観測者

 強化プラスチックで構成されたドローンのカメラが、こちらに向かって手を振る少女の姿を捉えた。


「――! 見えるはず……ないよな」


 上空300メートルを飛ぶ手のひらサイズのドローンを視認出来るはずがない。ましてや、半透明のプラスチックボディなのだから。

 そんな思いから思わず否定の言葉をつぶやく。


「――まぁたキミは覗きか。趣味が良いとはいささか言い難いな」


 モニターに映し出される情景を無心に見つめていた為だろう。

 背後にまで近づく人の気配に気づかず、当然ながら声をかけられたことに驚き、文字通り椅子から数ミリほど飛び上がって声をあげる。


「ふひゃ!?」


 まるで背中に冷たい雫が落ちたかのような情けない悲鳴。


「おや、まぁ。存外とかわいらしい悲鳴だこと」


 呵々かかと楽しそうに笑うのは白衣を纏った20歳はたち前後の女性。

 前をはだけた白衣の下は、Tシャツに膝下あたりまでのタイトなスカート。医者というよりは科学者然とした風貌だった。

 事実、彼女は研究員兼メディカルスタッフとしてここに常駐しているのでどちらも当たらずとも遠からずではあるのだが。


「しゅ、主任! お、驚かさないでくださいよー」

「ふふん。別に驚かせたつもりはないのだがね。キミが覗きにいそしんでいるのがいけないのだろう」


 実際のところ忍び足で近づいているのだが、主任と呼ばれたその女性はうそぶいてみせる。

 毎度のことながら彼の驚きが滑稽で――と言い切ってしまえば彼は落ち込むだろうが――それがなんともかわいらしいと思えるほどには好感を持っているのだ。弟のような感覚とでも言えばわかりやすいだろうか。


「覗きって! ち、違いますよ! 僕は自分の職務を全うしようと真剣に"彼女"の様子をかんそ――」

「システムエンジニアのキミに観測業務が入っているとは思えないのだが?」

「あ、あう――」


 童顔のシステムエンジニアは、一言漏らしたあとは口をパクパクするだけで反論の言葉が出てこない。

 口元をニヤリとさせる主任。

 それは悪戯をする獲物を見つけた猫を彷彿とさせた。

 主任は背後から彼の両肩に手を置いて、自らの体を密着させるように唇を耳元へ近づけると吐息とともにASMRささやきをする。


「――何なら"彼女"の……着替えや入浴シーンの動画を……入手してやっても……いいんだぞ?……フッー」 


 耳朶に吹きかけられた息に、ぶるっと体が震える。


「な、なにを言ってるんですか! じょ、冗談ばっかり! そんなのダメに決まってるじゃな――」

「――」

「――本気マジで?」

「ウソに決まっているだろう! 少年!!」


 主任は再び呵々と笑うと、艶やかでふわっとしたエンジニアの髪をクシャクシャと撫で回す。

 勢い余ってずれてしまった細い黒ぶち眼鏡を直しつつ、


「もうっ! 子供扱いはやめてくださいよ、主任! あとからかうのもッ!!」


 無駄な抵抗だと知りつつも、一応の抵抗は見せなければならない。


「おぉ! 今日はなかなかに生意気な口を利く。と、まぁ、それより。何か異常や不都合はあったかね?」


 ふいに主任としての真剣な表情を浮かべて問う。


「――いえ。本日も特に異常は見当たりません。各観測カメラ、並びに全ドローン共に正常です」

「ふふん。世は並べて事も無し――か」


 システムエンジニアとして、観測カメラ全般のメンテナンス業務を担当する部署に所属している彼は、改めて自分の端末に向き直り、質問に対して異常なしオールグリーンを報告する。

 

 今の職場に就職したのが三年前。

 採用されたのはシステムエンジニアとしての能力もそうだが、身辺調査の結果によるところも大きい。

 明確な採用基準を知る立場にはないが、職場の同僚たちの話から推察するに人付き合いが多くなく、親戚縁者も少ない者、中には天涯孤独な者も少なからずいる。

 彼も両親はすでに他界し、親戚はいるが縁故が途絶えて久しい。

 業務上極秘事項が多い為、情報漏洩に関するセキュリティは厳重で、関係者は当該施設より外へ出ることは余程のことがない限り不可となっている。また契約時に守秘義務に関する契約書にサインをし、厳守することを宣誓もしている。もし義務違反が認められた場合、投獄すらあり得ることを含めて。


