第5話 ジャンの決意

 あれは5日前だった。

 エルドー船長からあの集団自決の提案があって、次の日である。


 船長が、船長室に船員4人を一人ずつを招いた。いわゆる最後の覚悟を確認したかったためだった。その気も無く、自らの命を絶つことだけは、どうあっても許せなかった。

 エルドーは大戦下にあっても、上の命令一つで、若い命が消えていく様が受け入れられなかった。しかも、上官、船長となった今や自らの手で、若い命が消えていくのだ。

 それが、本望であるといわんばかりに。上はそれを強制しておきながら、彼らの死を美化することで、その責めを免れ仰せていた。それが、どうしても納得いかないでいた。


 組織たるもの、何某かの決断、決定は必ず要る。百も承知の上だ。ただ、その決定が、誰によってなされたのかをいつも回避できる機構と、日和見主義の愚直な連中らを、受け入れられなかった。どうしてもそういう連中とは相容れなかった。自身も、軍人の端くれであるにもかかわらず、この組織は腐っていると、常々思わずには要られなかった。


 こんなことは口が裂けても言えやしないが、反戦活動家連中や、地球主義連盟の連中の方が、遙かに道理や主張が分かりやすい。

 この軍隊は利権と自己保身に塗れすぎているせいで、根幹がもはや楊枝一本ほどまですり減っているのだ。それが分からんはずはない。それほど馬鹿が揃っているとは、エルドーも考えては居なかった。分かっていて、そのまま、なんとかやりおおせようとという魂胆が気にくわないのだ。それも見え透いており、なおいけない。


 エルドーは、組織の性質抜きに、自死についてどう考えるか、徹底的に本音を聞きたかった。だから、一人につき、何時間も、いや一日という単位の時間だって構わない。何も死に急ぐ理由はないのだ。狂う前に事を終えれば良いだけだ。


 幸い、人間はある決定をなすと、自ずとそれに向けて意識なり、意志なりが集中するらしい。みなの表情から胡乱な影がなくなり、なんということか、そこに精悍さすらある。


 とくにそれはジャンにおいて顕著だった。一番の熱血漢であり、大戦中は扱いにくいほど、前へ前へ出て行く質の男だった。相手がいると燃えるタイプの男にありがちだが、この5人だけの孤独の漂流が始まってから、一番人格が変わったのがジャンなのだ。

 なんらの気力も失い、小窓から暗黒の空を眺めては、口をぽっかり開けて、攻撃のコマンドをブツブツ諳んじていた。もう必要の無い暗号を、艦隊とのやりとりが手動に切り替わった際に使う兵士にとって一番重要なコードを、始終繰り返していた。


 ジャンは見た目も遙かに変わった。洗体用カプセルにもほとんど入らず、髪も髭もひどい有様になった。かつて、所属隊のバレーボール選手として栄光を飾っていた時の面影はつゆも残っていない。

 宇宙へ出て二〇年以上経つジャンは、無重力及び軽重力下での生活が長いため、三九歳にしてその見た目は、一〇歳ほど若かった。しかし、漂流中の彼は、やつれにやつれて、船長のエルドーと年の高が変わらなく見えるほどだったのだ。

 そのジャンが、船長の自殺提案を受けて、一気に晴れやかになったのだ。表情だけではない。身なりにも気を遣い、もとの熱血漢が八割方戻ってきたのだ。


 なにもジャンは自殺したかったというわけではない。彼のような性質にはありがちなのだが、アナーキー空間に秩序が戻った事に対しての歓喜なのだ。傍から見れば、多少の気狂いにも見えるが、それが彼の性質なのだ。統治機構が戻ってきたこと。組織が機能を始めたこと。命令が下ったことに対する一種の安心感であった。


 エルドーは再三にわたって、これは『提案』であると繰り返し、上も下もないと説いたが、彼には意味をなさなかった。というよりむしろ、提案など彼には意味をなさない。命令でなければ、何の役にも立たないのだ。

 ジャンは、死ねと上が言えば、すぐに死ぬ所存の人間なのだ。


 「ジャン、よく聞いてくれ。何度も言うが、これは命令ではない。ただの提案に過ぎない。もう『命令』はどこにも存在しないのだ。私は君の上の立場として、今まで様々な命令、指示を言い渡してきた。しかし、そんな私もこの宇宙を知り尽くした頭脳の持ち主でもなければ、先の大戦を見通した千里眼の持ち主でもない。つまり、私にも上が居て、そいつが命令や指示を与えて居たのだ。そして、その上にも上が居て、と。まあ、こんなことを今更言う話でもないが、肝心なことだ。世界を見る上でとても大切なことだ。私もこのスペース・タンクの船長であるに過ぎない。今は、何の統治もこの太陽系には存在しない。したがって私が命令を下すことはない。ただ、上が消えたからといって、匙を投げ出していいとは思えなかった。曲がりなりにも、君の上官として務めた私だから、このままこの環境をほったらかしておけないと思い至った」


 エルドーは、ジャンの目の色が変わってくれることを期待しながら、船長として命令指示を送っていた時のような態度は一切改めて、柔和に、上官としてではなく、エルドー自身の言葉として語った。ゆっくりと胸中に響くようにと願った。


 しかし、どうしても無理なようだった。


 ジャンの目は鋭く、短く切り整えた髪と、決して崩さない険しい表情と姿勢。彼には彼なりの自己防衛があることを察知していたエルドーは、「ただの提案である」という話と、「命を自ら絶つことについてどう思うか」の話を続けたが、理解してくれとは言えなかった。


 ジャンには提案ではなく、命令でなくては意味が無い。

 

 この漂流状況はジャンにとって、精神的にも肉体的にもあまりに辛く、苦しかった。ただ彼の内に根付いた教育が、自ら思考し判断するということを阻んでいた。だから、船長の提案は好機だったのだ。


 これでやっとこの漂流が終わる。それも、自分自身を全うして、兵士を全うして死ねるのだ。


 金星や月で死んだ仲間と一緒に、オレも英雄になれるのだ。オレの命は、人生は無駄ではない。してきてことも何一つ間違いは無かったのだ。

 ジャンの胸中はそうした思いで満たされていた。


「何度も言うが、自分で判断してほしい。判断を私に委ねるという自己判断でも構わない。ジャン、君が、私に船長として振る舞えというならば、できるだけそうするつもりだ。だから、是非とも何でも、包み隠さずに言ってくれ」


 ジャンは一向にピンと背筋を伸ばして、姿勢を崩そうとはしなかった。


「別に今じゃなくとも構わない。また、ここで話そう」

 エルドーは穏やかに笑って見せた。


 ジャンは敬礼をして、依然とそこに立ったままだった。

 まったく教育のたまものはここまでとは、とエルドーは自分の教育に対する不誠実な子供時代に苦笑いを浮かべた。 


「……ジャン、下がって良いぞ」


 言い渡されたジャンは、威勢良く声を張り上げて挨拶し、キビキビとした動作で船長室を立ち去った。その険しい表情の一枚向こうには嬉しくて堪らない彼がいた。また、命令に従うことへの安心感も同時にあったのだ。

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