第2話

 夕暮れ、不快な橙色の日が徐々に地平線へ消えていく。変わって空には三日月が、朧気に浮かんでいる。その霞んだ光が段々と鮮明になる。そうすると次には夥しい数の星が顔を見せはじめた。


 湖に映り込むそれらがまた趣を感じさせ、風に煽られ水面が揺れる、それに伴って儚げに消える月と星々、そしてまた現れる。夢幻…水鏡に浮かぶ対称的な風景に抱いた感想はその端的な単語で完結する。


 それは正しく幻想的な光景。世には「100万ドルの夜景」と呼ばれる夜景があるらしいが、あの人工的な美しさより2度同じものはない、風情ある自然の産物に私は酷く心を揺さぶられた。


 一緒に来ていた友人がポツリとこう呟いた。


「鏡花水月…」


「でも、花がないよ。鼎」


 その言葉に頬を膨らましながらそっぽを向いた。


 然し、彼女が言いたいこともよく分かる。それだけこの風景は美しかった。その幽艷さは日本の雅やかさを象徴するようで、これなら詩に表そうが、歌にしようが、絵にしようが全てが調和された美しい作品にしてくれる。この場には安寧が満ちている。見る者の心を落ち着かせる、深く暗いけど優しげな闇。


 だけど、同時に少し物足りないなとも思う。


「花…欲しいね…」


「雪奈はどんな花がここにあればいいなって思うの?」


「時期が違うけど、私はここに彼岸花が欲しい」


 咲くはずのない季節に真っ赤な花が一帯に咲き誇る。その花が水鏡に映り込み、この優しさの中に艶やかさを与える。現世と幽世の混在するあり得べからざる光景。もしかするならそれは繋ぐ掛橋なのかもしれない。


 そんな事を彼女に伝えた。それに笑いながら鼎は答えた。


「彼岸花、悲しい花じゃないよ。この場所に彼岸花があるなら、ここはもう女性の心の中にしか感じないよ」


 その言葉の意味が分からず、私は困惑する。それを見てまた嬉しそうに、楽しそうに笑う。天上の三日月を見て、ポツリとこう言った。


「…想うは、貴方1人。これは彼岸花の花言葉」


 ああ、それで理解する。


 彼女は彼岸花を不吉で悲しい花ではなく、健気で深い恋慕を意味するものと捉えたのだ。私とは違う明るく前向きな視点、それが少し羨ましい。私にはそんなものは無い。ただ自分が嫌いで、いつでも消えたい、死にたいと考えているような卑屈な人間。私の中にあるのは破滅願望とペシミズム。鼎や祈織とは対極と言っていい。彼女たちは前を向いて歩いて行ける人間だけど、私は立ち止まって蹲るしか出来ない。


 彼女は私に構ってくれるが、その歩を止めているのは私なのかもしれない。そう思うと酷く心が苦しくなる。


「…どうしたの?」


 暗く影が落ちた顔を見て鼎が気を使ってくれる。その優しさが私には辛い、目の背けたいものだった。


「何が?」


 貼り付けた笑みはまた、彼女を欺いた。


 ───こんな人間に、生きる意味はあるのかな








「ただいま」


 夜遅く、具体的には12時を余裕で過ぎた帰宅だ。当然妹は寝ている。リビングの灯りを点け、洗濯物の中から下着とタオルと寝間着を持って洗面所へ向かい、服を脱いだ。鏡に映る裸体の手首には醜く痛ましい傷跡がある。夢から現実に、沈み込んだ意識が浮上する際に必要な傷。痛覚というアンカーがなければ正常な時の中に戻れない。鏡の中の自分が憐憫を帯びた目で私を見つめている。それに逃げるように急いで風呂場へ向かった。


(どうせ、風呂場に逃げようとそこにも鏡があるでしょう…)


 シャワーを浴びながらそんな事を胸中で呟いた。もちろん、鏡には目を合わせない。まるで悲劇のヒロインのように自分を悲観しているが、全ての原因は自分にある。その時点でこんな事を考えているのがおかしいのだ。そも、鼎にあんな惨い事をして平然と今日話していたのもおかしい。


 あれから彼女が落ち着くまで頭を撫でながら抱擁していた。かなりの時間それを続けて、彼女がもう帰ると弱々しい声で呟き、私から離れた。その時の笑顔はやはり悲しげで自分の不甲斐なさを痛感する。その後、2日ほど経過して彼女から連絡が来た。内容は夜景を見に行こうというものでこれを無下にするとまた彼女を傷つけてしまうのではないかという不安感と自分でもよくわからない漠然とした恐怖感からその誘いに応じた。


