第13話 宇宙は人間を何とも思わず (※残酷描写あり)
「やはり心配だ。私が残ろう。船長とリンが先に、あとをすぐに我々が追いかけます。そして……、そして、あちらで落ち合いましょう」
あちらとはこの世の向こう側だった。提案したのはケーネスだった。
「しかし……」少しばかり考えてからエルドーは「いや、頼むぞ」と手短に言ってリンと乗り込もうとした。
「いいえ駄目だわ。やっぱり駄目よ。エルドー、あなたは最後に行くべきよ。ここの船長ですもの、最後を見届けなくちゃね」
リンは涙ながらに強気を装って言った。
そうして、最初の一機にはリンとケーネスが乗り込み、いよいよという段階になった。
「外に出たら、システムを作動させれば良いのね」
「そうだ。本来は自動なのだが、設定が狂っているかも知れない。万が一もあるから手動ですぐに冷凍システムを作動させた方がいいだろう」
「わかったわ」
リンは最後に柔らかく微笑み、エルドーを見つめた。そしてジャンとハヤトを見つめ、「さきに行ってるわね。ジャン、あなた、ハヤトをよろしくね」と言い、ポッドの奥に入った。ケーネスは「向こうで会いましょう」とだけ告げると毅然として中に入った。
脱出ポッドの部屋からエルドー、ジャン、ハヤトの三人は退出し、すぐに室内の空気圧の調整が始まった。
いま、さきほど別れの挨拶を交わした場所は宇宙空間と同じ濃度になった。
厳重な重い扉の丸い窓から、リンとケーネスを乗せた脱出ポッドが見える。
宇宙空間と部屋とを隔てていたシャッターがゆっくりと音も無く開き、そこには闇が待ち構えていた。
その光景がハヤトには口をいっぱい大きく開けたワニが餌を今か今かと待ち受けている様に見えてしょうがなかった。
ポッドがレールの上を滑り、徐々に宇宙空間にせり出していく。三角窓からリンの横顔が見える。
なんて凜々しい顔なのだろう。僕にもあれほどの度胸と勇気があったなら……。
ハヤトは数分後に自分の番だと言うことも忘れ自戒した。
その時、危機探知ブザーが高音で鳴り響いた。
その音に三人は驚き、一斉に近くのモニターを確認した。 音は最高レベルの音色だったのだ。
「何事だ。ジャン、悪いがすぐに映し出してくれ」
エルドーの顔に数週間ぶりに船長の表情が、上司の表情が戻っていた。
威勢良く返事をしたジャンにも、兵士の顔が戻っていた。
ハヤトはその場で両耳を塞いで棒立ちになっていた。
リンたちは大丈夫なのだろうかと、そちらに目を向けると、もうポッドは宇宙に半身を投げ出していた。
リンの決意の表情が見えた。
「船長。大変です。タンクは現在、大量の塵芥の渦に入りました」
「なんだと。こんな……。突然ではないか。なにも今でなくともいいだろうに……」
悔しさが滲み、握った拳が固くなった。
「最大の波の衝突まで、ええっと、なんだこれは、こんな……。突然、波が現れました。あと3秒です」
「なんという……」
ハヤトの目には丸い窓の向こうに今やっと宇宙に出たばかりのポッドが見えていた。
そしてポッドがすっと宇宙空間を滑り、向きをこちら側に変え、リンとケーネスの穏やかな表情が並んで見える。
まさにその時、ものすさまじい速さで宇宙船の残骸と覚しき鉄くずが雹のようにポッドを打ち付けた。
中の二人は不測の事態にどよめいている。
リンが必死になって、何か操作しているが、どうにもならないようだ。その間も鉄の雹は構わず横殴りに降り注いでいる。
こちらのタンクにも振動が伝わり、あらゆるところでセンサーが反応し、喧しいサイレン音がここからも、あちらかも鳴り響いている。とても自力では立っていられない。
リンたちは依然として懸命に何かいじっている。きっとあれは冷凍システムのコードなのだろう。
なんということか。土壇場になってシステム不良に陥ってしまったらしい。
そして、リンとケーネスは操作を諦め、代わりにハヤトの方に何かメッセージを送っている。身振り手振りで何か言っている。
それはすぐにどういう内容か分かった。宇宙に出て二十年以上経つハヤトにはすぐに分かったのだ。
一度タンクに戻りたい。回収してくれと訴えているのだ。
しかし、とうてい無理だった。
この巨大な渦の中、どうすることも出来ない。
リンは遠くから、ハヤトにすがるようにポッドの窓を叩いている。ケーネスはそのリンを制して、ぐっと抱き締めた。
「渦を抜けられません」
ジャンの太い声が響き渡る。
「構わない。生きるつもりはなっかったのだから。ただ、やはり酷い仕打ちだな」
半分諦めのこもった口調でエルドーが独り言を言った。
ポッドには次から次へと鉄の雹が砲弾となって降り注いだ。かっこうの餌食だった。ワニの巣に落ちた哀れなブタだった。
そして、最後に大きな一撃がポッドの分厚いガラスをぶち破った。
リンの絶叫は一瞬だった。ぽっかりと空いた穴から身体ごと宇宙へと放り出された。そしてタンクの開口部にリンの身体が引っかかったが、猛烈な鉄の弾丸の雨を受けて、あの美しい肉体はめちゃめちゃになった。若く美しいリンが、誰よりも頼りになったあのリンが、ただの肉片となって散らばっていく。
その時のリンの苦悶に満ちた表情がハヤトの脳裏に焼き付いた。
放り出されずにいたケーネスも瞬間の内に凍り付いて白くなり、そして鉄の雹に打たれて頭も身体もバラバラになった。いとも簡単にバラバラに崩れたのだ。
あの聡明な人間を構成した脳も臓器もバラバラになって、宇宙空間に飛び散ったのだ。
「船長。エルドー船長。まもなくこのタンクも保たなくなります。今しかないように思うのですが」
「分かった。これほど騒々しい最期とは思わなかったが、戦中を生きてきた者として、これくらいがちょうどよいか。さあ、行こう。ハヤトはどこに居る?」
「脱出ポッドの所だと思います」
二人は急いでポッドの部屋に戻った。急いだと言っても、酷い揺れの中だったから思うようには進まなかった。
やっとのことで三人が合流したときには、ポッドの部屋は自動で外部へのシャッターがピタリと閉まり、酸素も充分に戻っていた。
「この部屋が一番の損壊状況です」
「そうだな、行くとしたらこれが最後だ」
エルドーがハヤトを促したが、唇をがたがたと振るわして、焦点も定まらない状態だった。
「ハヤト、どうするか決めるときだ。本当にこれが最後だぞ。ポッドに乗って、眠りの内に最後を迎えるか、ここで、この泥船で沈むのを今か今かと待つのか。どっちがいい?」
エルドーは穏やかに、しかし状況が急を要しているために早口で尋ねた。
「嫌だ。嫌だ。嫌だ……」
唇が蒼白し震えが酷くなった。
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