第17話

「あ、それか」


 俺も鞄から取り出す。


「健斗から見せてよ」

「なんで?」

「私の先に見たら、落ち込むと思うから」

「……すごい自信だな」


 確かに、春音に敵うはずがない。


 でも今回、成績自体は大きく上がったのだ。なんと三つの教科が八十点を超えたのである。その一つはもちろん、春音に教えてもらった数学だ。それ以外の教科もいくらか点数が上がっており、総合的な順位も期末より断然良かった。


 それを見せると、彼女は棒読み気味で言った。


「よかったねー、すごいじゃーん」

「…………」


 別に喜んでくれていないわけではないのだ。でも、心が籠ってない。


 なんで春音は、俺の試験結果について関心がないのだろう。教えてくれた時はあんなにノリ気だったのに。


「じゃあ次、私ね」

「……おう」

「はいっ」


 自慢げに、春音がずらっと答案用紙を広げた。


「……ヤベェな」


 つい、口からそんな一言が出てきた。


 全教科が八十点以上、さらに百点近い教科もいくつかある。ってかその内の一つ、古典ですね。単語、全問正解じゃねぇか。ほんと、なんで俺に勉強付き合わせたんだろ……。


 春音は上から目線で首を傾げる。


「どう? 気分落ちた?」

「いや、落ちるってよりも感動したというか……、春音やっぱすごいな」

「え? あ、うん。……ありがと」


 春音は度肝を抜枯れたように目を見開くと、嬉しそうに照れた。褒められるとは思っていなかったのかもしれない。


 そして彼女は髪を弄りながら、素直に励ましてきた。


「……健斗ならこれくらいできるよ。頑張って」

「俺にできるかなぁ……、それに今回、成績が上がったのだって春音のお陰だし」

「それは……そうかもだけど」

「あっさり認めるんだ……。とにかくまぁ、そういうことだからさ、これからもよろしく」


 すると春音は、大きく何度も頷いた。


「うんっ! もちろん! お菓子もいっぱい作ってくるよっ」

「あ、ありがとな。でも、マジで無理はしなくていいからね……」


 勉強の内容と一緒にお菓子も詰め込みまくった結果、俺はここ最近、ロクに夕食を食べれていない。試験期間中もずっと、彼女は弁当だけでなくお菓子も作ってきてくれていたのだ。

 

 ありがたいけど、今後は適量でお願いします……。


 なんてことを考えつつ、部室の時計に目をやる。終業式が終わってからも、ここで何かとだらだらしていたので、もう二時だ。


 試験期間中なら、ここから勉強が始まるのだが、もうそんなことをする必要はない。


  なので俺は机の上を片付けると、鞄に手を伸ばし……中から、図書室から借りている本を取り出した。もうすぐこれ、返しに行かないとな。


 すると春音も、同じように本を取り出した。


 そして二人して、無言で読み始める。


 実はこの本、すでに一通り読み終えているのだ。しかし、それでも俺はこれにすがる。


 春音と時々、目は合うものの、お互いすぐに逸らした。


 こんな時間は普段なら心地よく感じるのだが、今日はなんだか落ち着かない。


 多分、俺たちはもっとこうしていたいのだ。明日から夏休み。その間、部員二人の文芸部に活動日があるはずがなく、一ヶ月以上、ここへやって来ることはない。


 それが妙に寂しくというか、離れがたいというか……。


 しかし、そんなことを考えている時に限って時間はすぐに過ぎる。


 もう五時を回ってしまった。


 俺は思い切って、この沈黙を破ることにした。


「じゃ、そろそろ帰るか」

「……うん」


 春音は小声で頷いた。表情は本で隠されていてわからない。


 名残惜しいような気持ちで部室を出ると、二人でゆっくりと職員室へ向かう。今日は吹奏学部の練習や運動部の掛け声は聞こえて来ず、辺りは静寂に包まれている。


 終業式にこんな時間まで残っているのは俺たちくらいだ。


 特に何も話すことなく、あっという間に職員室へ到着すると、いつものように春音が鍵を返して来た。


 俺が今、別れを告げたら春音があの表情を浮かべることはわかりきっている。ここ数日もそうだった。


 しかしずっとこんなことが続いていると、俺の中のもやもやは薄れてくる。


 それどころか、春音が自分から何か言ってくるまで待とう、なんて考えが浮かび始めてきてしまっていた。


 だから、俺は声をかける。


「またな」

「う、うん。また明日、じゃなくて……二学期」


 最後に付け足された単語はえらく震えていた。


 春音は予想通り、寂しげな視線を向けてきている。


 それに俺は背を向けて歩き出した。


 こんなに廊下が長く感じられたのは初めてだ。


 どれたけ歩いても、あまり進んだ気がしない。


 気づけば、この静かな廊下には足音だけが響いていた。



 俺の後ろから聞こえる、足音。



 思わず立ち止まってしまっていた俺の手が、掴まれる。


 振り向くと、息を切らした春音が必死に俺を見上げていた。


「一緒に……、帰ろ?」




いつかの朝に投稿された、誰かのツイート

『今日は絶対、好きな人と一緒に帰る』

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