第二話 葉月と相沢さん
【6月29日(月):現実世界】
誰が言い出したか知らないが、私が眠ると転移するあの世界はオリミーティリという固有名詞で呼ばれている。日本語で言えば、『世界』ないしは『現世』、はたまた『宇宙』と言った所だろうか。しかしこれはおかしな話だ。何故なら固有名詞とは一般名詞の中に複数あるもの区別するために存在するからだ。例えば、もし世界に私しか人間がいなければ、名前を付けるという発想すら思いつかないだろう。つまりあの世界にオリミーティリと名付けた人物は、あの世界以外にも世界が存在することを知っていたのかな…? まあ向こうの世界の聖書にそう書かれているからそう呼ぶのだとか言われればそれまでだし、そもそも語源なんて一々考えていては切りがない。私は無駄な思考を止め、ガタンゴトンと揺れる車内でドアの付近の壁にもたれる。
梅雨前線が停滞してどんよりとした空模様がずっと続き、ジメジメとした暑さで気分も滅入ってくる6月下旬。私は今日も学校に通うために電車に揺られていた。この春に合格した早蕨高校は共学の公立高校で、最寄りの駅から普通列車で3駅のところにある。隣を見ると、北原葉月がスマホをいじっている。葉月は私の幼稚園からの幼馴染で、私の唯一と言ってもいい友人だ。満員の車内でぺちゃくちゃとお喋りをするほどスカートが短くもないので、私も大人しく文庫本を広げてページをめくる。別に読書家というわけではないけど、同じクラスに友達がいないから、暇つぶしのために読むようになった。
駅から学校まで喋りながら5分ほど歩いて、始業15分前に教室に到着し窓際の席を見ると、沖春香が私の机の上に半分腰を掛けて駄弁っていた。扉を開ける音に反応して私の方をちらと振り返るけど、無視してまた話の輪に戻っていく。
よく知らないままこんなことを思うのは良くないとわかっているけれど、私は彼女のことが好きではなかった。
自分の席の方に歩いていき、あのと沖に声を掛ける。私が作り出した大きな影に一瞬怯んだような様子を見せたが、すぐに口の端を上げ「ごめ〜ん」と間延びした声を出した。
もしあっちの異世界なら、一瞬怯んだ隙に仕留められてたな、なんて。
昼休みになり、丸く凝り固まった背中を伸ばす。身長が高いと、授業中でもいやに目立ってしまう。周りが150センチ台の女子ばかりの中で、178センチの私だけぽこんと飛び出て見える。もぐら叩きなら今頃頭が凹んでいるに違いない。
私はお母さんが作ったお弁当を持って教室を出た。出来るだけ人目につかない階段の角で待っていると、1年1組から同じようにお弁当を持った、葉月がこっちへ向かって歩いてくる。葉月は私の唯一と言ってもいい友人だが、彼女には沢山の友人がいる。それでもこうやって一緒にお弁当を食べるのは、中学三年のときにほぼ毎日一緒に給食を食べていた名残だ。
「そっちのクラスはどう?」と葉月が話しかけてくる。
「私だけ周りの人と比べて背が高いから困ってるよ」
なんとなく、茶化した返答で誤魔化してしまった。気軽に話せるような友人がクラス内にできていないことを言ったら、きっと葉月は心配する。
「私からしたら羨ましいけどね。モデルさんみたいで」
私の友人、北原葉月はどう見積もっても中学一年生くらいにしか見えない容姿をしている。本人もそれを少し気にしているようで大人びた前下がりのボブカットにしているのだけど、小学生が背伸びしているようにしか見えない。
「葉月はそのままの方が可愛いよ」
私が本心からそう言うと、葉月は上目遣いにこっちを向き頬を赤らめながら、そう?みたいな目をした。
その仕草はとても自然で、憎たらしくなるほど可愛かったので、少し意地悪がしたくなって「小さくて」と付け加えてみる。葉月は少し頬を膨らませた。葉月はそういうあざとい仕草が自然にできる。それは葉月の処世術で、羨ましいと思うけど、私がやったところで馬鹿にされて終わりだろうし。
「葉月のクラスは?どう?」
「いい人ばかりだよ。お菓子とかくれるし」
「それ餌付けされてない?」
そんな話をしながら、中庭へと向かった。
旧校舎と新校舎の間にある中庭はお昼時だけは日当たりがよく、格好のランチスポットとなる。おまけに教室が2、3階にある上級生が使うことはなく、未だに私達以外が使っているところを見たことがない。晴れの日はここで二人でご飯を食べることになっていた。
しかし、その日は違った。中央に置かれているベンチの椅子に、一人の女子が既に陣取っていた。
目つきが悪く派手な金髪をしている、できれば近寄りたくない見た目をしているけど、リボンが緑色なのでどうやら同じ1年生らしい。そういえば、どこかで見たことがあるような気がする。
どうしようかと隣を振り返ると、葉月は手を振りながら、その女子に向かってにこやかに「おーい」と呼びかけていた。
葉月は昔から友達が多かった。私とは比べ物にならないほど。
それでも私をかまってくれているのは、概ね幼馴染だからの一言に尽きるだろう。
きっとあの金髪の生徒も、私の知らない友達の一人だと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。金髪は左手に牛乳のパックを握ったままま、葉月の方を睨みつけていた。
それでも葉月は右手を振り回しながら、ずずいと近づいていく。私はそれを、凄いなぁと思いながら後ろから見ていた。
金髪の彼女は、名前を相沢楓と言った。どこかでみたことがあると思ったら、同じ中学だった。一応言い訳をしておくと、中学では染髪が禁止だったから。元々あまり知らない人が髪の毛の色を変えたら気づかないのも無理はない。葉月の勘が良すぎるのだ。
