第8話 ハヤトとジャン 素面の宴 自決は人間の誇りなり
ジャンは気持ちを完全に切り替えて、というよりもやっと生気を取り戻して、身なりを整えていた。
そこへ、顔に影を落としたハヤトが入ってきた。
船員にはそれぞれ部屋が割り振られていて、共有スペースもしっかりと備えられていた。
ジャンもハヤトも年が一つしか違わないので、ほとんど兄弟のような間柄になっていた。だから、お互いプライベートの割り切りもほとんどなく、いつ何時でも、すんなりと部屋を互いに行き来していた。
寝るときとシャワー以外は、ほとんど二人は行動を供にしていたし、酒を飲む日は眠るのも自然一緒になった。
「……どうしてなんだ。こんな……。僕らはみんな、死ぬのか。いったい、どうしてなんだ」
ハヤトは崩れるように倒れ込むと、その場にへばりこんでしまった。
「ああ、しかし、これはどうしようもないことなんだぜ。ハヤト、お前も教育生の時に聞いたはずだぞ。ここがどんな場所か。そして、オレたちがどんな存在かを」
ジャンは入り口のところで、へばっているハヤトの頭頂部を見下ろしながら言った。
そして、そんなハヤトを特段に気にするわけでもなく、身辺整理のようなことを再開した。この部屋には、ジャンとハヤトが二人で飲み明かすのに使われ続けたせいで、そこかしこに酒瓶が転がっていた。空っぽの瓶ばかりではない。まだ半分残っているものもあった。ただ、それら入っているといないとに関わらず、ジャンはビニール袋にまとめていた。
発つ鳥あとを濁さず。
教育がジャンやハヤトに授けた最後の教えだった。
「お前は、真面目じゃないからな。だから、受け入れられないんだ。ははは。オレは不真面目が嫌いじゃないが、命令をストンと聞き入れられて、これほどすっきり出来る自分自身のことを考えてみると、真面目で良かったと思うぞ。まあ、ハヤトが不真面目でも何でも、死を受け入れろなんてたいてい受け入れるのは難しいもんな。こういうことには時間が要るんじゃないか」
「……ジャン、君はこわくないのか? 君にだって時間が要るはずじゃないか? それなのにどうして?」
「オレは強いからだ。お前みたいにふぬけじゃない」
語気は強くもなく、冗談のように軽くもなく平坦だった。
ハヤトは顔を上げて、衣類の整理や酒瓶の片付けをしているジャンの背中を見つめた。
「悪かった。今のは本心だが、冗談と言うことにしてい置いてくれ。酒は入っていないから、今は素面だから、逆に言っておきたいということもあるだろ。最期の最後なんだと思うと、オレだってこわいさ。ただ、そのこわいって感情には、今日までの数日で折り合いをつけようとした」
「君は恐怖を乗り越えられたのか?」
「いいや。乗り越えては居ない。ずっと折り合いをつけようとして無理だった。はやく命令がほしかった。だから、オレにとってはエルドー船長の決断は待ちに待った瞬間だった。そういうことになるかな。他の同期も、仲間も、後輩も、もちろん先輩も、先生方も、とっくにこの系内宇宙のどこかを漂っている。ほら、今のその残骸の中かも知れない」
顎で示した先には、丸い窓が一つあり、そこに船外の宇宙空間が見える。そこを今、猛烈なスピードで木っ端微塵になった人工物の残骸が通り過ぎていった。
この窓はガラス窓のような作りではなく、窓風に設計された船外観察モニターなのだ。この位置から覗くことの出来る船外映像ではあるものの、このジャンの部屋から、窓に映る船外宇宙へは2メートルほどの厚みをもった壁があって、そこにはさまざまな配線や機器が内蔵されていた。
そう簡単には中の人間が命の危機に晒されないという作りなのだ。
「あの真っ暗な暗闇で、空気がない暗闇で死ぬのか。それで耐えられるのは、いったいどうしてなんだ?」
「オレにだって、耐えられるかどうかは未だ分からない。でも、いまはあの船長の決断しか他にどうすることもできないんだぜ。ここらにはもうオレたち以外の人間はいない、太陽系内にすらもう人間はいないと思う。だから、もう覚悟をするしかない。そう、それしかない。それに、それしかないに加えて、そもそもオレらは、入隊した時から、その覚悟が出来ていなくちゃいけないんだ」
「いや、これは覚悟でもなんでもない。ただの犬死にだ」
