第一話 一角ウサギを追いかけて
【6日28日(日):オリミーティリ】
一角ウサギの動きがすばしっこかったため、私の剣はかすりもしなかった。仕方が無いので、刀身の長いロングソードから扱いやすいダガーに持ち替える。その間に一角ウサギは草むらに逃げ込んだ。
昔やっていたロールプレイングゲームでは、武器を持ち替えるときは時間が止まるような仕様が多かったのだけれど、ここではそうはいかない。
「妖精でも買って魔法を使えるようになったほうがいいのかな」と独り呟いた。
一角ウサギの巣を見つけるのにも時間がかかったし、火打ち石を使って一角ウサギを燻すのも更に大変だったのに、ここで逃げられたらたまったものではない。私は必死になって見失わないように森を駆ける。
一角ウサギを倒す算段はなかったけれども、ムキになって追いかけている最中に一角ウサギは切り株にぶつかって、角が刺さって気絶していた。普段は穴の中で過ごしているので目が悪いのかもしれない。私は20cmほどの大きさがあるその動物を麻袋に入れ、帰途についた。
どうやら一角ウサギは死んでいたようで、帰り道、ピクリとも動かなかった。間抜けな奴め。麻袋に死骸を入れっぱなしでは腐っていけない。私がこの世界に来てから拠点にしている小さな村、エルタ村へ戻ると私は真っ先に冒険者ギルドの納品所へ向かった。
冒険者が拾った、または狩ってきたものは大抵ここで売却できる。そういった知識のある冒険者は自分で毛皮を肉から引きはがして売ると聞くけれど、私はあまり手が汚れるような作業はしたくなかったし、何より私には他の冒険者ほど自由な時間がないのだ。多少手数料は取られても、専門の人にやってもらった方がいいだろう。
私はギルドに所属している冒険者であることを示すブローチを見せ、窓口の男に声をかける。
「一角ウサギの解体をお願いします」
「おう、嬢ちゃん。ランク上がったのか。良かったな」
ブローチに埋め込まれている宝石の色が一段濃い緋色に変化しているところを見た顔馴染みの職員に褒められる。私は軽く会釈をしながらありがとうございますと返す。
「角だけ取って返してください。後は全部売ります」
「毛皮が14枚、肉が6枚で手数料を引くと… 合計で銅貨12枚ってところだな。角は高いんだが、それ以外は二束三文だね」
「残念ですが、依頼主が待ってるので」
「そうかい。治療薬の素材かね? 早く行ってやんな」
「はい。ありがとうございます」
ギルドの納品所を出た私は、その足でエルタ村の外れにある依頼主の家屋へと向かう。村の中心から遠ざかるほど道に生えている植物が濃くなっていき、ついには鬱蒼とした森へと分け入る。見えてきた家は、こじんまりとはしているけど、庭はよく手入れされていて、童話の主人公でも住んでいそうな雰囲気がある。玄関のドアの横には、オリモ妖精店と書かれた看板がかかっている。
扉をコンコンとノックすると、40歳くらいの、エプロンを着けた女性が姿を現した。
「それで、一角ウサギは」
焦っているのだろう。その女性は開口一番依頼品の確認を急ぐ。
「ちゃんとあります。」
私はポケットから一角ウサギの角を取り出し、女性に見せる。上がってくださいと手招きをされる。少し腰をかがめて開かれたドアを通る。もっとも、そのドアは特段小さいというわけでもなく、私が178cmもあるのが原因なんだけど。
女性は妖精店の店主をしており、名をクリオ・オリモというらしい。家の中は椅子と机があるような一般的な民家と変わらず、店を営んでるようには見えない。部屋の隅にはベッドが置かれており、少年が臥せっている。
「もう大丈夫だから。この人が薬の材料を獲ってきてくれたからね」
クリオは少年に声をかけた。
少年は十歳にもなっていないだろうが、酷く痩せこけている。寝返りをうってこちらに顔を向けた。苦しそうに咳をしながら、
「ありがとう、お姉さん。あと母さんも。僕も体が良くなったら、あなたみたいな冒険者になりたいな」
そういうと少年は静かに目を閉じた。
私は椅子に座り、クリオと向かい合う。
「本当にありがとうございます。あの子は生まれつき心臓が弱くて、定期的に薬を飲まないといけないんです。夫は治療法を見つけるっていって出ていったっきり音沙汰がないし… 戻ってきたら、ぶん殴ってやるんだから」
クリオはお金の入った袋を私に渡す。
「これがお代ね。数えにくくてごめんなさいね」
中身を見ると、ほうぼうからかき集めてきたのだろう、そのほとんどが価値の低い小銅貨であった。私は申し訳なくなって、さっき納品所で手に入れた銅貨14枚をクリオに渡す。依頼内容が一角ウサギの角の採集だけだったとはいえ、この依頼がなかったら本来は得ることのできなかったお金である。受け取る権利があるはずと述べると、クリオは困ったような顔をしながらも大仰に感謝し、銅貨を受け取った。
お金の話を終え、私はクリオと少し雑談をする。
「ここって妖精店ですよね。妖精はどこにいるんですか?」
「裏庭にいるわよ。うちはエーテルが湧く間欠泉が庭にあるからね。たまに妖精を攫ってきては庭に放してるのよ」
「いい立地ですね」
「だからこそ家を建てて店を構えたのよ。まあ、村から遠いせいかあまり儲かってるとは言い難いのだけど…」
