。
ダリンが命まで奪っていなくてよかった。魔獣だってエーテルの支配下から抜け出せれば概ね無害な動物たちだから殺すには忍びないし、何より三匹ものハイエナの死骸を担いで帰るのは骨が折れる。
「すごい強いね」
私はダリンに声をかける。
「俺の祖父、ガレン元帥はもっと強かった。それに比べれば俺などまだまだだがな。それで、試験には合格か?」
「うぅん、まあ、実力に関しては問題ないよ。とりあえず様子を見ながら、しばらく一緒に行動しようか」
「そうか。よろしくな」
ダリンはクールな表情のまま口角を上げて笑顔を作る。白い歯がチラリと覗いた。
サールロイまで帰る道中、私とダリンは歩きながら話をする。
「ところで、どうしてさっきのハイエナ、ダリンに対しては無警戒だったの? 私は最近は標的に逃げられてばかりなんだけど」
「ああ、それは俺の体がエーテルを全く貯めないせいだな」
「はぁ!?」
思わず声を荒げてしまう。そんな人間がいたのか。
基本的に人類は漂うエーテルを体内に吸収し、それを魔法陣を通じて放出することによって魔法を発動する。それでも人間が動物と違って魔獣化しないのは大脳が大きいおかげで、思考を乗っ取られるまでエーテルに侵されないかららしい。
それがエーテルを一切貯めないという事は、魔法の類が一切使えないということだ。そういえば冒険者になるためにパーティーを組むと言っていたが、それもおかしな話だったのだ。現に私は一人で冒険者をしているけど冒険者ギルドにも問題なく登録できた。それも、魔力がないと分かった今なら、このブローチを使えないから突っぱねられたのだろうと予想がつく。
「魔獣は相手の強さをエーテル量で測るからな。魔獣から見た俺はそこら辺のミミズよりも弱く見えていることだろう」
ダリンが自嘲気味に笑う。貴族の息子らしいが、色々と苦労してきたのだろう。
「貴族なのに冒険者になるのはどうして?」
「それは俺が廃嫡されたからだ。祖父、ガレン元帥には結構気に入られていたが、父は俺のことが嫌いだった。貴族は色々と魔法で契約を結ぶことも多いからな。一族の当主としては不適だと考えたんだろう」
「元帥の祖父に好かれていたなら、軍に入ることもできたんじゃない?」
「軍隊とは規律と規則が一番重視される、最も融通の利かない場所だ。そんなところに、元帥の孫なのに指揮官になる訓練も受けておらず、しかも廃嫡されている俺がいたら、いびられて追い出されるのがオチだ。だから俺に残された道は、誰かにひっついて身元保証人になってもらって冒険者になるしか道はなかった」
こんなに容姿や家柄に恵まれているダリンが私をストーカーしてきた理由がよくわかった。もしかして、ものすごい貧乏くじをひいてしまった?
パーティーを組むという事はお互いに対して責任を持つということに他ならない。もっと慎重に検討するべきだった? でも、それを聞いた上でも同情して結果的にはパーティーを組んでしまっているような気がする。開き直って、現実では到底近寄れないようなイケメンと並んで歩いているこの状況を楽しもう。
「腹が立ったか? 今のを聞いてアリスが幻滅したなら、この話はなかったことにしよう」
私の顔色を窺うようにダリンが言った。表情は変わらないが、声が沈んでいるように聞こえる。
「私の試験を合格したんだから、胸を張って。明日から私たちはパーティーだよ」
「冒険者になれるなら誰でもいいと思っていたんだが、声をかけたのが君で良かったよ」
ダリンは私に目線を合わせていたって真顔だ。私はその綺麗な顔を直視することが出来なくて、顔を背けた。
エルタ村へと引き返した私たちは、また明日の朝冒険者ギルドで集まろうと約束してその場で別れた。冒険者ギルドで報酬金を受け取ったりしていたら夜になったので冒険者ギルドが運営する宿に戻る。小さなベッドに椅子と机しかない6畳程度の簡素でぼろっちい部屋だけど、冒険者なら安く長期間宿泊できるので、私はずっとここに住んでいる。
いつものように軋むドアを開けて自分の部屋に入ろうとしたとき、隣から見覚えのある男が出てきた。ダリンだ。どうやら偶然隣の部屋を借りていたらしい。昼に見た服は着替えて、シンプルな前開きのロングTシャツみたいな服を着ている。ダリンの方も私に気付いて、軽く挨拶する。
この宿は冒険者なら格安だけど、それ以外の人なら割高だった気がする。ダリンは冒険者として登録はできていないから、金持ちなのだろうか。それとも貴族の息子だから金銭感覚がおかしいのかも。
その晩は隣の部屋でダリンが眠っていることを意識して中々寝付けないんじゃないかと危惧していたけど、薄っぺらい布団の中で目を閉じると立ちどころにまどろみに誘われて眠りに落ちた。
【6月30日(火):現実世界】
布団の中で目を覚ました。イケメンとの遭遇にばくばくと主張していた心臓の鼓動は次第に落ち着いていき、クールダウンした頭で現実を受け止める。私は早蕨高校の一年生。今日は学校があって、7時40分には家を出ないといけない。ダルいなあ。
お母さんが「朝だよ。起きなさい」と1階から呼ぶ声が聞こえる。あれが夢でなかったらどんなに良かっただろうか、と思いながらとぼとぼと階段を降りる。
私はいつものようにシリアルを胃に流し込む。ダリンの格好良さと自分の釣り合わなさを直視したくなくて、できるだけ鏡を見ないようにしながら適当に顔を洗って適当に髪の毛を整える。低いトーンで行ってきますと呟いて、玄関を出た。
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