 気まずさはあったが、集合場所に来た鼎は驚くほどいつも通りで自分が気にしすぎているだけかなと錯覚するほどだった。でも、ほんの少しだけ、顔に翳りがあった。然し、それを考慮したとしてもあまりにも普通の、ありのままの彼女だった。だからこそ、私も今まで通りの接し方で一緒に話す事が出来た。時間があるからとショッピングや喫茶店などで時間を潰す際も彼女は楽しげだった。


 それ故に私なんかと居なければ、彼女はもっと輝けた。そう思ってしまうのだ。


 体の汚れを落としてそのまま風呂を上がる。濡れた身体をタオルでふき、下着を履いて寝間着を着る。そのままリビングで髪を乾かした。


 妹ほど髪が長くないから乾かすのにさほど時間はかからない。昔は妹より長く、肩甲骨より少し下辺りまで髪を伸ばしていたのでかなり手間だったが今はそのストレスはない。それが嫌でショートにした節はあるが、それ以外にも理由はある。髪が長いとバックなどに挟まった時に痛い。面倒が多くなる事と単純な不快感が伸ばすのをやめた理由だ…あと、似合ってない。


 私はリビングの電気を消して寝室で眠りについた。







 誰かが話しかけてくる。


「まだ目を背けるの?貴方の犯した罪は無かったことにするつもり?」


 その声は聞き慣れた声音、でもその溢れる憎悪により声の主が誰かの判別がつかない。


「なんの事?」


 質問に質問で返す。なんせ、先の言葉が理解できない。


 罪とはなんの事だろう。一体何から目を背けているというのだろうか、頭が混乱する。理解に苦しむ。


 私が、何をしたというのだろう。人に迷惑をかけた?そんなの日常茶飯事だ、その度に心苦しくなる。その事を言ってるなら目を背けてなんていない。常に向き合っているつもりだ


「そんなくだらない事では無い。思い出したくないのか?そうだろう?意識的に忘れているんだお前は」


 知らない、分からない。頭が痛い、吐き気がする。今すぐ、今すぐこれを消し去りたい。この声を、この言葉を消し去りたい。


 真っ暗だった物が段々と鮮明になる。それと共に朧気に映る人影を勢いをつけ、思いっきり突き飛ばした。


 それに嗤いながら、酷薄な笑みを顔にうかべながら落下する。その瞬間が、その一瞬がゴムのように間延びして永遠に感じられる。


 その時、人影は何かを言った。聞き取れなかったけど、口の動きから大体わかった。


 ────2度目だね


「嫌…嫌…嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!」


 誰のものかもわからない耳を劈くような甲高い悲鳴が響く。


 私は頭を抱えながら後退り、そして力が入らなくなって座り込む。体の震えが止まらない。人を殺めたという事実が身を竦ませる。


 すると後ろからぐちゃぐちゃになった人影が現れる。然し、先程より鮮明に見え、足はありえない方向へ曲がり、直立の姿勢が歪んで見える。否、確実に歪んでいる。背骨が折れてまともに立てていない。体の節々がおかしくなっている。それでも動く姿はまるでマリオネットだ。


「あなたはそうじゃない。もっと愉しそうだった、顔は悦に浸って艶やかだった。あなたは誰?」


 人影は気味の悪い歩き方でこちらへ近づいてくる。本当に操り人形のような歩き方で、私の元に近づく。


「あなたは彼女じゃない。なら、死んで。私の恨みを晴らしてくれないなら、消えて」


 そのまま恐ろしい力で首を絞めてくる。確実に気道を塞ぎ、その力を強めて骨を砕こうとする。嗚咽が漏れ、その手を退けようと目一杯に腕を掴んで引き剥がそうとする。然し、やはり人間の、それも女の力では到底引き剥がすことなんてできない。


 ごきん、その音が聞こえたと同時に首から下が麻痺して動かなくなる。でも、これは致命傷だがまだ死ぬ事はない。


 まだ、力はかかり続ける。呼吸ができない。頭がクラクラする。まともな思考すら許されない。


「死ね、死ね死ね死ね死ね…死ね…!」


 最後に聞こえたその声は狂気と歓喜に彩られ、モヤの消えた顔には見知った顔がおぞましい笑みでこちらを見つめていた。


 私の意識はそこで完全に途絶えた。








 目を開けて、いつもの天上を見る。ゆっくりと指先で首を撫でて、無事を確認する。その手は未だ震えが止まらない。殺される恐怖感からか、それとも殺めてしまった時の震えか、それは分からない。然し、今日の夢は酷かった。狂気から来る夢ではない気がする。内容的には狂気的だが、何か明確な意味、意思を感じた。


