EX2 2人の時は
「…………」
「…………」
古民家カフェにて、この日は珍しく藍葉さんも勉強をしていた。
とはいえそれは当然と言えば当然なのかもしれない、何せいよいよ期末考査が目前まで迫っているのだから。
俺としても小テストを積み重ね、1年時の復習を繰り返してきた結果を披露する場であるので、ここは何としても藍葉さんに吉報を持ち帰りたい。
(最低でも最下位脱出、最高で300位脱出、そのくらいの気持ちでいなければ)
故に付き合っていても勉学だけは疎かになってはならないと、俺は改めて自分を戒めていたのであるが――
そんな俺とは対照的に、彼女の集中力は凄まじいものがあった。
教科書とノートを広げ、一切言葉を発することなく鉛筆を走らせる、その姿は藍葉さんの努力が並大抵ではないことを容易に表現している。
「…………」
見れば見るほど感心するばかりなのだが、変に邪魔する訳にも行かず俺は分からない問題を質問することが出来ずにいてしまっていると、俺の様子に気づいた藍葉さんがふっと顔を上げて覗き込んで来てくれた。
「紫垣くん、何か分からない所でもあった?」
「あ、藍葉さんごめん、ここなんだけど――」
「ああそこはね……」
藍葉さんが気づいてくれたことにホッとしながら、俺は彼女のベクトル問題の解説を真剣に聞く――しかし何故か最初は普通だった彼女の表情が、段々と渋くなり始めたではないか。
「え、もしかして破茶滅茶な間違え方でもしてます……?」
「――なんかさ、紫垣『くん』と藍葉『さん』って、おかしいよね」
「……はい?」
想定していたのとは全く違うというか、まるで勉強とは関係のない話を真顔で言い出した藍葉さんに、俺は少し唖然としてしまう。
「いや――別に変なことはないように思うが、今までもそうだった訳だし」
「いやいや知り合い同士ならまだしも付き合ってるんだよ私達、なのによそよそしく『くん、さん』はちょっと寂しいと思うんだけど」
ふうむ……そう言われると、学生であれば仲の良い友人同士ですら敬称で呼ぶことはまず無いだろう、ましてや恋仲なら尚のことかもしれない。
ならば折角藍葉さんが提案してくれているのだし、これを機に呼び方を変えてみるのもアリなのかもしれない。
ただ、問題はどういう呼び名にするのがベストかだが……。
「でも呼び捨てにするのはちょっと角が立つよな」
「普通と言えば普通ではあるんだけどね。ちょっとどれが一番しっくりくるか試してみたいし、一回呼び捨てで呼んでみてくれない?」
「え、じゃあ――……『藍葉、愛してる』」
「はっ!? ちょっ……何で急に声色変えてそんなこと言うの……それだったら呼び捨てが一番良くなっちゃうでしょ」
「す、すまん、なんか普通に呼び捨て言うのが恥ずかしくなって」
「まあいいけど……でも紫垣くんだけ狡いから私も――『悟だーいすき!』」
「おぐっ……そんな甘い声で下の名前は卑怯だぞ――」
傍から見ればどう考えても痛々しいバカップルでしかないのだが、しかし恋愛経験が浅いとこういうことですら心躍らされてしまうのである。
俺、彼女が藍葉さんじゃなかったら絶対いつか騙されてるだろうな。
「おほん……とはいえ、苗字の呼び捨てをするよりは名前の呼び捨ての方がいいかもしれないな、藍葉さんも友人からは『美遊』って呼ばれているんだし」
「まーそうなんだけどね。でも何ていうのかな、美遊って呼ばれ過ぎているせいか私としてはあんまり特別感はないっていうのがあってさ」
なるほど、藍葉さんの言うことも一理ある。確かに俺は俺で『紫垣』と呼ばれることが多いので苗字で呼び捨てされた所で何も思わないだろうし。
「そうなると……やっぱりここは渾名だろうか」
「紫垣くんはどんな渾名で呼ばれてたことがあるの?」
「うーん、『さとっち』とか『シガッキー』かな、どっちも小学生の頃だけど」
「悪くないけど、ちょっと無難な感じがしちゃうね」
「逆に藍葉さんは?」
「私は『みゆみゆ』か『ばーちゃん』かな」
「前者はともかく、後者は流石に無いな……」
「どっちも個性が強い渾名だしねえ……」
そうやって難問でも解いているかのように二人してうんうんと、割と真剣に悩んでしまっていると――ふと店員とお客さんの会話が聞こえてくる。
『うわー懐かしい! 言われてみればそんなのあったよねー、トークアプリが普及した今だと、してる学生ってもういないんじゃないかな』
『でもあの二人だけが分かる秘密感がたまらないのよね』
『分かる分かる――でも結局バレちゃうんだよね。まあ急にメアド変えて謎のイニシャル入りだしたら疑わない方がおかしいんだけど』
『それでもこっそり付き合ってることを言いたくなるのが学生なのよ』
「…………」
どうやら携帯メールでのやり取りが全盛だった時代の会話をしているらしく、その当時はメールアドレスで恋人関係を暗に教えるのが流行っていたらしい。
時代時代で、色んな形があるんだなぁと、思いながら聞いていたのだが――それに対して藍葉さんが食い入るように聞いていることに気づく。
「…………あ」
その表情を見て、俺は藍葉さんが何をしたいのか分かったような気がした。
俺と藍葉さんは、多分普通の学生同士が付き合うのとは違う経緯を辿っている。言ってしまえば、白井さんの一件で長谷高の2年生はその多くが俺達が付き合っている事実を知ってしまっているのだ。
つまり彼女達の言葉を借りれば、秘密などないに等しい状況ということ。皮肉だが同盟関係の時の方がよっぽど秘匿性があったと言ってもいい。
でも恐らく彼女は恋人同士という形でこそ、それがしたいのだと言いたいように見えた。だからこそ特別感のある名前を求めているのかもしれない。
なら――
「藍葉さん」
「――――ん? あ、ご、ごめん、何か思いついた?」
「いや、どうせ呼び方を考えるならさ、それは俺と藍葉さんの2人の時だけ呼び合うことにしないか? 普段に関しては今まで通り敬称にしてさ」
「あ――! う、うん、それすっごくいいと思う! よーし、じゃあ私はとびきり照れちゃうような名前にでもしちゃおうかな~?」
やはり予想は間違っていなかったようで、そこからぐっとご機嫌になった藍葉さんは、勉強のことなど忘れて色んな呼び名を考えるのだった。
しかし妙なもので、どうやら俺も藍葉さんとの関係性が長くなってきたせいか、顔を見るだけで考えていることが少し分かってきたらしい。
まあそれを藍葉さんの幸せに使えているなら、最高の能力でしかないのだが。
因みに、最終的には俺が『さとくん』で藍葉さんが『みーちゃん』となった。
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