第9話
***
「終わりました……」
「おつ〜」
一通り解答を書き終わったノートを、春音に渡す。すると彼女は嬉しそうに受け取った。楽しそうで何よりだ……。
春音は採点を始める前に、不思議そうに俺の顔を覗いてきた。
「なんでそんな疲れてんの? たった十問だよ」
「まぁそうなんだけどね……」
解き始めると、異常くらいに春音の視線が気になった。
なんせ俺が解いているのを、じっと見つめてきていたからだ。間違っているのをこそこそ笑ってるんじゃ……などと考えてしまい、問題を解くことに集中することに疲れた。
今後もこんなのが続くのだろうか……
俺が机にうつ伏せになっていると、春音が教科書か何かで俺の頭を叩いてきた。
「ねぇー健斗、なんか前より字、綺麗になったね〜」
「そうか?」
うつ伏せのまま俺は答える。
「うん。前なんてアラビア文字と見間違えるレベルだったし」
「ひでぇ言われようだ……いや待て、それ、小学校の頃の話だろ?」
「そだけど?」
「よく覚えてたな……、そりゃもう高校生になったんだから、日本語くらいにはなるって」
「前はアラビア文字だったことは認めるんだ」
「ああ」
それは認めざるを得ない。学年全員が、俺が字が汚いことを知っていた。
なんでだろうか、あの時はどんな文字も人に見せる前提で書いていなかった気がする。幼かったし、そこまで気が回らなかったのだろう。一回くらいは丁寧に書くことを心がけたことがあったような気もするが……もう忘れた。
赤ペンがノートの上を走る音が聞こえてきたので、おそるおそる顔を上げてみる。
「あの…………」
出来栄えを聞こうとしたが、そこでやめてしまった。採点をしている春音が、どこか寂しさをも感じさせる優しげな笑みを浮かべていたのだ。
彼女は俺が顔に見られていることに気づくと、慌てて真顔になった。
「…………、何?」
「や、なんでも」
彼女がなぜあんな表情を浮かべていたのかは分からない。だから言わないでおくことにした。
俺が不安いっぱいで春音の採点を眺めていると、ふと彼女の手が止まった。そして、殊更に恨めしい視線を向けてくる。
「集中できないから、こっち見ないで」
「そっくりそのままお前に返してやりてぇよ……」
「え、なんで?」
春音は何もわかっていない様子だ。
「……俺が問題解いてる時、めっちゃ見てきてただろ」
「嘘、私見てた?」
「むしろ見つめてきてたな……」
言うと、春音はう〜っと頭を抱えだし、小声で呟いた。
「…………ごめん」
「別にいいけど……」
「じゃ、じゃあこうしようっ!」
「何?」
顔を上げると春音は、突然立ち上がった。そしてぐるっと歩き、俺の隣の席へやってきて座る。ふんわりと爽やかな柑橘系の香りが漂ってきた。
……どういうつもりだ?
「あの、……春音?」
「ここでやるっ! 健斗はそのまま俯いててっ! 横に並んだ方が視線は気になりにくいでしょ!」
怪訝な視線を向けた俺に、彼女は口速で捲し立ててきた。
確かに視線に関してはそうかもしれないけど、その代わりお互いの距離が近づいたわけで、これはこれで集中できないんじゃ……。
しかし春音は宣言通り、集中して採点を始めた。顔も耳も真っ赤になっているが。
「……できた。半分は合ってたよ」
異常なくらい疲れた様子で、春音がノートを返してきた。どう見ても採点をし終わった人の表情じゃない。
「そうか……、ありがと」
「まずここ、なんで間違えたかわかる?」
気恥ずかしさを振り払うように、間違えた問題を指さしながら春音は淡々と言ってきた。
俺は素直に答える。
「わからない。だってここの最大値って……」
「あぁ……、こういうのは最初のうちは、図を書いた方がいいよ。定義域入れて計算しただけじゃ、いまいち分かりにくいし」
「ふ〜ん。やってみるわ」
再び春音に渡されたシャーペンを握り、言われた通り二次関数の図を書き始める。
また春音はこちらをじーと見てきているが、今は教えてもらっている最中なのでそこまで気にならない。
図を改めて見てみると、すぐになぜ間違えたのかがわかった。
「なるほどねー」
「じゃ、次の問題も、もうわかるでしょ?」
「多分」
「ほら、やってやって」
「はーい」
少しずつ調子を取り戻してきた春音に言われ、俺はまたシャーペンを動かす。
***
「今日はここまででいいよ」
「はぁー、終わったー」
五時二十分、部活終了時間の十分前になり、ようやく勉強が終わった。あれからさらに何ページもやり、俺の脳内は現在、完全に燃え尽きている。
「お疲れ」
「春音もな」
彼女は勉強以外の何かで明らかに疲れていた。
俺はノートをしまうと、春音にシャーペンを返す。
「これ、ありがと」
「……うん」
彼女は受け取ると、それをギュッと握ってから筆箱へしまった。
俺は夕日に照らされた通学鞄を持ち上げて立ち上がる。
「鍵、今日は俺がやっとこうか?」
昨日はこの時間、春音の方から「鍵は私がやるから帰っていいよ」と言われたのだ。
彼女は大きく
「いや、いいよ。それは部長の私の仕事だから」
「そうか、ありがと。じゃあな」
春音がそう言うのなら、俺はもう帰る以外ない。
幼馴染なので、当然ながら俺たちの家は近いのだが、かといって一緒に帰るというのはどうにも恥ずかしさがある。
「健斗……」
「ん?」
ドアノブを掴んで押した時、後ろから春音の声が聞こえたので振り返る。
彼女は俺の方に手を伸ばしかけ、そしてすぐに戻し、代わりにその手を小さく横に揺らした。
「……また、明日ね」
誰かのツイート
『帰り途中、彼氏に自慢話ばっか聞かされたんだけど……
はぁ……、マジで鬱陶しかったw 』
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『こんなこと言ったらあれかもだけど、
一緒に帰れてるの羨ましいなぁ。 』
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