エーテルとは、主に地中深くから噴出し空気中を漂うエネルギーのようなものだ。エーテルのゆらぎはごく稀に動物の形を模倣して意思を持つことがあり、それが妖精と呼ばれる。冒険者の多くは魔法を使用するために妖精を連れているのだ。
攫うなんて言い方は乱暴だけど、妖精を捕まえては瓶に押し込める乱暴な妖精店もあると聞くし、エネルギー源であるエーテルが豊富な土地に放している分、妖精に優しい。商売だから仕方ないといえばそうだけど、閉じ込められて弱っている妖精を見ると心が痛む。
「売ってる妖精、見てもいいですか? 私も相棒をを探していて」
「あら、いいわよぉ。さっきのこともあるし、普段は銀貨二枚だけど特別に安くしちゃうわ」
そう言ってクリオは立ち上がり、私を裏庭に連れて行くと言う。裏庭というからにはこじんまりとしたものを想像したけど、細い未舗装の道を1分ほど歩かされる。草木を分け入って進んだ先には、話にあったエーテルの湧き出る間欠泉だろう、泉を中心とした幻想的な原風景が広がっていた。よく目を凝らしてみると、豊かな自然の中に妖精たちが兎や鳥などの様々な形を取って生息している。妖精は体がやや透けていて僅かに発光しているのでわかりやすい。
「綺麗…」と私は思わずつぶやく。そうでしょうと、クリオが満足げにうなずいた。
どの子を相棒にしようか決めるために妖精たちに近づいても、全然警戒されずに人懐っこくすり寄ってくる。なでると半透明なのにリスの妖精のふさふさした毛並みまで肌に感じられて、可愛さに思わず目尻が下がる。
私が寛いで… もとい相棒を決めかねていると、ガチャガチャと鎧が擦れる騒々しい音が平和な空気を緊張させた。むさくるしい髭面の闖入者が、私達の来た方から入ってきたのだ。その右手には緑と黒の縞模様の、半透明の蛙が握られていた。
クリオはその男を一瞥して露骨に嫌そうな顔をする。きっと私も同じような表情になっていただろう。
「ここで買った妖精がよ、全然使えねぇじゃねぇか。ろくな魔法を覚えやしねぇ」
以前にこの店で妖精を購入した客のようだ。闖入者は威圧感のあるだみ声をしている。
「悪かったですね。返してください。その子だってあなたの所にいるよりは、ここにいる方が幸せだと思うわ」
妖精がぞんざいな扱いを受けていることに腹を立てたのだろう、クリオも苛立った様子で答える。蛙の妖精はぐったりしており、素人目にも弱っているように見える。
「当然返品だよ、こんなもん。金返せよ」
クリオの表情が曇る。
「金なんて… もうないですよ。あなたが来たのはもう一週間も前でしょう」
「よく覚えてんな。よっぽど客が来ないらしい。じゃあ、交換しかねぇな」
「本当は嫌だけど… まあ、仕方ないですね… 交換でもいいですよ」
こんなやつに新たに妖精を預けるのはやるせないだろうが、クリオは渋々と言った感じで交換を承諾する。
闖入者は右手に妖精を握ったまま、あたりを物色する。妖精だってそんな扱いを受けたくない。当然誰も彼に近づきはしなかった。男は苛立ちを抑えきれない様子でこめかみに青筋を立て、右手を振りかぶる。私は見ていられなくなって、咄嗟に駆け寄って男の手首を掴んだ。男は小汚い顔をこちらに向け、私に向かって因縁をつけるように睨んでくるが、体格も私よりも大分小さいし、顔の大きさの割に小さすぎる目のせいであまり迫力がない。私は思わず笑ってしまいそうになって、必死に堪える。不敵な笑みに見えただろうか。
「なんだぁ? 俺には俺の妖精の選び方があんだよ。邪魔すんじゃねぇよ。それともあれか? 肩代わりでもしてくれんのかよ」
「そのつもりよ」
売り言葉に買い言葉。私は思わずそう答えてしまって、少し後悔する。しかしもう後には引けない。私は銀貨1.5枚分くらいになるように麻袋の中の銅貨を調整し、男に渡す。
「ちょっとすくねぇが、ないよかましだ。交換したところでこんな所の妖精、どうせ碌なもんじゃないだろうしな」
男は受け取った麻袋をズボンのポケットに無理やり押し込む。
「ほらよっ」
男は掛け声とともに下手投げで握っていた蛙の妖精を投げた。彼の手から飛び出た蛙はきれいな放物線を描きながら私の眼前に迫ってくる。蛙は両手両足を目一杯広げており、スローモーションになった視界の中でお腹の模様がはっきり見えるなぁとか考えていたのも束の間。私の顔にカエルが着地した。ぬめっとした感触が私の顔一面
覆う。ワンテンポ遅れて私の脳が現実を認識して、短い叫び声を上げた私はその場に気絶するように倒れた。
【6日29日(月):現実世界】
ピピピピ…
不愉快な電子音が枕元に鳴り響き、私はベッドの中で目を覚ます。枕の上方をまさぐり、目覚まし時計のベルを止める。
私は自分がただの女子高生であることを思い出し、憂鬱な気分になる。
この瞬間が一日の中で最も嫌いだ。毎日ファンタジーの世界からどうしようもない現実に引き戻されるのだ。毎日が月曜日みたいな気分。
デジタル時計を見ると6月29日を示していた。まだ入学してから三ヶ月弱しか経っていないことに少し驚く。
私が寝ている間に異世界に転移するようになったのはほんの三週間ほど前からのことだけど、現実と異世界を行き来する分、随分と時が経ったように感じてしまう。
お母さんが「朝だよ。起きなさい」と1階から呼ぶ声が聞こえ、疲れてるのにと思いながらもノロノロと階段を下りた。
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