あずまやにて


 フランツの最期の日々は、ゾフィーの第二子出産と重なっていた。

 ゾフィーは、彼の死に、立ち会えなかった。


 産後、瀕死の彼に会いに行かなかったのは、産後であり、また、彼はもう、会える状態ではないと周囲が……特に夫が……彼は、毎日、フランツに会いに行っていた……止めたからだ。


 だが、ゾフィーは疑念を抱いていた。


 ……あの子は、私を拒絶しない。

 ……どんな状態でも、絶対に。


 ちらりと、ゾフィーは、夫を見た。


 彼は、姉のマリー・ルイーゼとともに、フランツの死に立ち会った。

 祖父の皇帝夫妻は、リンツでの会議に出席していた。モーリツ・エステルハージら、親しい友人達は、危篤になる前から遠ざけられていた。幼い頃からそばにいた元家庭教師のディートリヒシュタイン伯爵でさえ、娘の出産を口実に、ヴュルツブルクへ逃げ出してしまった。彼は、教え子の死に顔を見るのが、いやだったのだ。


 身内の二人以外は、医師や従者が立ち会っただけの、寂しい死だった。



 それから、F・カールは、泣き続けている。先日は、挨拶に来た軍の付き人、モルの前で、人目も構わず、大泣きしていた。



 今も、鼻の頭を真っ赤にし、F・カールは、一枚の絵を見ていた。フランツが亡くなってから、宮廷の所蔵庫から出してきた絵だ。


 1826年、レオポルド・バウアーが描いている。

 この年は、パルマから、マリー・ルイーゼが里帰りした年だった。絵には、あずまやに、皇帝の家族が集っている様子が描かれている。

 皇帝、皇妃、マリー・ルイーゼ、フランツ。皇太子のフェルディナンド、その弟のF・カール、そして、ゾフィー。



 「見ろよ。このフランツの顔ったら! まるで、いたずら小僧そのものだな!」


 絵の中のフランツは、母の日傘をステッキのように突き、得意げに母の傍に立っている。まるで、母を守る、小さな騎士のようだ。




 気持ちのいい初夏の日だった。

 ゾフィーはよく覚えていた。

 家族でプラーター公園を歩いていた皇帝一家は、絵の道具を抱えた青年に声を掛けられた。

 画学生だという。皇帝一家と気づいて、素描をさせてほしいということだった。

 ウィーンでは、皇族と市民の距離は近い。微笑みながら皇帝は頷き、一家は、気軽に、若い画学生のリクエストに応じた。


 ……「出来上がったら、見せて欲しい」

口々に言いながら、一同は、あずまやを後にしたのだが……。





「この絵のフランツは、ひどく幼く見えるわね」

絵を見ている夫に、ゾフィーは言った。


 当時、彼は、15歳だった。背丈は、3年ぶりに再会した母と、ほぼ同じくらいになっていた。声変わりだってしていた。それなのに、絵の中の彼は、10歳くらいの子どもにしか見えない。顔つきも、子ども子どもしている。


「あ、それは、ほら。あの頃は、いろいろ物騒なことが続いて……」

背中を見せたまま、F・カールが言う。


 3月に、皇帝が重篤な病に陥った。幸い、すぐに回復はしたが、皇帝の病は、国民に大きな衝撃を与えた。


 8月。皇室の馬車に、三色旗が投げ込まれるという事件があった。

 馬車には、フランツと、今は亡きルドルフ大公(皇帝の末の弟)が乗っていた。三色旗は、ルドルフ大公の膝に落ち、フランツは気がつかなかった……。


 「メッテルニヒ辺りが言って、幼く描かせたんだろ? 諸外国のスパイに顔が知れて、誘拐でもされたら、大変だから」


 F・カールが、いつもの推測を披露した。相変わらず、ゾフィーには、背を向けたままだ。


「あなたでしょ?」

「え?」

「フランツルを子どもっぽく描くように画家に指図したのは、あなたよ、F・カール」

「……」


 F・カールが振り返った。

 愕然とした顔をしている。


 ……「叔父さんは、下品だ!」

 フランツが、ずけずけと、叔父を糾弾し始めたのは、この頃からだった。


「フランツルは、気づいていたわよ」

「なんだって!?」

「私もよ、F・カール!」


 観念して、F・カールゾフィーの夫は、告白し始めた……。





 ……。

 にこやかな挨拶を残して、皇帝一家が、次々と、あずまやから出ていく。


 F・カールは、最後まで、残った。

 あずまやから、全員が出ていったのを確認し、画家に笑いかけた。

 ……「君は、ライヒシュタットのこと、どう思った?」


 ……「魅惑的な貴公子だと思いました」

頬を紅潮させ、若い画家は答えた。


 ……「なるほど!」

 F・カールは、手を打った。

 ……「だが、あいつはまだ、全然子どもでさ。久しぶりにパルマから母親が帰ってきたんで、孔雀のように得意なんだ」

 ……「それは、そうでしょうね」

 ……「姉上は、予定より、早くパルマを出立したんだ。というのもね……」


 姉から見せられた、甥からの手紙を、F・カールは諳んじた。


お祖父様に聞かれたので、母上は6月の終わりにお帰りになると申し上げました。でも、大好きなママ。どうか僕のことを、『嘘つき』にして。お願い。5月になったら、こっちに来てよ……。



 24歳の画家……フランツより9歳年上だ……は、目を、宙に据えた。

 彼の頭の中で、甥のイメージが、急激に幼くなっていくのを、F・カールは見て取った。

 密かに、ほくそ笑んだ。

 ……。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る