 世間一般からは秘匿されている施設である。

 民間ではなく国営。にもかかわらず、固有の呼称は存在しない。

 内々の話題でも『ここ』とか『施設』という表現にとどまっている。

 同じような施設は日本にいくつか存在するが、エンジニアの彼が勤務しているのもそういった施設のうちの一つだ。

 日本近海のとある場所に造られた人工島。ここを管理運営するのがこの施設の主な目的となる。それには

 施設自体はその人工島から離れている為、島民と接触することはない。

 彼らは完全に隔離されている。その存在は秘匿され、少なくとも公式には存在しない。

 

 それでも、と言うべきか。

 彼らの存在は噂話や都市伝説的なレベルでネット上で噂され、時にはテレビ番組などで取り上げられることもある。

 その場合、実際に見たことがあるという人物や、地下に造られた都市で生活している、などという話が出てきて盛り上がったりもするが、しばらくすると熱が冷めて話題に上らなくなる。そしてまた、ふいにその手の話が持ち上がる――といったことを定期的に繰り返していた。


 彼も当然その手の話は知っていたが、この施設に勤めるまでは信じていなかった。

 実際に彼らのことを目にした驚きは大きかったが、初めて見たのが同年代だったこともあり『普通の人間じゃん』というのが当初の正直な感想だった。

 しかし彼らは。故にこうして隔離という名の軟禁を、観測という名の監視を――トイレやバスルームも含めて――24時間体制で行っているのだ。世間に知られれば人権侵害と糾弾されることは承知の上で。否。彼らの存在は人類にとって掛け替えがないのだ。


 それは仕方のないことだと理屈では理解していても、頭の片隅で、あるいは心のどこかでふと思うときがある。


「――こんなこと、本当にいいのかな」


 モニターに映る、今だ手を振る少女を見て無意識に口をついた。


「何がだ?」

「――!?」


 淡々とした静かな声。

 背筋が凍り付く。

 聞きなれたいつもと同じ声のはずなのに、それでいて底冷えするような冷たさを感じさせるそれ。

 モニターの隅に映り込む背後の主任と視線が合う。

 何人なんぴとも何事も"彼ら"に関する異議申し立てをすることは許されない。

 エンジニアは知らず、唾を飲み込む。

 どれくらいの時間がたっただろうか。

 一瞬とも数分とも思える時間が過ぎたあと、主任は彼のすぐ横まで来て少し身をかがめると、手のひらを入力パネルにあてた。パネルモニターが淡く光ってスキャンする。

 同時に天井に視線を向けて網膜スキャンも行う。


「――管理者権限を行使。現行より15分、当管理室内の管理記録を遮断要請」


 システムが承諾した旨を知らせる通知音が鳴った後、主任のリストデバイスに15分のカウンターが表示される。


「迂闊な言動は身の為にならんぞ?」

「――はい、すみません」


 エンジニアは椅子を回転させて主任に顔を向けて謝罪を口にする。


「――まぁ、気持ちはわからないでもないがな」


 主任はそうつぶやくと、手近な端末に臀部を乗せて立ち座りのような恰好のまま、白衣の懐をごぞごそとすると細い棒状の物を取り出して口に咥え、両肘を支えるように腕を組む。


「人間をモルモットのように人工島ケージに閉じ込め世界から隔離し、ただただ死なせない為に四六時中監視してるんだ。こんな人権無視の変態行為に思うところなく続けられるような人間なら、そいつこそ隔離されるべき人間だろうさ」

「いえ、その、僕は別に……」

「気にするな。私は"彼ら"のメディカルスタッフではあるが、同時に施設職員のメンタルケアを請け負うのもやぶさかではない」

「――」


 主任は口に咥えた禁煙用のパイプを上下に動かしながら天井を見上げる。視線はここではないどこかに向けられていたが。


「――キミの話を聴く前に理解しているとは思うが改めて言っておこう。"彼ら"は紛れもなく人類の希望なのだ。故に我々から"彼ら"を守らなければならない」

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