二言三言、主に葉月と言葉を交わしたあと相沢さんは席を立った。
私達は相沢さんの去ったテーブルにお弁当を広げた。
「ところで、葉月は明晰夢って見たことある?」
「めいせきむ?何それ」
葉月が卵焼きを咀嚼しながら返答をする。
「自分で夢だと分かってて、自分の意思で行動できる夢の事だよ」
「ふーん、一回も無いなぁ。有朱はあるの?」
「ちょっとそれっぽいものを見たような見てないような…」
最近夜になると迷い込む、あの中世ファンタジーのような世界『オリミーティリ』のことを、私は夢だとは思っていない。オリミーティリで出会った人たちは私の意思とは無関係に生きていたし、昨夜触れた妖精たちの感触はまだ私の右手にしっかりと残っていた。でも客観的に見れば全て私の脳内で起こっていることに違いないと、誰もが考えるだろう。私だって、論理的にはそう考える。
「いいなぁ。夢の中だし、何でもし放題でしょ?」
「ある程度はね。色々と非現実的であやふやだったし、すぐ起きちゃったし」
私は誤魔化した。こんなことを相談しても仕方がない。葉月を困らせるだけだ。
「ふーん、あまり面白くなさそうだね」
と葉月は興味を失ったように言った。
葉月はまるで猫のように、気まぐれに興味を示したり失ったりする。その様子は見てて楽しいときもあるし、面倒くさいと思う時もある。
「そういえば」
私はその様子を見て話題を変える。
「相沢さんって、私どこかで名字を聞いたことがある気がするんだけど、なんだっけ」
「同じ学校だからそりゃああると思うけど、印象的だったのは多分、ボクシングのU-15の大会で優勝しているからじゃない? 全国紙にも大きく掲載されたって話題になってたと思うけど。同じくバドミントンで全中大会に出た有朱の方が覚えてるんじゃない?」
「ああ、そういえば…」
私は中学時代の全校集会で開かれた壮行会の様子を思い出し、恥ずかしくなって口ごもる。
「それにしても、相沢さん喋ったことなかったし金髪だったから怖い人だと思ってたんだけど、喋ってみると楽しい人だったな」
葉月のその言葉に私の胸はちくりと痛んだ。少し喋っただけじゃ分からないでしょと言いそうになって、憂鬱な気分になる。私はいつもそうだ。葉月が他の人と仲良さげに喋っているところを見ては勝手に落ち込んでいる。葉月はもしかしたらクラスの人や相沢さんのような人と一緒に昼食を取りたいと思っているだろうに、こうして私のために付き合ってくれているだけ感謝しないと。
「そうだね。同じ中学だったし、私も仲良くできるといいな」
私は心にもないことを笑顔で言った。
午後の授業が終わって早々に家に帰る。新興住宅地に作られた、ありふれた一戸建て。中学生の弟のスニーカーがない。部活でまだ帰ってきてないみたい。靴を脱いでリビングのソファに腰を下ろすと、お母さんが部活にでも入らないのかと催促してくる。煩わしかったので帰宅部だって立派な部活でしょと屁理屈をこねた。
ご飯を食べたりお風呂に入ったりしたり少しテレビを見たあと、一般的な女子高生が床に就くにはかなり早い時間だけど退屈なので寝ることにした。お母さんに「おやすみ」と声をかけ、2階へと上がり電気を消してワクワクしながらベッドに潜る。今日はどんな冒険が待ち受けてるのだろう。
【6月29日(月):オリミーティリ】
目を覚ますと妖精店のベッドの上だった。私は見慣れない天井にがばと飛び起きた後、床で毛布にくるまっているクリオさんを見て状況を把握する。昨日私が気絶してからクリオさんが介抱してくれていたようだ。床に寝ていることから察するに、このベッドは普段はクリオさんが使っているものだろう。サイドテーブルには小さく四肢を折りたたんで瞼を閉じている蛙がちょこんとのっている。こうして無防備な所を見ると、なかなかどうして愛嬌のある顔をしているような気がする。
クリオさんが目を覚ましたので、私もベッドから降りる。
「すみません、ご迷惑おかけしちゃったみたいで… 寝かせていただいてありがとうございます」
「いやぁ、昨日の恩に比べればこのくらい。あなたがいてくれたおかげで助かったわ。本当は妖精を大切にしない人には売りたくないのだけど、お客さんを選んでもいられない状況で…」
「ああ、全然気にしなくていいですよ。もともと妖精を買おうとおもってましたし」
「そう? ありがとうね。そうだ、昨日この子倒れちゃった訳だし、裏庭の好きな妖精と交換してもいいわよ」
そう言ってクリオさんが蛙の妖精を捕まえようとすると、妖精はぴょこんと跳んで私の方に着地した。悲鳴は上げなかった。一度かわいいと思ったからだろうか、昨日感じた気持ち悪さをすっかり忘れてういやつめなんて思ってしまう。
「この子でいい… じゃなくて、この子がいいです。
「そう? あなたなら、預けても安心だわ。よろしくね」
クリオさんが棚の引き出しを開け、羊皮紙を取り出す。机の上に置かれた羊皮紙には、魔方陣が描かれている。私はクリオさんの指示通り、妖精を魔法陣の中心に置き、エーテルを移動させるイメージで羊皮紙の端に触れる。魔法陣が発光し、陣の模様が宙に浮かぶと妖精の体内に吸収された。目を閉じても妖精がどこにいるか感覚的にわかる。私と妖精の使い魔契約が締結されたのだ。
私は緑と黒の縞模様のその蛙に、スイカと名付けた。
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