第3話

 ピロン、快活な音が部屋に響く。通知が来たのだ。その内容はグループ招待、メンバーは少し違和感のある人選だ。


「なんであの二人繋がってんの?」


 純粋な疑問に首を傾げた。でも、何か意味があるのだろうと私はそのグループに入って一言、『なにこれ』と打ち込んで送信する。その返事はすぐに返ってきた。


『なんでこんな面白そうなの教えてくれないのよ』


 答えにならないものに私はため息をついた。これほどまでに面倒くさいものも珍しい。抜けてやろうかとも思ったがすぐに凌斗からメールが来る。


『わりー、兵藤さんが気になるって言ってたんで入れたわ笑』


 これだけではわからないが、推測は出来る。彼が何かしらの情報を集めている時に彼女と出会ってそこで意気投合したんだろう。


 そう考えていると鼎がタイミングよく補填する情報を入れてくる。


『凌斗がいつもと違ってなんか忙しそうに走ってたから気になって後をつけたら面白いことしてるじゃんってね』


 なるほど、大雑把だが状況が飲み込めた。


 私は素早い手つきで返信する。


『鼎、手伝って』


『いいよ。ただし、明日私と一緒に学校ね』


 腑に落ちないが、そういう事もあるだろう。文句は明日言えばいい。


 私はそのまま眠りに落ちていった。







『助けて』


 はて、誰の声だろうか。馴染みがない、聞いたことの無い声。


 誰もいない教室に1人、ぽつりと佇んでいるそれに興味を惹かれ私は廊下から覗くのをやめた。


「どうしたの?」


『助けて』


 さっきからこれしか言っていないがまさか話しかけてもこの調子とは少し驚いた。まるで壊れた機械のようにこの言葉を繰り返す様に戦慄も覚えた。


「助けて欲しいなら、具体的に言ってよ」


『助けて』


 虫唾が走る。助けてと、永久に喋り続けるその姿に怒りが込み上げてくる。


「あなたに、何があったの?」


『助けて、何も言わずに、助けて』


 怒りが頂点に達した。少し震え気味になる声音と強く握り締めた拳、その雰囲気を感じ取ってかそれは少し身構えた。


「助けて…?ふざけないで!無条件の救いや救済にあるのはただの憐憫よ!その憐憫を、憐れみをあなたは欲しいというの!?」


 震えている。恐怖で身がすくんでいるのか、酷く震えている。だが、私としてもそれを看過する事は出来ない。それは甘えだ。なんの行動も…アクションも起こさずにただ無条件に肯定して欲しいなど、怠惰と堕落の証明に他ならない。終いには助けてだと?認めて欲しいなら、助けて欲しいならどうして欲しいかを言えばいい。伝えればいい。それすらしないのに人に頼むな。助けてもらおうとするな。


『君も、僕をいじめるの?』


 半分呆れながら私は逆に問うた。


「逆に自分に落ち度がないと?いじめる側にせよいじめられる側にせよ問題はある。いじめる側の問題を解決しても、あなたに問題があるのならまた同じ事の繰り返し、いたちごっこになる」


 泣きじゃくるこの子にこれでもかと厳しく接する。そうしないと分からない、自分が変わる必要がある事を理解できない。


 いじめる側に問題があったとて、この子が変わればそれも解決するかもしれない。本当にこの子に落ち度がないのなら、この子は既に行動に移しているはず。なのに、それをしないのは能動的ではないから。


 自分の周りを取り巻く環境を変えるのは他者ではない。自分自身だ。他人に変えてもらった環境なんて長く維持できるものでは無い。すぐにまた元に戻る。


『怖いよ…助けてよ』


「あなたは一生日陰者。陽のあたるところには出られない。あなた自身が変わらない限りは」


 それにハッとしたような顔をするが、私はそれ以上は何も言う必要は無いとその教室を後にする。





 ────その子は遺体となって発見された。これはその子なりの反逆の意思だったのだろう。それに何か言うつもりは無い。ただ、私にとってその意思は何より大切なものを賭けに出して行われた博打で、この後の事を考えるならそれは負けという結果で無に帰すのだろうなと少しの勿体なさを感じた。









