海の掃除屋

「何の用だ、クソッタレ。テメェの面なんぞ拝みたくもねぇんだ、水谷」

 水谷と呼ばれた男にとって、顔を合わせるなり眼前の被験体に罵声を浴びせられるのは日常茶飯事であった。

「それは君のせいだろう、別に私だって君の顔が見たくて来てるんじゃない。S159がまた暴れたという報告を受けたのでね、我々は君の処遇を……」

「S159じゃねぇ。鮫神海浜サメガミカイヒンだ」

 抗議を受け、水谷はふっと小馬鹿にするような溜息を漏らした。

「自称、だろう。神を名乗るのかい、人間に造られた君が? それにしても随分ナンセンスな名前だね」

「テメェにどうこう言われる筋合いはねぇ……そもそも俺が考えた名前じゃねぇよ、貰ったっつってんだろ。全く人間のくせして人間味の欠片もねぇ奴だな、水谷サンよ、え? 人間サマは普通、相手を番号で呼ばねぇだろうが? 俺も半分は人間なんだぜ、そもそもS159なんて言いづれぇんだから渾名だと思って呼べよ」

「そんなことはないさ。人間だって所詮、数字の奴隷だよ」

「ハッ、言ってろ畜生め」

 ドスの利いた声で食ってかかる管理番号S159-04――鮫神は、その名の通り、鮫であった。

 2メートルを超える身体も、つくり自体は人間とほぼ変わりない。が、太い尾、腕と首筋から突き出すひれ、鼻面が尖った頭部はなるほど鮫。二本足で立って歩く鮫、と表現するのが相応しい。彼の肉体は、人間と鮫との融合という点において、外見の上では完璧と言ってよかった。彼は、神話に挑んだ人間の部分的な勝利の証、と同時に人間の傲慢さが犯した禁忌の体現なのである。

 鮫人、というだけで目を引くが、凶悪な目付き、顎から額にかけて走る二条の白い傷痕を始めとし全身に刻まれた創痕、加えて左肩から手首まで、波をモチーフにびっしりと彫られた流麗な刺青が、余計に彼の存在感を増していた。

「で、何だ。俺もいよいよ殺処分か?」

「命拾いしたね、違うよ。新しい仕事だ」

「あァ? 今度は何だよ。言っとくがイカれた実験に付き合う気はねぇぞ」

「実験じゃない。何、楽な仕事さ……研究室の掃除だ」

「……どっちの掃除だ。また死体処理か?」

 うんざりしたように顔を顰める鮫神を見て、水谷はほんの僅かに笑った――彼の口元にぶら下がった、温かみのない皮肉な微笑が、鮫神の神経を逆撫でしたことは言うまでもない。

「いや、普通の掃除の方だ。機械の調子が悪くて水槽が汚れてしまってね……君なら水中でも仕事ができるだろう? これ以上ない適任者だという訳だ」

「へっ、いいように使いやがって。だがまあ、確かにまだマシだな」

 相変わらず不本意そうな鮫神。彼は、『成功作』でもあり『失敗作』でもあった。

 ここは、大海原にポツンと佇む孤島――人間とその他の生物とをかけ合わせて強化生物をつくり出している研究所である。


 鮫神は、戦闘員兼作業員としてつくられた個体だった。

 夥しい回数の手術、薬剤投与による肉体改造、そして過酷なトレーニングに耐え、人間よりも遥かに優れた身体能力を獲得することに成功した、数少ない実験体の一つだった。知能も申し分なく、研究所の強化生物の中では間違いなくトップクラスの出来である。

 しかし鮫神には、致命的な欠陥が一つあった。

『制御不能』。それが、所員たちが鮫神に頭を悩ませる所以である。

 自由意志のある強化生物は厄介極まりない。使い物にならないばかりか、甚大な被害をもたらしかねないのだ。故に、研究者たちは様々な手を用いて被験体を洗脳し、思いのままに動かそうとしてきた。

 ところが鮫神は、何をどうやっても従順なロボットにはならなかったのである。驚異的な精神力、意志力で以て、マインドコントロールを尽くはね返したのだ。

 洗脳が効かない個体はしばしば現れる。その個体が温厚な性格をしていればまだよい。しかし鮫神といったら言動は粗暴、所員たちを嫌い、命令を拒んでは騒ぎを起こし、時には怪我人すら出している。しかしそれらの欠陥を除けばあまりに優秀な研究成果であったから、処分することもできない。所員たちは結局、四六時中銃を突きつけるなどといった原始的な方法で何とか彼を動かすしかなかった。

 そんな鮫神である、武器を持たせるなど以ての外。戦闘員から清掃員に転向させられ、専ら地味な力仕事や掃除、死亡した(もしくは処分された)被験体の死体を処理する作業に従事していたのであった。

「それで、どうしろってんだよ」

「まあまあ少し待ちたまえ。人の話は最後まで聞くものだ」

 鮫神は舌打ちと共に腕を組んで壁に寄りかかり、顎で続きを促した。

「この部屋の壁、君が殴ったり蹴ったりするおかげでボロボロだから修理することにしたんだよ。だから暫くはあっちの研究室の方にいてもらうよ、必要なものは持って行きなさい。薬は届けるから心配ない……あと、その部屋にもカメラとレーザー銃は設置してあるから妙な真似はしないように」

「おう、俺のためにわざわざ付けてくれたのかよ。親切だなァ、嬉しくて涙が出ちまうぜ」

 肩を竦めて皮肉る今も、天井裏から銃口を向けられているのだ。照準は常に鮫神に合わせられており、何かしでかそうものなら瞬時に狙撃される。それがある限り、幾ら彼でも迂闊には動けなかった。

「それと、研究室には実験体が一体残っていてね……邪魔なら殺して食ってもよし、そのまま放っておいてくれてもいい。いるということだけ承知しておいてくれたまえ。じゃあ、明日の昼に迎えに来るから、それまでに準備しておきなさい」

 水谷という男は、鮫神に凄まれようが何だろうが眉一つ動かさない。何に対しても、少なくとも表面的には無感動なのである。

 どんな非道な台詞も真顔で吐ける、どんな残酷な行為も平気で行える。そういう男だ。

 人間としての分をわきまえない所業、抑揚に乏しい喋り方、そのくせ言葉だけは呑気で馴れ馴れしく傲慢。鮫神はそれが大嫌いだった。

「用済みの奴か……ちなみに、何がいる?」

 出ていこうとする水谷に低く問う。

「人魚だよ。失敗作のね」

 事もなげに生命を弄び、それを失敗作と言い捨てる人間の背中に、鮫神はありったけの殺意を込めて中指を立てた。

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