『失敗作』同士
翌日。
やはり銃を携えた警備員8人ほどに囲まれながら、鮫神は気怠げに薄暗い廊下を歩いていた。
持っていくものはと言えば、数枚の衣服とダンベルだけだった。そもそも彼の独房じみた部屋には、トレーニング器具を別とすれば、ほとんど物がなかったのだ。
「ここだ。入りたまえ」
恐らく強化ガラス製であろう分厚い自動ドアが開き、銃口でせっつかれるようにして青い薄闇の中へ足を踏み入れる。すると、ぱっと照明が点き、部屋の内装が明らかになった。
早速始まった仕事の説明を適当に聞き流しながら、鮫神は室内を眺め渡す。
広かった。予想の数倍はあった。立ち並ぶ培養槽、そこに閉じ込められた得体の知れない物体の数々。たくさんの水槽――そして何よりも目を引くのは、水の壁。水族館かというほどの巨大水槽である。確かに中は濁り、ガラスに藻が蔓延っていた。何が楽な仕事だ、これを全部俺一人でどうにかしろってか、と胸中で毒づく鮫神であった。
「……ここにある残骸は皆、いずれ廃棄するよ。折角だから腐る前に、おやつにでもするといい」
「誰が食うかよ。だったら早くテメェの肉を寄越しやがれ、骨まで綺麗に食ってやるぜ」
半ば本気のブラックジョークで応じ、鮫神は『人魚』の姿を捜した。やがて大水槽の隅にそれらしきものを見つけ、まじまじとそれを見つめ――
「……」
同情とも憐れみともつかぬ、何とも言えぬ苦々しい色を目に湛えた。
黙ったまま近付いていく。鮫神と水谷の二人に気付いた人魚も泳いできて、壁にぴたりとはりついた。
「なるほど、なァ。人魚、か……」
「ね、失敗作だろう? 醜いことこの上ない」
「テメェは一旦黙ってろ、歯ァ折り飛ばすぞ……俺らが『失敗作』なんじゃねぇ、テメェが勝手に失敗しただけだ。テメェの方が人間として余程の欠陥品だろうがよ、クソッタレ」
罵りながらも、鮫神は『人魚』を見つめたままだった。
それは世間一般的に想像される人魚の姿には程遠いものだった。
魚の下半身、これはまだきちんと再現されていたと言えよう。鱗はところどころ剥がれていたが。
問題は上半身である。グラマラスで美しく――はなく、肋が浮くほどに痩せ細っていた。腕は生えておらず、胸は思春期に入ったばかりの少女のようにほぼ平ら。ふわふわと揺蕩うブロンドの髪だけは美しかったが、魚のように真ん丸な目と小さな口、ほぼ盛り上がっておらず鼻孔のみうかがえる鼻、耳がなく、点々と鱗が散らばる顔にはどこか不釣り合いだった。
「……神への冒瀆だな、こりゃ。種の創造に人間ごときが手を出していいはずがねぇ、創造神の怒りを買うに決まってらァ」
歪な彼女の姿は、まさに神が不遜な人間へ下した怒りの具現かと思われた。皮肉なことに、彼女自身には何の罪もないのであるが。
「大丈夫、君も十分神に背いている。必ず地獄に落ちるだろう……では、宜しく頼むよ。少々骨が折れるだろうが、頑張ってくれたまえ」
「うるせぇ、とっとと失せろ」
水谷が出てゆき。扉が閉ざされ、鮫神はやれやれと首を振って大水槽の裏側へと続くタラップを登っていった。
「おい、上がってこい」
水面に向かって怒鳴ると、ゆらゆらと影が浮き上がってきて、ぱしゃりと小さな飛沫をあげて彼女が顔を出した。見開かれた目は鮫神の左腕に釘付けになっている――『S159-04』の文字に。
「……まあ、よく見りゃ愛嬌がある、かもしんねぇな」
濡れた髪が顔にはりついて一層異様な様相を呈していたが、笑う気にはなれない。己と同じ、罪なき生物を貶めたくはなかった。お世辞にも美しいとは言えないが、醜いという気は、なかった。
鮫神を初めて目にした者の目は大抵左腕の刺青に向くのだが、彼女は右腕の焼印にじっと視線を注いでいる。それに気付き、鮫神はずいと顔を近付ける。
「お前は番号がねぇのか?」
首を傾げ、頷く彼女。
「じゃあ今まで何て呼ばれてた?」
「……きみ、おまえ、できそこない、けっかんひん」
「おうおうそれは名前じゃねぇ」
胸の悪くなるような言葉が並ぶことは分かりきっていたので、口をぱくぱくと動かし、掠れた声で喋る彼女の言葉を、鮫神はすぐに叩き切った。
「奴らのことだからそうなるわな、聞いた俺が馬鹿だった。よーし、俺がつけてやる。……スイだ、スイ」
頭が単純な鮫神のネーミングセンスは壊滅的である。水――スイ。何とも安直な命名だ。
「……すい」
「そうだ。俺は鮫神海浜だ」
「……さめがみ」
「そうだ。まあ、仲良くやろうや、手伝ってくれてもいいんだぜ、え?」
そう言って鮫神は牙を剥き出して笑い、ブラシを手に、盛大な水柱を立てて水槽に飛び込んだ。それに驚いたのかスイはさっと泳ぎ去り、隅の方へ行ってしまう。
「何だ、怖ぇのかよ。ならそこで大人しくしてろ」
鮫神は大して気にする風もなく、藻がはびこる硝子の壁を擦り始める。
「きったねぇな。どんだけ放っときゃこうなんだよ畜生……」
悪態をつきつつ掃除をする鮫神の背中を見つめるスイの、魚のような目がきらりと輝いた。
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