「いいや、違う。これは犬死になんかじゃない。オレもここ数日それを考えて嫌になった。そして、そう考えるごとに恐怖が倍増することにも気がついたんだ。こんな最期だなんて、認めたくない。認められない。いやだって思っていた。仲間はみな意味ある最期を迎えたというのに。オレはこんなところで、無駄死にかってな。でも、それは違った。エルドー船長の言った通り、これは人間の尊厳を守るために行われるのだ。オレたちが、この系内で最後の人間であるオレたちが、人間として尊厳をもって自死することにはとてつもない意義がある」
「意義って……。そんな、いったい、それはどんな意義だっていうんだよ?」
「この宇宙に、好き勝手される前に、きれいに死んでやることが、過去の人間たちや、仲間たち、すべて含めた人間という種として、その最後をきれいに幕を落とすことによって、この太陽系に人間としての誇りを示すんだ」
ジャンは過度に熱くなり始め、酒を入れている時と同じく、唾が飛ぶほど口を開けて自信ありげに語った。それ以外の意見など寄せ付けまいとする姿勢で、半分トランス状態に陥っている様子だった。
しかし、この熱い語り口と、身振り手振りの大様さが、ハヤトには感心を与えた。
状況に左右されやすいセンシティブなハヤトには、今のジャンの言葉は正論であり、疑う余地がないとさえ思え、立ち上がって、まじまじと彼を見つめ、その見つめているハヤトの目にはキラキラとした輝きさえもあった。
「君は、すごいな。本当に君はよく出来ている人間だ。僕なんかには、そんな大きい問題はまったく分からなかったよ。そうか、僕がみすみす無駄に命を捨てる訳ではないのだな」
誰にでも有無を言わさぬ態度で迫られれば、何を言われても「そうか。そういうことなのか」とすとんと合点してしまうハヤトだったから、こんな場合には潔かった。この自死は無駄死にだと言われるより、名誉を守るための意義ある死だと説かれた方が誰だって、気がおさめやすい。
ハヤトの場合はジャンに感化され心から、まったくこれは自身に課された使命であり、太陽系内で最後の人間となった自分たちに課された特別の宿命なのだと、そこまで思い至って疑わないのだった。
それは語り手のジャンにしても同じだった。自分の口で語りながら、その自分の声を耳で聞く内に、「そうだ、そうだ」と納得している。感慨を深めている。それはあたかも本来そうであるという事実と誤認してしまうくらいであった。
人間の死には何も意味があるばかりではない。大抵は二人が思うような尊大な意味があるはずがない。今回の自死も、エルドーとケーネスが考えるとおり、発狂してしまう前に、そんな寂しい状態になる前に、自ら命を絶とうという、その意味以上になにも無かった。
これが人間という種の代表として、最後の役目だという、阿呆みたいな、子供じみた考えなど起こしようがなかった。
彼らの若さがそうできないに過ぎないのだ。ここで、命を絶たなければならないことへの肯定をなんとしても行わないでは、余程受け入れられないという裏返しなのだ。
考えてみなくとも分かることだ。彼らの死が、敵機追撃に何の意味を持とうか。彼らの死が、先の大戦に対していったい何の意味を持とうか。系外に出たとされる残された人間たちは、とうに彼らの存命など頭の片隅にもない。存命の事実も知らない。系外脱出で目一杯だろう。
「そうだ、これは無駄なんかじゃない。僕は今の今まで自分が足手まといで、それが嫌だったが、ついにこの僕にも人生を全うできる大役が回ってきたんだ」
「その通りだ。オレたちは、この大役のためにここまで生き延びたのだ。そして、この広大な宇宙相手に、間もなく勝利する」
ジャンの言葉に、ハヤトは歓喜していた。
お互いに自らを駆り立てる言葉を言い合い、たたえ合っては興奮した。それはもう愚かさを通り越して、狂気の宴である。酒を一滴も入れない宴である。
そして、この二人の乱心に似た嬉嬉たる興奮は、他の三人にも聞こえるところだった。
ケーネスは、それぞれの死への受け入れが着々と準備されていくことへ安心感を感じた。
ベティ・リンは彼らを不憫だと思い、切なくなった。
エルドーは、果たして我々の生とはなんであったか。何でもないと知ったつもりになってはいても、いざとなるとなかなか厳しいと痛感するのだった。
スペースタンクの軌道は依然として火星を目指していた。
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