「雪奈、相変わらず眠そうねー」


「鼎には疲れとかなさそうよね」


 皮肉混じりに言った言葉にもあっけらかんとした態度で対応する。いつも変わらない彼女はそう見えるだけで常に前へと前進する。私との違いをこれでもかと見せつけるように私の隣に立っている。立たないで欲しいのに、それを見たくなる。希望に満ちたその歩みを見ていたいと思ってしまう。


 矛盾に満ちた心情、それを醜いと感じる心がより一層私を締め付ける。


「ずっと辛そう。いつもそうだけど、そうじゃない。雪奈はそんな子じゃないと思う。辛いことあるならいいなよ」


「多分、分からない。共感も、理解もできない。そんな人からの優しさはいらない」


「『森』…あんな光景が常に見えてるの?」


 その目は憐れみを湛えている。得も言えない怒りが込み上げてくる。然し、それを彼女にぶつけるのは、違う。絶対に違うのだ。


 その怒りは自分に向けて放つべきものだ。変われない、進まない自分に対してぶつけるものだ。


 だから、私は彼女に自分でも驚くほど自然な笑顔を向けた。


「そんなわけないでしょ」


 気休めにもならない欺瞞を彼女は安心と捉え、またいつもの話に戻り、学校へ向かった。








「へぇ〜…じゃあ、これが噂の作品?」


 しげしげとそれを眺めた。その作品の特筆すべき点はその字の綺麗さではないと私は思った。


 …強いて言うなら、『歪』だろうか。


 確かに芸術的な美しさを感じさせるのだが、それは今さほど重要ではない。心の端にとどめる程度で構わない。それ以上に、その字体から感じる思いのようなものが、私に違和感を与えた。


 私が次に気になったのは紙だ。和紙が綺麗なのだ。初めに思ったのは使い回しとか、その手のものに適当な作り話をしたのかと思ったが、どうやらそうではない。これは長い時間を経ているとは到底思えない、新品と言って差し障りない和紙を使って書かれている。


「この紙新しいよね」


「そうだよな〜、想像より全然新しい紙で初めびっくりしたぜ」


 2人もそこは気付いていたようだ。それもそうか、見ればわかる。


 正直、一応この謎が解ける可能性のある方法があるのだが、面倒臭く、なおかつ犯人が見つかる可能性は非常に低い。そんな労力に対する効果が低い方法を取るとなったら私の場合、全力で帰宅する。


 期待の眼差しが向けられる。何かわかったか?と言わんばかりの目線に射抜かれ、私は少したじろいだ。


「…わかったかって?」


 凌斗は笑顔で頷いた。


「はぁ…こんなので分かったらね、私が犯人よ。凌斗、習字の先生って誰だっけ?」

「先生?東野先生だ。俺が入学した時の部活の先輩も習字は東野先生って言ってたし、かれこれ長いこと担当だと思うぜ」


「その先輩って、当時三年生?」


「そう、いま大学一年」


 ふーん、と軽く流す。何時から担当だろうか?間違いなく今回の学校七不思議の関係者だろう。何せ、自らの担当科目ならこの作品を毎年毎年見ているはずだ。


 私は、東野先生に質問しに行くというのが最も効率的な解決策であると確信した。だが、如何せん私にはやる気がない。


 そして私はわかりませんでしたと言えるように、更には諦めようと提案できるように、最も非効率で犯人が見つからない可能性のある行動をとることにした。


「とりあえず、凌斗は部活があるからダメだけど、鼎。あなたは暇ね」


 可愛らしく首を傾げる。だが、その顔はこれから言うであろうセリフを理解している様子でさしずめ何故そんな面倒な事を押し付けるんだと言いたいのだろう。然し、そんな事は知らないと無情にこの言葉を押し付ける。


