第21話 願いを込めた、少年のロケット

 少年は何も言わなくなった。

 表情が少し曇り、それは五十年の歳月を生きた者の疲労を感じさせる玄人の顔が現れた。

 ただそれもわずかな瞬間で、すぐにさっきの笑顔をみせて、「ロケットに願い事を乗せて打ち上げると叶うんだって聞いたんだ。この裏からさっきのロケットを飛ばしたんだ」と語った。


 なるほど、それでは先ほどのロケットには乗組員はいなかったのか。

 それにしても、この少年にロケットを一人きりで飛ばせるほどの技能があるなんて俄には信じられない。


「君は一人でロケットを打ち上げられるのかい?」


「いいや、それはたぶん難しいと思う。やったことはないけど、たぶん、だから、その、やったことがないから、出来ないと思うんだ」

 少年は考え考え話している。頭の中で一つ一つ準場に整理しながら話すようにしている。


 ハヤトの腑に落ちないという眉間の皺を見て、少年はさらに続けた。


「ああ、さっきのロケットは打ち上げの最終段階までセットしてあったんだよ。それで、飛ばし方だけは、三年前に教えてもらっていたから、一人でも上手く飛ばせたんだよ。まあ、スイッチを順番に押していくだけだからさ」

 少年の笑みは何故か消えた。


「君は、どうしてそんなことを教えてもらったんだろうね。その人はきっと研究者かなんかなんだろうね」


 きっとこの少年にはロケットの打ち上げ方法を教え込まれた意味など理解出来ていないだろうと思って、話をお終いにしようとした。


「……言われたんだよ。最後に、ロケットに乗り込んで遠くに行ってしまった僕の父親に」

 うつむきながらぼそぼそと話し始めたが、すぐに黙ってしまった。 


 ハヤトはあえて次を催促せずに、ゆっくりと言葉を待った。もうどれほど長い時間でも待ってやろうと思えた。

 少年は深く呼吸して、正面のハヤトの顔をまっすぐに見据えて再び口を開いた。


「もともとは脱出用みたいなんだけどね。これは古すぎて、あの空を抜けられないんだって。それで、それで……。僕をここに一人きりで残しておくは可哀想だから、これで自分の最期を、自分の手で決めなさいって」


 ハヤトは何も言ってやることが出来なかった。


 やはり、五十年の歳月を生きているとはいえ、目の前に居るのは十歳ほどの少年なのだ。そして、その教育の程度は十歳にも満たない。

 彼に課せられた宿命は想像を絶するほどだろう。


 これまで、数々の実験にオリジナルとして使用され続けただろう。そして、人類にどれほど多大な貢献をしたかを考えると、今の少年の末路を想わないではいられない。


 自分の最期を、自分の手で決めろ……。


 ハヤトは少年の直面した残酷を考えると、その華奢な身体が痛々しくなった。


「約束を破ったんだ。父さんとの約束を破った。自分の最期を自分の手で決められなかった。こんな奴だから、父さんは僕を置き去りにしたんだろうね」


 少年の視線は「第4発射場通路」という文字を見ていた。この研究施設の脇に細い通路があって、その案内板らしかった。


「一人は嫌だと思った。それで、誰か、助けてくれる誰かが欲しくて、それで打ち上げた。そしたら、おじさんが来てくれた。本当に叶うなんて、ちょっとびっくりしたけどね。ありがとう」


 ハヤトの瞳の奥には、自分が火星に降り立った時の少年の喜びようがありありと浮かんだ。

 ハヤトはどう言ってやるのがいいのか見当がつきかねた。

 自分は少年を助けられるような人間ではない。まして感謝されるような人間ではない。


 僕には誰かを助けられる力はない。

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