第15話

「そんなことはねぇよ。ごめん、俺がおかしなこと聞いたわ。一緒に返しに行こう」

「……うん」


 納得してくれたのか、春音は大きく頷いて立ち上がった。

 二人で部室を出る。


 昼休み同様、春音が部室の鍵を閉めた。しかし、彼女は歩き始めない。


「どうした?」


 聞くと春音は、前髪を整えながら、途切れ途切れに言ってきた。


「放課後はそんな人いないし……、普通に歩こうよ……」

「わかった。春音がいいならそれで」


 部活終わりのこの時間帯、教室を出入りする生徒は多いが職員室へ向かう生徒は少ない。


「…………」

「…………」


 お互い、どちらから歩き出したものか、わからなくなってしまった。視線だけが交差している。


 そんなやり取りや、この状況が妙に照れ臭く、顔が赤くなっている気がして俺は廊下の窓に顔を向けた。しかし、夕日が差し込んできている周囲はどこも茜色で、判別ができそうにない。


 俺の方から一歩踏み出してみた。


 すると、春音も一歩だけ進む。


 俺がさらに二歩進むと、彼女も同様に二歩進んだ。


 何してんだ、俺たち……。全然普通に歩けていない。


 春音を見ると、彼女はとても嬉しそうな顔をしていた。俺もこんな時間が楽しくないわけじゃないが、それ以上に気恥ずかしい……。


「普通に歩くか……」

「普通に、ねっ」


 耐えられなくなった俺が声をかけると、春音は愉快に微笑んだ。そんなに楽しいのか……。


 今度は二人、ちゃんと歩き出す。


 人気ひとけのない四階の廊下には、俺たち二人の足音がよく響いた。


 横から春音が、ご機嫌に話しかけてくる。


「明日、テストできそう?」

「できそうってよりは……、春音に教えてもらったところはちゃんと解けるように頑張るよ」

「そーね、健斗なら大丈夫だよ」

「……なら、なんで聞いたんだよ?」

「別にいいじゃーんっ、こういう時の常套句みたいなものでしょ」


 春音が頬を膨らませる。


「まぁ、そうだな。で、確か明日も弁当作ってきてくれるんだっけ」

「そだよ?」

「じゃあ余計に頑張れるな」

「…………ありがと」


 少し黙り込んでから、俯きつつ春音がボソッと呟いた。頬も耳も、明らかに夕日とは違う赤色に染まっている。


 俺はわかっていながら聞いてみた。


「なんで春音がお礼するんだよ?」

「……健斗、また調子乗ったね、これで三回目」

「本当に覚えてたのか……」

「だからそう言ったじゃん」


 恨めしそうな視線を向けてくる春音。


 調子乗った回数とか、あれって俺が初めて部室行った日のことだろ? まさか本当に記憶してるとは……。と言っても、たかが一週間くらい前のことだが。


 そんな会話をしているうちに、職員室へついた。


「またここで待ってて」


 言って春音は、一人職員室へ入って行く。鍵を戻しに行くのは彼女だけなのだ。昼休みもそうだった。


 一分もせず、春音はすぐに戻ってくる。


 これにて、今日の部活は終わりだ。


 昇降口の方には大勢の生徒がいる。俺はここでさっさと行くべきだろう。


「それじゃ明日な。俺が言うことじゃないけど、春音もテスト頑張って」

「……あ」


 俺がバイバイと手を振って歩き出した途端、春音が手を伸ばしてきた。


 しかし、すでに二メートルくらい距離が開いているため、俺へは届かない。


 彼女はすぐに手を引っ込めると、不器用に笑った。


「……またね」


 再び伸ばされた手は俺に向けられておらず、ただ胸元で儚げに揺れている。


 俺はそれにそっと目配せして、ゆっくり歩き出す。


 ――またその表情かよ……。


 薄々感じてはいたけど、彼女があんな顔をする理由は、俺と鍵を返しに行きたいからというわけではなかったようだ。


 やっぱり、俺と帰りたいのだろうか。


 またわからなくなってしまって、もやもやする。


 でも、もう今更聞けそうにない。彼女との距離はすでに、そこそこ離れてしまっている。


 ふと振り返ってみると、春音はまだ同じ場所にいて、同じように小さく手を振っていた。


 それに俺は再び小さく手を上げておく。


 窓の外に目をやると、夕空は藍色になりかけてしまっていた。


 ……あの時、二メートルさえ離れていなければ。


 ***


 翌日、俺は教科書を広げて最後の確認をしていた。


「なんか戸田、めっちゃ勉強してんな」

「選抜でも目指してるんじゃね?」


 そう、その通り。俺は選抜クラスを目指しているのだ。それと沢田、入野、うるせぇ黙ってろ。


 奴らに意識を向けてる暇なんてない。そんなことより試験である。


 昨日も家では、比較的得意な文系教科をやった。これでひとまず準備は万端。


 少しして、担任が入ってきた。教室が一旦静かになる。担任は「がんばれー(笑)」「ケアレスミスすんなよー(喜)」などとそれっぽいことを言って、さっさと出て行く。


 すると入れ替わるに、試験監督の先生が入ってきた……及川先生じゃねぇか。


「はい机の上、片してー。中も確認するように」


 いつものように威厳に満ちた態度で淡々と、先生は言った。後ろの奴らも含めて、クラス全員が素直に言うことを聞いている。


 問題用紙が配られ始めた。


「足りなかったら手を挙げるように」


 そして全員に行き渡ったことを確認すると、高そうな銀色の腕時計と教室の時計を交互に見る。教室の時計が正確か確かめているようだ。あれは確か、遅れてなかったはず。


 及川先生もそれを確認したのか、軽く頷いた。それと同時に、チャイムが鳴る。


「始め」


 よし、頑張るぞっ! と思い、冊子を開きかけたその時、無性に視線を感じた。


 視線の方向へ一瞬だけ目をやる。そこには、両手で教卓に頬杖をつき、ニヤニヤしながら俺のことを見つめている及川先生がいた。


 ヤバい。集中できない……。ってか、なんでこっち見てんだ? いや、深く考えちゃダメな気がする。なんとか試験に集中するんだ……!


「…………」


 どう頑張っても、視界の端っこに先生が映ってしまうことに気づいてしまった。それと、焦点は合っていないがわかるのだ。


 先生は今も、同じように俺を見ていると。


 なんでだ!? 俺が部員だからか? だったら春音も今後、見られる可能性が……。


 及川先生、どういうつもりですか……





誰かのツイート

『いつもの彼の、横を歩くことができた。

 その後は一緒に帰るタイミングを逃してしまったけど、

 私にしては十分進歩できた一日だったから、追うのは諦めた。

 だから代わりに、彼が見えなくなるまで手を振った。

 本当は明日からの試験なんてどうでもいい。

 

 お願い、ずっと一緒にいさせて?               』

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る