「鼎、生徒一人一人の筆跡と比較して、その結果を報告するように」


「はいはい」


 彼女は呆れ笑いを浮かべて作業に取り掛かり始めた。




 暫く後




「ねぇ、なんでこんな手間なことするの?」


 彼女は作業しながら聞いてきた。細かいところまでしっかりと吟味して、今のところ当たりはない。


「詰めてるの、いきなり正解に辿り着けるならいいけど、こんなに曖昧ならまずはそういう所から始めてかないと」


「…でも、他の書道に関わってない先生がやったのかもよ」


 それはもっともな話だ。それならこの行為は全て無駄になる。なにせ、生徒の書いたものではない以上、同じ筆跡が見つかるはずがない。


「確かに言ってることは分かるよ、じゃあなんでこんなことするのか、それは簡単で否定から入ってるから」


「もう少し噛み砕いて」


「私は今、鼎にしてもらってるこの作業で犯人が分かるとは一切考えてない。むしろ犯人が見つからないと思ってる」


「ふーん…たすき掛け?」


「…そんな感じ」


 二次方程式で使用されるたすき掛け、あれも片っ端から答えを探す大変面倒で効率の悪い計算方法。直感的に答えが分かる場合話は別だが、今回のような場合は効率が悪いと言わざるを得ない。然し、得する理由もある…否、得する理由があるかのように無理くりに理屈をこじつける。


「まだ文句ありげだから補足。そもそも今回は情報がまだ出揃ってない。さっきみたいな算数で例えるなら変数が多すぎる状態。だからこそ、まずは否定から入る。これじゃないを繰り返せば、ありうる説を全て否定していけば最後に残るのが正解よ」


「なら情報収集で良くない?」


「聞き回る範囲が減るわ」


 それもそうかと納得した。でも、その問答で少し気になったところがある。彼女の質問の仕方は明らかにここに無いものを知ってる、少しばかり気になったので聞いてみた。


「ねぇ、なんか知ってるんでしょ?」


「…私、去年習字取ってたの覚えてる?」


「覚えてない。知ってるけど」


「そこで見たの、その文字『助けて』って字を。でも少しだけ違う、それに紙も違う。その違いが如何にも人間らしい違いだったの。同じ人が書いても少しだけ違うみたいな、その程度の違いで、私は確信した。去年書いた人と同じだって」


 なるほど、それなら彼女が無駄だと感じる理由にも納得がいく。彼女はそういうところをよく見ている。芸術的な観点と言うのか、いや、ただよく観察しているだけだろう。なんにせよ彼女の観察眼は優れている、それは事実だ。


 それを踏まえて考えると、この作業をしていては彼女にやる気がないことがばれてしまう。それはそれで後が面倒になるので、先へ話が進むように既に知っている相違点を口にする。


「ねぇ、気付いてると思うけどさ。生徒の書いた作品とこれの違い。墨汁の色」


「ん〜…確かに違うんだけど、生徒によっては家から持ってくるのもあるしなぁ…」


「それって学校で初めに買ったりとかしないの?美術は買ったけどさ」


「買うよ、基本的には買うんだけど…中には買わない人もいるの。だって、使い慣れた物で書きたいって人はいるもん」


 私もそのひとりだし、と付け加えた。そこには優しく、はにかむような笑みが浮かべられている。


「そうね。そういう人も確かにいるね」


 私は適当に流して、次にどうするかを考える。そうして抜け出す方法を考えているうちに今年の習字選択者の分が調査終了となった。当然、犯人なんているはずが無い。


 そして、我慢ならない彼女は私に苦言を呈した。


「こんな方法より、何時からこの作品が出てきているか。それを調べた方が良いんじゃない?」


 これ以上、彼女を遊ばせるのも具合が悪い。なので渋々、私は彼女に伝える事にした。


「鼎、習字の担当は東野先生よね?東野先生は当然授業中に字を書くことが多いと思うんだけど、どう?あの人の字癖は出たりしてる?」


「ないない、それなら去年の時点で私が気付くよ」


 彼女は頭を横に振りながら否定する。そして、当然だと私も思う。これは一つの確認でしかない。


 少し整理してみよう。


 まず、凌斗の話が正とするのなら少なくとも2年前より以前から作品は存在している。次に、その作品は毎年作られている。最後に、その作品が存在することを東野先生は知っている。