(あれが本当なら、私は1人殺した事になる)


 彼女は2度目と言った。なら、それ以前に私が1度人を殺した事になる。いつ殺したのか、記憶にない。


 …止めよう。所詮夢だ、夢で起きた事を真に受けるなんて、1番狂気的だ。それに現実味がない。本当に1人でも人を殺しているのなら私は必ず覚えている…


 そう言えば、夢の中で誰かの死を…


 私はその胡乱な意識を正常に戻すべく、いつもの行為をした。


 冷たく鋭いものが私の左手首をスっと撫でる。そこから溢れる赤い命が下に伝って床にポタリポタリと落ちていく。痛みと共にハッキリとしてくる意識。それによりあんな夢に心を惑わされた私自身に呆れた。


 滴る血を眺めながらぼーっとする。雨音が耳朶を打つ。その音は物悲しく冷たいが、気持ちが安らぎあらゆる悩みが洗い流されていく。


 血が止まったら、今日は外を散歩しよう。


 虚ろな目のまま私は支度を始めた。






 鉛色の空と、しとしとと降る雨。ジメジメとした湿気が気分を暗く重たくする…のが、正常な人間の抱く感想なのだろうか。


 半袖の黒いTシャツにフレアデニムのスカート、上着は薄い肌色のGジャンを羽織る。腕は隠れているので今日はいつものオペラグローブは着用していない。傘は水色と白のチェック柄で一応雨晴兼用のものだ。ミニショルダーのポーチはいつもの黒色のものであまり沢山のものが入るわけでは無いのだが、財布とスマホを入れるだけなら困らない。


 いつもなら人の多い通りも雨のせいか人が少ない…いや、まだ店の開店時間ではないから少ないようだ。


 閑散としたその通りに安心感と寂しさを感じながら歩く。不気味なほどの静けさが返って心地よかった。


 そこに、見知った男がスマートフォンを弄りながら店の前で待機している。


 同年代の青年で、金髪でパーマのかけたツーブロックの髪型が目を引く。身長は前聞いた時は175程度と記憶している。顔立ちはハッキリしていて切れ長の目と少し高めの鼻、ジーパンと白いTシャツ、白の風通しの良い運動用と思われるパーカーを着用しており、全体的な印象は清潔感がある好青年と言ったところだ。首に付けたネックレスは十字型で彼の印象としっかりとマッチしている。


 彼がスマホから目を離すとじっと私を凝視する。そしてこちらに歩いてくる。


「よー雪奈。なにしてんのこんな時間に」


「凌斗、あんたこそなにしてんの…て、靴?」


 白金しらがね 凌斗りょうと、性格は明るく人付き合いが非常に良い。本当に誰とでも話せるタイプ、俗に言うコミュニケーション能力が高い人。然し、勉強は苦手なようで期末はかなり悲惨だったと記憶している。


 私とは正反対のような人間性。学校でも浮いている私に彼は親切に接してくれる。


 そんな彼は靴屋の前でスマホを弄っていた。そして靴を見るのは趣味のような事を以前言っていたような気がする。そこから靴を見に来たのではないかと推測した。


「よく分かったな〜、さすが頭いいだけある…時間ある?」


「あるよ。散歩してただけだし」


「なら一緒に遊ぼうぜ」


 成り行きで、彼と一緒に居ることにした。


 その後、彼と靴をみて、ショッピングモールで服などを物色し、今喫茶店に来てコーヒーを飲んでいる。


 彼はテンポよく次はこれ、次そっちと私が飽きたり、変な間を空けないようにしているので一緒に居てすぐに時間が過ぎた。そして今来ているのは私が彼にオススメした喫茶店。というのも彼に行きたい場所はあるか?と聞かれ、何も無いのもダメだろうなと思ったのでとりあえず口にした場所がここだった。あと、いつもの休日よりリズムが早いような感じで少し疲れたからまったりしたかったというのもある。


「んー、俺はやっぱ微糖派だわー」


 そういう彼がこの場にあまりにも似合わないので少し吹き出した。それに対して訝しむような顔をして彼が聞いてくる。


「なんだ?おかしいか?」


「合わないのよ、絶妙に。この場に」


 そうか?と彼は周りをキョロキョロと見渡す。私はそれを眺めつつカップを口に運ぶ。ブラックコーヒーの酸味と苦味がすぐに口に広がる。そこから段々とコク深さが後についてくる。ここのコーヒーを飲むと他のがあまりにも安っぽく感じるほど美味い。


