自分でやる気になる

 仕事を依頼されるプロの作家でもない限り、基本的に小説を書くという行為は誰からも急かされません。

 アマチュアはもちろん、仕事を依頼されなくなったプロ作家には、絶対に守らなければならない締め切りもなければ、原稿を催促してくる人もいません。


 小説を書くのは、孤独な作業です。たいていの場合、周りには言えません。10代〜20代前半くらいまでならある程度周りで応援してくれる人もいるかもしれませんが、それ以降はカミングアウトもしにくくなります。

「もう夢見てる歳じゃねえだろ!」

 と説教してくる人もいます。

 趣味で小説を書いている、と言っても「お前それで食っていけんの?」みたいなことを言ってきます。

 だから、余計に周囲に打ち明けづらくなり、孤独さは加速してきます。


 書き続ける場合、自分で自分を鼓舞していかないと、どこかで心が折れます。

 別に書くのをやめようが、小説家になることを諦めようが、誰にも迷惑かけません。心無い人から説教もされません。家庭を持っている人なら、小説を諦めたら喜ばれるかもしれません。


 私の周囲でも、専門学校卒業したらまったく小説を書かなくなった人は多いです。

 せっかく才能があったのに、恋人と結婚するかもしれないから、と小説を捨てた友人もいます。


 そんな中、私はいまだに小説を書いています。

 プロ作家にもなっていませんし、小説で暮らせるようなお金を稼げたこともありません。

 それでも続けています。


 私と友人たちに間には、どんな違いがあるのだろう、とふと疑問に思いました。


「自分でやる気になること、これも技術のうち」

 こう言っていたのはプロレスラーの佐山聡氏です。

 動画サイトでも「佐山聡シューティング合宿」で検索すればヒットします。

 この言葉のあとのビンタシーンが衝撃的で、そこばかり紹介されがちなのが残念ですが、「自分で高めていけ」と合宿の参加者に教えています。


 これは、アマチュアクリエイターに当てはまる言葉だと思います。

 追われる締め切りもなく、催促してくる編集者もいないアマチュアの作家にとって、最大の敵は「やる気」です。

「なんとなく気が乗らないから、今日はやめておこう」という判断を簡単にできてしまいます。これが積もり積もると小説から遠ざかり、ついにはひっそりと小説家の夢を捨てることになってしまいます。


 ちょっと話は変わりますが、私が人生で二度目に同人誌即売会に行った時の話です。

 初めて行った同人即売会が非常に楽しく、目当てのサークルさん目的で足を運びました。

 当時、PSPで「モンスターハンターポータブル2nd」が発売した直後くらいだったと思います。

 目当てのサークルさんがすべてテーブルの上に「原稿落としました」と書いたスケッチブックを立てかけて、モンハンをやっていました。既刊を並べることもなく、まったく顔も上げずにPSPに夢中でした。会場の知り合いと集会所クエストでもしていたのかもしれません。

 自分でやる気になれなかったから、彼らは原稿を落としたのではないでしょうか。単純に原稿を落として新刊が出ないのなら、せめて既刊を並べておくべきです。

 結局、彼らは自分でやる気になれなかったから、そんな状態になったのでしょう。即売会スペースの無駄遣いです。


 ⋯⋯と、つい過去の話を思い出して若干エキサイトしてしまいました。


 アマチュアにとって、周りに誘惑はいっぱいあります。

 ゲーム、マンガ、アニメ、映画etc⋯⋯

 誰にも求められているわけでもない小説を書き続けるのは、本当に好きでもない限りつらいものです。

 ついちょっとだけ、と誘惑に負けてしまうと、あっという間に一週間一ヶ月が過ぎてしまいます。


「自分でやる気になること、これも技術のうち」

 私はつい誘惑に負けそうなときに、この言葉を思い出すようにしています。

 

 とはいえ、誇れるほど私の小説を捗ってはいませんが、諦めていないという意味では、効果が多少あるのではないでしょうか。

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