第6話 唯一の女性 ベティ・リン

 次に入ってきたのは、赤毛のモジャモジャ頭とは打って変わった、艶のある黒髪のベティ・リンであった。

 名前は、正式にはもっと長くかったが、本人がフルネームで呼ばれることを嫌い、それを人前で披露する機会はなかったから、誰しも、彼女の名前はベティ・リンでしか知らない。

 さらに言うと、任務にあたるとき、仕事上の会話となると、みなベティと彼女を呼び、それ以外では、とくに親しい間柄ではリンと呼ばれた。リンと呼ばれることを好んでいたが、公私を分けたいという彼女の性分が、ベティという名を必要とさせた。

 本当なら、いかなる時でもリンで構わないようなものだと彼女自身でも思うのだったが、やはりオンとオフをはっきりさせることはことのほか重要だと気づき、それで現状に至っている。


 二七歳のエンジニア、ベティ・リンは、冷静で大胆だった。


 つかつかと躊躇うこともなく、まっすぐに船長室に入って、「英断と思います」と開口一番を彼女が発した。 


 髪は伸びて、肩に流れるほどまでになっていたが、手入れを怠らないために、光沢のように美しかった。


 エルドーはまたジャンの時のように、提案についての説明をした。


 ジャンとは正反対に、すべてを理解した。というよりも、ここへ来る前から、当に分かっていたのだ。

 船長であるエルドーを慮れる器を、この年で持つとは、大したものだった。


 まったく大した器だ。それを、こんな所で失うことになるとは、まったく、どうなっているのか。

 エルドーは目蓋を重くした。


「船長、いえ、エルドー、これからは私のことは、ベティではなく、リンと呼んでいただけますか。もう今日から任務ではない。仕事ではない。私はあなたを家族のように想って最後の時間を過ごしたいのです」


 切れ長の目に、今まで忍ばせたことのない少女の光が点っている。


「ああ、もちろん。私にとって、これほど光栄なことはない。君のような素晴らしく出来の良い子を、家族と思えるなんて。そして、これほど悔しいこともまたない。君に、家族となってすぐに……。家族になってすぐの君に、死ねと言わなければならないのだから……」


「私は、エルドー、あなたに、死ねと言われているだなんて思いません。ただ一つお願いがあります……」


 リンの願いというのは、それがまた、彼女のいつもの固い表情から全く予想もできないような、初心なものだった。


「私は何もないところで、体温もなにも感じないところで一人死ぬのはこわいの。こわくて仕方ない。だから、最期は私が完全に息を引き取るまで、強く抱き締めていてほしい。強くしっかりと受け止めていてほしい」


 そういう内容だった。


「リン、すまない。こんな提案しかできない愚かな船長を……」


「いいえ、英断です。素晴らしい決断です」


 ベティ・リンは今まで見せたことのない優しい微笑みを浮かべて、そしてその微笑みとは対照的な冷たい涙を一筋流した。


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