「…美味しい」


「なぁ、苦くないの?」


「子供味覚には分からないと思うよ」


 子供じゃねぇし、そんな文句を言っている凌斗だが、その砂糖の使い方はもはや微糖のそれを軽くオーバーしている。これではコーヒーの上品さが消し飛んでも仕方がない。やはり子供味覚だ。


「雪奈って、何考えてるかわかんないけど、面白いよな」


「何?ディスってる?」


 違う違うと彼は頭を振り、しっかりと目を見てこういった。


「普段、誰も近寄らないけど雪奈は優しくてそれでいてユーモアのある人だと思うよってこと。もう少しみんなと話してもいいんじゃね?」


 彼なりの気遣いだろう。それは分かるが無理な話だ。何せ彼らと私は全く違う。見ている視点も、過ごす場所も、同じなのに全て違う。かけ離れてる。断絶しているようにも思えるほど。


 だから、ダメなのだ。


「無理だよ。凌斗達みたいに日に当たるのは、ダメ」


 それに首を傾げながら彼は聞いてくる。


「違うか?俺はそうは思わないけど」


 色が変色したコーヒーを口に運んで付け加える。


「そう思ってるのは案外自分だけ、とかよくある話だぜ」


 あっけらかんとした彼の一言は私の心に深く突き刺さった。


 自分を受け入れてくれるのか、また自分はそれを受け入れられるのか分からない。


 それに…と彼はまたつけ加える。


「みんなさ、食わず嫌いなんだよ。食べた事ないもんを嫌いだって言うのはおかしいだろ?」


「…生理的に受け付けないとか、あるよ」


 私の悲観的な言葉、否定的な言葉にも彼は笑顔で続ける。


「それは自分が、だろ?それを相手が無意識に感じてお互い話さなくなるんだ」


 ハッとした、その通りだと感じた。


 私は人が嫌いだ。嫌いだからこそ無意識に、又は意識的に相手を遠ざけてしまう。それを相手が感じ取って離れていく。


 結局、相手と良好な関係を築けないのは自分にも問題があるということだ。その問題に立ち向かう事をしなければ、私はこうだからとか相手が悪いとかそんな事ばかり言っているのでは前に進む事は出来ない。


「善処する」


 彼は満足そうにうなづいた。


 内心はそれ程話したいとも思わない。と言うよりどのみち夏休みだ。話す以前に会わない。それに話題もない。結局、状況から心境まで全て整っていない。だから、話せない。


 そうそうと彼はまた付け加える。


「話題ないとか理由つけて話さないのも有り得そうだし、ついでだから聞けよ」


「なに?」


「学校の怪談。うちの学校意外とそういうの多いんだぜ」


 確か聞いたことがある。鼎がそんな事を言っていたような気がする。


 凌斗が怪談を語り始める。


「1年生の選択科目に芸術があったろ?その内の習字を選んだ生徒が見つけたんだ。それは名無しで、丁寧な文字で『助けて』って書かれた作品が、毎年飾られてるらしい」


 へぇ、と明らかに興味なさげな反応をした私を見て、彼は口を尖らせながら質問してきた。


「お前さ、もしかしてこういうの嫌いか?」


「…いや、純粋に面白くない。だってそれだけじゃ誰かのイタズラで終わり。やった人と問い詰めても、どうせ誰も出てこないんでしょ」


 それに彼は明らかに口角を吊り上げる。


「と思うだろ?この話にはまだ続きがあってな、その作品は昔飛び降り自殺した人が書いたものなんじゃないかって噂もあるんだ」


「あんまり、現実味がないね」


 飛び降り自殺した人が書いたから、なんだと言うのだ。根本的には結局人が書いた作品であり、イタズラである事に変わりない。つまり、私の言った誰かがやったという意見の否定にはなっていない。それに、『飛び降り自殺』と言う言葉によく分からない不快感も覚えた。


「…絶対都市伝説とか信じないタイプだろ」


「これでも信じてはないけど否定もしないタイプなのよ」


 都市伝説や怪談、この手の眉唾物の話は否定する人と信じる人で話し合うと面白いほど噛み合わない。信じない…否定する人間は論理的にありえないと一蹴するが、信じる側はほぼ無条件に受け入れる。そこに差ができる。でも、私からすればその2択が既にナンセンスだ。まず、信じる側は存在する根拠が不十分、否定するにしても完璧に否定できるだけの根拠が不十分。どちらにせよ証明するにはあまりに言葉足らずだ。だから、私はそういうものもあるのかもねとどっちつかずの回答にならざるを得ない。今回もそのパターンだ。