 これだけではいまいちよくわからない。なので、東野先生に確認をする必要がある。


「鼎、東野先生のところに行こ。確認しないといけないことがある」


 端的に伝えて、私は歩を進めた。その時、脳裏によぎる『助けて』の字体から感じる違和感によって、成行きとは言え抜け出せないところまで足を突っ込んでしまったと直感し、私は後悔した。








 他の先生から東野先生の場所を聞いて、最終的にはこの体育館へと辿り着いた。


 甲高いスキール音とボールが床に叩きつけられる音、そして足元にまで響く着地時の衝撃。私にとってバスケットボールというスポーツはなんとも騒々しいものであるように感じられた。


 そして、来訪者としてはあまりにも意外で、この空間にはあまりにも似合わない人間がいることが気になるのかチラチラと目線がこちらへ向けられている。同じ学年、同じクラスの人間からは他とは違う様子も見られた。他の視線が好奇心だとすれば、それは不審だろう。なぜお前のような人間がこの場所にいるんだ、暗にそういわれているように感じる。


「これ、まだかかるの?もう外に出たい気分」


「え~、まだ来たばっかりじゃ~ん。もうちょっと見てかない~?」


 げんなりとする私がそんなにもおかしいのかクスクスと笑いながら煽り口調で滞在を勧めてくる。私はその手のイジリに耐性があると思っていたが、この程度のことでここまでイライラするとは、私の沸点は比較的低いようだ。


「よし!いったん休憩だ!10分後、3対2対1を開始だ!」


 その声にバスケ部員たちが反応し、休憩時間がくる。即ち、私たちが東野先生に接触する機会が来た。


「鼎、ここに呼んできて」


「あなた何様よ」


 呆れ顔で鼎は先生に声を掛けにいった。そして、少し話をしてこちらに帰ってくる。


「部活の練習が終わってからなら大丈夫だって、終了時刻は6時だからそのあと書道室へ来なさいと」


「そう、それなら別のものを調べましょう。今は4時過ぎだから、2時間もあれば十分でしょ」


 東野先生へ聞くしか手に入らない情報以外にも集めるべき情報はある。私の予測が合っているのならば、間違いなく存在する。


 その情報を求めて私はとある場所へ行こうとするが、その時に鼎に呼び止められる。


「ねぇ、何を調べるの?」


「この学校の生徒だった先生。居るか分からないけれど、居たなら話が早いわ」


「…ふーん、なるほど。居たとしたら、その時に『助けて』があったかを調べられる可能性があるわけね。逆に言えばそれ以外には情報がないの?」


 鼎の穿った質問に私は苦笑いを浮かべた。


 表面上、その通りに過ぎず、然し彼女のモチベーションが下がる可能性を考慮すれば今すぐにでもYesと言いたい。


 でも、それを躊躇させるほどの予感が、私からその選択をとる権利を剝奪した。


 そうして私が回答を思いあぐねていると、彼女は相変わらずの洞察力で私の迷いを見抜いてきた。


「ねぇ、雪奈は何を考えているの?まるで、答えを知っていて避けてるみたい」


「答えは知らないわ。でも、調査するなら効率的に進めないと…網羅的に調べ上げる時間はないでしょう?」


「犯人がいない作品群を調べさせてよく言うね~…で、雪奈が引っ掛かってる所はどこ?」


 へらへらと笑いながら私に聞いてきた。ヒントと呼べるヒントはこの調べた中に存在しないに等しい。だから、私の連想ゲームを伝えることにした。


「そうね、『助けて』の字体から感じる印象かな…いじめられっ子、きれいな字、色褪せない憎しみ、そして最後に…無意味…くらいかな」


 それだけ伝えると、今度こそ私は職員室へと足を進めた。

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