第7話 死にたくない
次に入ってきたのは、ケーネスだった。
「どうしたんだ? ハヤトは?」
「それが、どうにもひどい落ち込みようで、難しいかもしれない」と溜め息混じりのケーネスの頬はこけていた。
「……そうか。いや、当たり前のことだ」
エルドーは眉間に皺を寄せた。
やはり、ハヤトには難しかったか。
その時、扉の外で物音がした。はっとして、二人は扉を振り返ったが、やがておぼつかない足取りで、ふらふらと黒髪の男が入ってきた。いや、入ってきたというよりほとんど倒れ込んでいた。
「おい、大丈夫か」
ケーネスが慌てて駆け寄り、身体を起こそうとしたが、「触るな」と小声ではね除けられてしまった。
「ハヤト、ちょうど君と話をしたかったところだ。わざわざすまないね、ここまで来てくれたのだろう」
エルドーの声は、厳しさのない父親のように、甘すぎるほどだった。
泥酔者のように床に蹲っているハヤトを厳しい眼差しで見守っていたケーネスも、エルドーに目で諭され、すぐに船長室を退いた。
「……なんだって、そんな。僕は死ななければならないのか……」
「そんことはない。そんなことは決してない。いいか、死にたくないのは当たり前の思考だ。いや思考だなんて、そんな偉そうなものじゃない。本能に近いかもしれないな。ちなみに私も死にたくはないんだよ」
優しく語り、時には微笑み、エルドーは慎重に泥酔青年に接した。
ハヤトは三八歳といえど、見た目も精神もずいぶんと若かった。精神に関して言えば、若いを通り越してむしろ幼いくらいだった。
今回の漂流に限らず、大戦の最中でも危うい機会があると、まっさきに取り乱したのがハヤトだった。ジャンのように命令を遵守するという固い意志と健全な体躯もなく、リンのような冷静さと、時には命令に対して抵触しない程度に我を押し通すという現場優位の判断と機転を利かせる余力の大胆さもない。
そんな彼でも、エルドーの目を引く才能は少しばかりあって、それは死が間近に迫ったときの馬鹿力みたいな能力であった。馬鹿力というのは、主に戦況が不利になった時の狙撃の腕前である。練習や日頃の遠方狙撃はからっきし駄目で、同期兵卒の中でも下から数えた方がはやいほどだった。
しかし、いざ革命軍機につけられると、目の色が変わって、顔も真っ赤になる。そして、やにわに銃座についたかと思うと、レザー光線から、鉄の塊までありとあらゆる物をぶっ放した。そしてそれらを悉く命中させ、一手に十数機を相手にしたという逸話も持っていた。
それはもはや、狂気であり、ケーネスもジャンもリンも半分恐ろしいと思ったが、エルドーだけは「よくやった」と本当に感心した。
「何はどうあれ、ハヤトは我々の命を、そしてこのタンクを救ったのだ。救い方に、良いも悪いもない。よくやってくれた」と、褒めに褒めていた。
彼が成熟するまでには時間が必要だし、彼を成熟させるためには近くにサポートしてやれる老翁が必要だ。
これがエルドーの考えだった。
「僕は死ぬのがこわい。こわくて堪らない」
ハヤトは右腕で顔を隠して、泣いていた。
「分かった。分かったから、もう何も心配するな。誰もお前を死なせることはない。そして、死ぬ必要も無い」
「嫌だ、死ぬだけはごめんだ」
「分かった」
さすがにエルドーも困り果てた。
どうしたらよいか。自殺提案に対してではない。ハヤトは自殺しない。それでいい。そして、彼の今後を見届けなければならないエルドー自身もまた、自殺はできない。先送りに出来れば幸いだが、最悪の場合も……。
それよりも、こんな状態になったハヤトを落ち着かせるのはかなり骨が折れる作業だ。
まあ、そう急ぐこともない。時間はいくらでもある。数十日でも、数年でも、死ぬまで、ここから抜け出せないのだから、何一つ焦ることなどないのだ。
はっと我に返ったエルドーは、今まさに自身の精神がどこかへ飛んでいってしまいそうだったことを反省した。
まだだ。まだ、ぶっ飛ぶにははやい。最後までなんとしても耐えなくては……。
宇宙よ。お前にとって、私などひねり潰すのはたやすいだろうが、私もこの宇宙に生を受けた人間なのだ。みすみすお前の言いなりにばかりもならないぞ。
ああ、お前は私たちの敵なのか、味方なのか……。
エルドーは船長室のモニターに映し出された、塵の漂う暗黒の宇宙を見据えていた。
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