 確かに、その作品があったと仮定しよう。それがどこから湧いてきたものなのか、それが分からないから尾ヒレがついてあんな訳の分からない幽霊の話が出てくる。普通に考えれば誰かが書いてしれっと飾った。もしくは端からそんなもの存在しなかった。その可能性も否めないだろう。なにせ、人伝の話だ。どこまで正確か分からない。然し、幽霊は置いておいてもその『助けて』という作品がなかったことを証明出来るだけの根拠もない。だから、今回は否定する事が出来ない。


「そうだ、雪奈がそんだけ言うなら脳トレ感覚で真相解明してみたら?」


「…楽しそうだけど、無理かな。情報が少なすぎる」


「じゃあ俺がその情報集めるわ、夏休みだけど部活あるし人に聞いて回るぐらいは出来るぜ」


「それならいいよ。ちょっと待ってね」


 私はポーチからスマホを取り出し、LAINを起動する。そこから自分のQRコードを表示して凌斗に見せる。


「ほら、情報を渡すのも要望を出すのも手っ取り早い」


「りょーかい」


 それでもう用事は済んだだろうと私は会計をしようと提案した。彼はここは俺払っとくとかっこいい事をしてくれようと財布を取り出したが、なんか悪いなと思ったので結局私も払う事にした。








 彼から連絡が来た。


『今日、部活で後輩に聞いてみたらあったってさ。お前が言ってた初めからなかったって説は無くなったな』


 その連絡を見て、存在している事を確認する。次に必要なのはなんだろう…


『じゃあその作品の文字を先生が見ていたか聞いて、それで見ていたならその先生に聞きに行って』


『りょーかい』


 次の日にはちゃんと情報収集始めるってスゴいいい人だなって、ちょっと思った。






「なぁ冬弥とうや、先生ってその作品見たの?」


 俺は1年の後輩にそれを聞いてみた。聞けば何かわかるかもしれない。俺は頭があまり回らないから聞いても何が何だかわからないが、彼女は違う。雪奈は要領が良くて頭もいい。だから解いてくれるかもしれない。


「えっと…見てた、と思いますよ。なぁ那月なつき東野ひがしの先生見てたよな」


「ああ、見てたよ。ガッツリ見てた。でも、なんも言ってなかったよな」


 何も言っていないけど、しっかり見ていたらしい。それなら何か思うところはあったのかもしれない。


「おー!ナイス!ありがとな」


 俺は段々と情報の集まってくる実感に充実感を得て、意気揚々と向かおうとするがそこで後輩に呼び止められる。


「先輩、なんでそんな事を聞いて回ってるんですか?」


 なんで、それはすごくわかりやすい事だ。


「だって、気になるだろ?こういうのって」


 そう言って今度こそ歩を進め、職員室へ向かった。


 うちの学校は広いが、職員は当然職員室に居る。それに居なかったとしてもどこに居るかくらいは聞けるだろう。


 運動部は活発だ。サッカー部に所属しているが夏休みにロクな休日はない。一昨日が夏休み唯一のオフだ。それ以外は全て部活三昧だ。だから先生はほぼ毎日学校に来ている。東野先生は確かバスケ部の顧問だった気がする。今日バスケ部は一日中部活だ。東野先生は多分来ている。


 それに今は昼休憩、大抵の部活が今は休憩時間として食堂などで食事をとり休んでいる。


 この時間なら、さすがに職員室で東野先生も休んでいるだろう。


 俺は職員室の戸をノックし、失礼しますと中に入った。


「東野先生はいらっしゃいますか?」


「白金。なんだ、飯は食わねぇのか?」


 そう言って声を掛けてくれたのは顧問の中島なかじま先生だった。


「先生は飯食わないんすか?」


「今から食うんだよ。で、東野先生ならちょっと前に書道室に行ったぞ」


「へー、部活の休憩中だから先生も自由なんすね」


「そうだ、だから早くいけ。俺は飯を食う」


 失礼しましたと一礼して退室し、走って書道室に向かう。休憩時間があと30分しかない。


「うわ、あいつ何してるんだろ。面白そうだし付いてこ」


 すれ違いざまにプリン髪の女はイタズラっぽい笑みを湛えてそんなことを呟いた。

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