第11話 天文学的確率 奇跡

 いったい、こんな惑星に誰かがいるというのだろうか。


 降り立つ前は、少なからぬ期待に胸が高鳴ったが、今では徐々に薄れてきた。


 もっと冷静に考えるべきだったな。何かの誤作動かもしれない。これほど荒れているから、自然崩壊かなんかで偶然にそういうことが起こったのかも知れない。天文学的確率で。そう、まさに奇跡の確率で……。

 旧式の宇宙服はゴワゴワして、なかなか思い通りに身動きがとれない。赤ん坊みたいな覚束ない足取りで、瓦礫の山を慎重に進んでいく。

 

 奇跡には、もううんざりだ。

 それとも、僕が自殺しない限り、そっとさせて置かないつもりなのか。


 ハヤトは皮肉な笑いを漏らした。

 そして、先ほどこの辺りのどこかから打ち上げられ、間もなく上空、宇宙の入り口付近で瓦礫の洪水に飲まれ、すぐに自らもその洪水の一部と成り果てたロケットのことを想った。

 あのロケットの中には人間が居たのだろうか。

 もし万が一にも、人間がいたとしたら、発射場にも人間がいる可能性が充分にある。

 オレと同じように太陽系に取り残された人間が他にもいるかもしれない。 徐々に薄れた希望はまた重たい頭を上げ、ハヤトを鼓舞し始めた。

 一人きりのハヤトには考える時間が充分過ぎるほどにあるから、同じ考えでも正反対の考えでもぐるぐると何周もする余裕があった。


 そうさ、この莫大な規模の太陽系に僕一人ということはない。それこそ……、天文学的……、奇跡の……確率……か。

 「天文学的」とか「奇跡的」とか、そういった確率の思考にたどり着くと、もうどうしようもなく堪らなかった。

 何の気休めにもならなかった。それどころか、正反対に、天文学的確率で、奇跡的な偶然でもって起こりようがないことほど、我が身に降りかかるのだと思えてならないのだ。火星に未だ人間がいる。それは天文学的確立から言ってありえない。 


いや、いいさ。どうせここが底なんだ。大した期待もないのだから、誰かがいなかろうと僕は悲嘆なんかしない。

 徹底的に卑屈になってやるのだ。


 ただ、さっきのロケットが気になるのは確かだ。だから、それを調べてやるまでだ。

 いつでも死んで構わない身なのだ。なにも死に急ぐこともない。


 間もなく、目の前に「第九地区」と書かれた案内板が現れた。その案内に誘われて、というより、その他に目印も何もなく、したがって自然と足が連れられたのだ。

 そして、とぼとぼと孤独と無音の街を歩いた。


 ようやくだった。厚い特殊合金の扉の前に着いた。


 ここだ。ここから先が「第九地区」なのか。

 二十九個あるドームは、こうした威圧的な分厚い灰色の扉で区切られていた。

 万が一の時は、この分厚い鉄の扉が地区を救う守り神となるのだ。そして、また他の地区からの流入者には無慈悲な鬼と化す。

 区画はそれぞれ統治者が違い、それぞれ独立機関を目指していた。最初の構想とは大違いだった。一つのドームが危うくなれば、隣へと駆け込み難を免れるようにとの設計者たちの意志は枯れ果て、独善に走る嫌いがあった。

 ただ、いわゆる「火星人」の人口増加と、発展のスピードの違いからくる格差が、二十九地区の統一体を解体させた。

 結果として、地球や月のように戦争の火種がここにも飛び移り拡大し、その折りには、被害甚大の地区は隔離され、びくとも扉が開かなくなると事態が生じたのだ。

 彼らは扉に殺到した。彼らは情け容赦の無いのない攻撃と利己主義に晒され、ついには充分な呼吸が出来ずに喉をひっかき喘いで悲痛な内に事切れた。


 そのあとの爆撃や何らかの衝撃でもって、彼らの残した身体は低重力下で空高く舞い上がり、長い時間火星の空を漂ったものもある。火星を飛び出して、あの瓦礫の洪水の一部をなしたものも、きっと数多くあるだろう。

 ハヤトは扉の前に折り重なって山を作っている人間の残骸を取り除いていた。それほど骨の折れる作業でもなかった。低重力と、旧式とはいえ備えられている宇宙服のロボットアーム機能のおかげだった。


 これほどたくさんの人間が開けようとして開かなかった扉。幼い子供や、妊婦までいる。高齢者や障害者は見たところ、居ないようだった。


 その時だった。扉の付近の死体をどかしていたまさにその時、赤い光が見えた。弱々しく今にも消え入りそうな細い光だったが、ここにあってはこれほど目立つ光はなかった。


 それは扉の制御、コントロールシステムだった。

 崩れ方が酷くて気がつかなかったが、ここは制御室の中だった。

 いや、だめだ。これはオレの力でどうこうなる代物のはずがない。

 こみ上げる期待感を払いのけようとした。

 ただ、一か八かやってみるだけやっておこう。先を急ぐ訳でもない。

 まあ、これほど多くの、数万人規模の人間を謝絶した扉だ。無理でもともとだ。しかしお前ももう現役でないだろう。


 その後ハヤトがどう操作してみてもうんともすんともいわない。

 扉の開閉システムに介入できない。セキュリティが厳重すぎる。ドームの強度より、戦争回避の算段より、ここを一つの監獄にするシステムの方が緻密に計算されているのだ。


 もうこれ以上は無駄だな。


 ハヤトは残りの酸素量など気にせず、その場に立ち尽くし、遙か頭上のドームを眺めた。そこにぽっかりと空いた穴を通して火星の空が見える。星の光と、黒い点々が無数にあった。あの黒い点の何割が人間なのだろうかとぼんやりとそんなことを考えた。

 

 そして、クルーたちの最期を思い返した。

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