同じハプスブルクの血



 幼いころから、フランツは、軍務を志していた。

 父、ナポレオンと同じように。

 軍務は彼の、憧れだった。


 フランツは、12歳の時、将校の一番下の位である軍曹から、その軍歴を始めたという。


 しかし彼は、なかなか、軍に入ることが許されなかった。身分も、軍曹から全く昇級しない。実績がないのだから当然なのかもしれないが。

 ゾフィーにはよくわからない。だが、この昇級のなさが、皇族としてあり得ないことだと言うことだけは、察していた。


 母の実家、オーストリアにおいて、彼はやはり、警戒されているのだ。

 ナポレオンの息子であることを。



 18歳になった時、彼は、ヴァーサ公の選抜歩兵の大隊で、演習教練を受け始めた。

 朝4時に起きて、演習場に行き、実務訓練を受ける。7時半にはシェーンブルン宮殿に戻り、乗馬のレッスン。家庭教師による学科の勉強が、その後に続く。

 ハードな日課を、文句ひとつ言わず、こなしていた。

 それだけ、軍務を大切に思っていたのだ。

 父と同じ、軍人への道を。



「栄誉を得るなら、僕は、軍務から得たい。戦場の勇敢な働きによって、自ら勝ち取りたいんだ!」


 祖父の皇帝から、軍に入ることを許されない彼は、よくこう言っていた。


「戦場……」

聞くたびに、ゾフィーは身を震わせる。

「あなたが戦争に行くのは、私、いやだわ」


「ゾフィー! 君までそんなことを言う!」

「だって……」


「僕は、早く独立したいんだ!」

強い調子で、フランツは言い張った。


「僕はもう、18歳だ。先生方の保護から独立して、軍務に邁進したいんだ。それなのに、ディートリヒシュタイン先生ときたら、僕の独り立ちは、『身体的にも、道義的にも、知性的にも』ムリだっていうんだよ? ひどいと思わない?」


「知性的にも無理?」

思わず、ゾフィーは吹き出してしまった。


 なぜならフランツは、このウィーン宮廷で、最も聡明な王子だと言われているからだ。それは、彼女の夫の、F・カール大公と比べても、明らかだった。


 軍人の中には、ぜひとも、実際の軍務で、ライヒシュタット公と行動を共にしたいと願う者もいた。年若い彼の、監督官を希望している貴族軍人も多かった。その中の一人は、「ライヒシュタット公は、もはや、充分な思慮を備えた、成人である」と、断言までしている。


 ふっくらとした唇を、フランツは強く噛み締めた。

「僕は、いつまでも、ハプスブルクに寄生していたくない。はやく、ライヒシュタットとして、独り立ちしたいんだよ」


「寄生だなんて、そんなこと、誰も思っていないわ!」

 思わずゾフィーは叫んだ。


 こんなに美しい王子が、美しい時を駆け足で過ごそうとしていることが、彼女には、たまらない思いだった。

 寄生。

 なんていやな言葉だろう!

 彼に対し、そんなことを言う人間を、ゾフィーは、決して許さない。


 彼女の剣幕に、フランツは少し、怯んだようだった。

「やがてこの国を治めるのは、君の子だ、ゾフィー。僕は、君の子の、負担になりたくないんだ」


「ありえない、負担なんて」

 強いて、ゾフィーは笑ってみせた。

 すぐに眉間を曇らせる。

「私の子なんて……。本当に生まれるのかしら、あの人との間に」


 皇帝の長男、フェルディナント大公には、子が見込めない。次世代は、次男の、F・カールの息子が襲うことになる。

 ゾフィーの子が。

 それなのに。

 オーストリアに嫁いで5年。ゾフィーには未だ、懐妊の兆しがない。

 それは果たして、ゾフィー一人のせいだろうか……。


 万感の思いをこめて、ゾフィーは、フランツを見つめた。

 フランツは、まっすぐにゾフィーを見返してくる。

 澄んだ青い瞳が、眩しいほどの輝きを帯びていた。ゾフィーの目線の強さを、柔らかく吸い込み、そして反射してくる。


 頭の芯が、痺れるようだった。ゾフィーは、体が動けなくなるような心地がした。


 ……この子だって、ハプスブルクだわ。

 ぼうっとした頭の、どこかで考えた。

 ……だってこの子のお母さんは、F・カール私の夫のお姉さんだもの。夫と同じく、皇帝の子どもだもの!

 ……義姉の、子。


 弟と姉。皇帝の息子と、娘の子。

 二人は、どう違うというのだろう。

 同じハプスブルクの血が流れているではないか。


「あのね、フランツル。今夜、夫は、帰りが遅いの。だから……、」


ゾフィーが言いかけた時だった。



 「ライヒシュタット公」

歯切れのよい声が呼びかけた。


 白の軍服に、赤いズボンの将校が歩いてくる。

 額に斜めに流した前髪が、軽くカールしている。髪も目も、濃い色だ。肌の色が白く、細身で、すらりとしていた。

 北欧系のようだ。


 「ヴァーサ公!」

 フランツが叫んだ。

 嬉しそうな、誇らし気な声。


 ……この人が。

 フランツの演習での上官だ。フランツは、彼の連隊で実務訓練を受けている。


 直接会ったことはないが、ゾフィーは、彼のことは知っていた。グスタフ・ヴァーサは、グスタフ・ヴァーサは、彼女の、母方の従兄に当たる。母親同士が姉妹なのだ。


 声を弾ませ、フランツがヴァーサに尋ねている。

宮殿こちらにいらしてたのですか?」

「クツシェラ将軍に呼ばれて」

 ヴァーサ公は答えた。にっこり笑って、フランツを見る。

「いつも朝が早いのに、君は、元気がいいな」

「はい! 明日もよろしくおねがいします!」


 フランツの、声だけでなく、体まで弾んでいるように見える。全身から、喜びが沸き立っている。好きで好きでたまらない気持ち。フランツの、希望に満ちた好意を、ゾフィーは感じた。

 ヴァーサ公は、新しい生活で得た、尊敬する将校なのだと、彼は、全身で主張していた。


 再び相手は微笑んだ。包容力のある、優しい笑顔だ。

「ああ。明日はプラーターで……」

そこで、ヴァーサ公は、ゾフィーに気がついた。

「これはこれは、ゾフィー大公妃。お初にお目にかかります」


 丁重に頭を下げた。顔を上げ、ゾフィーを見つめる。

「あなたのことは、亡くなった母から、聞かされておりました」


 なめらかな一連の動きが、止まった。

「近くで拝見すると、あなたは、……なんてあなたは……美しい」

 彼の目の色が、一段と深い鋼色を帯びたことに、ゾフィーは気がついた。


 下腹が、どくんと疼いた。


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