第8話

 えぇ……、顧問この人だったのかよ。俺、二日間も部員もどきをやっちゃったじゃん。


 及川先生は先程から普段よりはいくらか優しげに話してくれてるが、俺にはもう、この後自分が怒鳴られる未来しか見えなかった。とりあえず謝る! 


「すいません、勝手に行って……」

「まぁ、いいわ。君があそこに入ってくれるなら」

「は、はい」


 冷や汗を流していた俺に、先生は意外とあっさり許してくれた。良かった、怒られずに済んだ……


 それはそうと、どうにも俺には、理解できないことがある。それは及川先生が、生徒に何かを強く勧めて来たりすることだ。


「でも、なんでそこまで俺を文芸部に入れたがるんですか?」

「そんなのいちいち聞かなくても分かるでしょ。五日野春音のためよ。君も『勝手に』見学に行ったんだから会ったわよね、彼女に」

「……は、はい、会いましたけど」


 なんだか「勝手に」と言う部分を強調して言われた気がしたので、俺の返事は、少し決まりが悪そうな口調になってしまった。許してくれたんじゃねぇのかよ……


「私はただ、顧問として部員である彼女のことを放っておけないのよ。一人ってのもなんか可愛そうでしょ?」


 そう言って先生は、暖かい微笑をたたえた。それは今までに見たことが無いほど、慈愛に満ちた表情だった。

 しかしすぐに、いつものそっけない、無機質な表情へ戻ってしまう。


「なるほど、そういうことですか」


 俺は及川先生の本性を垣間見ることができて、自身の表情が緩むのを感じた。人は見かけによらないというのは本当のようだ。


 まぁこの言葉は、もちろん悪い意味にも使われるわけであって、俺はそのいい例を多々知っているのだが……。


「えっと……、入部届はどうすれば?」

「そこの棚に入っているわ。ついでだし今ここで書いて行けば?」

「はいっ」


 入部届を手に取ると、俺はそこにシャー芯が折れるほどに強く名前を書き込む。


「お願いします」

「はーい」


 及川先生はそっけなくもどこかほっとしているような声音で相槌を打つと、俺から入部届を受け取った。


 さて、やるべきことは終わった。これで俺は正式に文芸部員だ。


「失礼します」

「はいはい。……男女で一つの部屋、ヤリ放題じゃない」


 俺が軽く頭を下げて立ち去った後、後ろからとんでもない発言が聞こえてきた気がしたが、気のせいだろう。


 ***


「入ってきた」

「お疲れ、それと……ありがと」 


 部室に戻ると春音はそう、俺の顔を見ずに言ってきた。

 

「おう、気にすんな。で、勉強か……」

「そうよ……、勉強」

「なんで春音までテンション落ちてるんだよ」


 とにかく彼女は俺に勉強を教えたいんじゃないんだろうか?

 俺が怪訝に見つめると、春音はぶんぶん顔を左右に振って、パシッと頬を叩く。


「……よし! いや大丈夫! 私はやる気満々よ」

「そ、そうか……」

「それで健斗、どの教科が苦手?」

「…………」

「何? いきなり黙って」


 少しおもしろそうなことを思いついてしまったので、言おうか言わまいか考えていると、春音が首を傾げた。


「やー、保健体育って言ったら怒るかなって」

「バーカ。さっさと教えろ…………それはある意味、私も苦手だし」

「なんか言ったか?」

「いや、なーにも」


 よく分からないが、あっさりと流されてしまった。

 なので、さっさと本当のことを言う。


「……数学」

「はぁ……」

「おいやめろよ、その『やっぱりかぁ』みたいな顔。なんでわかったんだよ」


 聞くと春音は、数学の教科書を鞄から取り出し、ペラペラめくりながら答えた。


「なんとなくー」

「なんとなくって……」


 適当に返されてうんざりしていると、彼女は早くこの話題を変えるかのように、開いた教科書をこちらへ向けてきた。


「じゃ、ここ解いて」

「f(x)か……」

「露骨に嫌な顔しないの。ほら、解いて」

「わかったよ……」


 これはビシバシいかれるやつやつだな……。確かに学力は上がるだろう。それにしても「エフエックス」の投資感は異常……などと思いつつ、ノートを取り出す。


 続いて俺が筆箱を取り出そうとした時、目の前に水色のシャーペンが差し出された。


「使って、いいよ……、わざわざ出さなくても、ほら」


 前髪をいじりながら、春音が辿々しく言ってきた。


 まぁ、貸してくれるということなら、ありがたく使わせてもらう。


「ありがとな」

「……うん」

「じゃあ、やるかー」


 受け取ったシャーペンを握る。


 春音のシャーペン……どっからどう見てもただのシャーペンなのに、なにか不思議な感じがする。


 多分、自分のじゃないからってだけじゃない。これを春音が普段、使ってるんだと容易に想像できてしまうからだ。


 これが例えば入野のシャーペンとかだったら、即真っ二つに折ってゴミ箱に放り投げているだろう。


 そんなことをふと思ったのち、俺は問題を解き始める。



誰かのツイートA

『好きな人に言えるわけないよね……

 ……小・中学生の頃、いつでも勉強教えられるように

 テストの点数盗み見してたなんて。      

 

 数学、やっぱりまだ苦手なんだね。             』


誰かのツイートB

 『顧問やってる部活の部員が今日、男女一人ずつになった。

  学生時代の私なら即ヤッてたな〜

  男の意思なんて関係ない、うん。 

  いやーこれから楽しみだわぁ……っ            』

                           

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