第3話 操縦席の男

 スペース・タンクは意志を持って動くここらで唯一の存在だった。無重力空間で静止の利かなくなった瓦礫の、その広大な海。その暗黒の中を進む心細げな存在だった。

 

 瓦礫や残骸群は、凪(なぎ)のような穏やかさではなく、時折、嵐のごとく、凄まじいスピードで鉄のミサイルとなって降り注いだ。ただ幸いにも、ここまでタンクの致命傷にはならずに、それらをかいくぐり、かわしながら進んでいる。

 それは操縦士の腕が良いからではない。ただの偶然だというのが正しいだろう。それはもう、奇跡の類いでしかない。だから、いつ何時に木っ端微塵になるか分からない。それは次の瞬間に、あの夥しい残骸の海の一部と成り果ててもなんら不思議ではないのだ。


 ハヤトは、操縦席の中で膝を抱え込んで蹲り、両手で顔を覆っている。身を岩石のように丸く固めている。泣いている訳ではない。もちろん居眠りしているわけでもなく、死んでいるわけでもない。ただ、もう目の前の現実に耐えかねて、目を覆っているのだった。


 両手のグローブ越しでも、頬の細いひげの感触が伝わる。脂でべとついた髪がボサボサになって、垂れ落ちる。


 くそ。もういい。これ以上、もうなんだって……。もう勘弁してくれ。もう……。こんな、いつまでも、いつまでも……。


 奥歯を噛みしめた。ギシギシと音をたて、歯肉に歯根がぐいぐいめり込んでいくのも構わず、噛みしめた。もう口内の他愛ない痛みなど問題では無かった。


 もういい。いつまでも、こんなに、生かせておきやがって。早く、早く、あの瓦礫の波にぶち当たってしまいたい。早く、死んでしまいたい。ああ、早くオレも楽になりたい。もう帰る場所なんか、どこにもありはしないんだ。


 高速移動を続けるタンクには、衝突回避オートセンサーが内蔵され、それを手動では切り替えられず、したがって自ら瓦礫の塊に突っ込んでいくことは叶わなかった。スペース・タンクは自殺を知らないのだ。


 時間にして、六日ほど前のこと。他のクルーたちは、次々に自殺をはかった。船長エルドーの提案で、古老の男ケーネスがその案に乗り、他3名の船員に示されたのだ。遅かれ早かれ、全員助かることはない。ならば、せめて最期は自らの手で、尊厳を全うできるうちに自死しようというのだ。

 エルドーは船長の責任で、皆に告げた。


「我々はもう助からない。単刀直入で悪いが、私の性格だ。まあ、もっとも皆それを分かっているとは思うが……。この素晴らしい宇宙で、我らが故郷であるこの系内、故郷である太陽系の中で生を全うし、そして我ら、自らの手でそれを終わらせようと思う。すでに分かっているとは思うが、これは強制でもなんでもない。ただ、身勝手に私一人が先に逃げることだけはあってはならないと思ってのことなんだ。みんな、ここにいる誰一人の意見も退けることはない。なんでも私に言ってくれ」


 白髪をきれいに整えるのが、エルドーの朝の日課だった。どんな時でも、どんな場所でも、船長であるという自負を持たねばならない。重責をその身に背負いながら生きなければならない。

 これはエルドーが船長級の職に就く際に啓示された、その時の大艦隊長の言葉だった。


 エルドーの目には、涙もなく怒りもなく、ただただ冷静さが光っていた。そして、皺深くなった口角を穏やかにあげて、一人一人の眼差しと表情をじっくりと観察していた。 


「今でなくともいい。後で個別に一人一人とはじっくり話そうと思う」  そして、ゆっくりと目蓋を閉じた。

「先ほども言ったが、助かる見込みはない。高度なコンピュータの計算が、ここ数ヶ月において何万回となくはじき出した答えが示している。我々は狂う前に、尊厳ある人間として、この道を選ぶのだ。憔悴し、醜く歪んだ精神と肉体に墜ちる前に、この道を選ぶのだ。さしあたり、我々には時間が残されていない。しかし、また明日にでも実行しようというものでもない。私は、この中で、誰か一人でも受け入れられないという者がいれば、それは当然だと、すこぶる自然なことだと認め、最期までその者に寄り添い続ける。決断は自由だ。君たちは、一人一人、君たち自身と語り合い、答えを導き出してほしい」


 船長の話が終わるやいなや、古老のケーネスが頷いて、「ありがとう」とそっとつぶやいた。それは、他の三人には聞こえないくらい静かな声だった。年齢は、ケーネスの方がエルドーよりも五歳上で、経験はさらに二年長い。したがって、経験からも、ここにいる誰も助からないこと、そして、この死には何の意味も無いことを知っていたのだ。


 ゴミ山を彷徨い続け、その挙げ句に自らもゴミ山の一部と成り果てる。


 そんな生を受け入れられるはずがない。そんな現実が、精神の中枢に襲ってくる前に、この手で最期を下すのが人間に残された名誉であろう。

 ケーネスはエルドーの勇姿に、その下で働けた時間に、誇りを感じた。

 すると、他の三人は、自ら部屋に引っ込むこともなく、全員がエルドーの提案に賛成したのだ。

 この時、全員ここで、この名も無い空間で、集団自殺することが決まったはずだったのだ。


 今ここに、こうして操縦席に座って一人頭を抱えている男はいないはずだった。ハヤトは死んでいたはずだったのだから。

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