第32話 モテモテ
「勢い余って来てみたものの……普通に駄目な気がしてきた」
その日俺は、とあるマンションの入口に来ていた。
モールから歩いて10分もしない距離の、北町と呼ばれるマンション街の一角にある、目に見えて新しい見事なまでのタワーマンション。
そう。俺は藍葉さんとの今後の関係の為に、聞いていた情報から推測して黄土さんの家まで来ていたのである。
郵便受けを確認すると『黄土』と書かれたポストがあったのでほぼ間違いないのだが……しかしここまで来て尻込みをしてしまっていた。
「いくら連絡先を知らなかったとはいえ、やっぱりこれは失礼だろう……もし忙しかったらどうするんだ、流石に迷惑をかける訳には――」
そう思いながらオートロックの前でうろうろしていると、明らかに訝しげな表情を浮かべた管理人が俺を見ていることに気づく。
「今日の所は……大人しく帰ろう」
制服を着ているので大丈夫とは思うが、もし声を掛けられたら返答のしようがなかったので、そそくさと退散しようとした時だった。
「! おにいさんではありませんか」
「え? おっと――」
玄関外から聞こえてきた声に振り向くと、麻沙美ちゃんが制服姿でぱたぱたと駆け寄り飛びついて来たので、俺はひょいと彼女を持ち上げた。
「まさかこんなにすぐあえるとはおもっていませんでした、おにいさんもわたしがこいしくなってしまったのですか」
「えっと――そうだな、麻沙美ちゃんに会いたくて探しに来ちゃったよ」
「なるほど、おにいさんはすとーかーなのですね」
「ん!?」
「あらあら? もしかして紫垣くん?」
窮地から一転微笑ましい再会になったと思ったのだが、無残にも麻沙美ちゃんからの容赦のない追い打ちに焦ってしまうが、それを救ってくれたのは麻沙美ちゃんに続いて現れた黄土裕美さんだった。
無論本来の目的は彼女であったので、俺は居住まい正すと、麻沙美ちゃんを抱えながら頭を下げた。
「――すいません、急に押しかけるような真似をして……」
「それは全然……ふうん、なるほどね――」
「? どうかしましたか?」
「いえ、そんな申し訳なさそうにしなくていいのよ、麻沙美も紫垣くんと会えて嬉しいみたいだし、それに――」
と、黄土さんは怒るでもなく、驚くでもなくそう口にすると、何やら満足そうな笑みを浮かべて、こう続けるのだった。
「私も、紫垣くんのことを待っていたのよ」
○
厳重なオートロックを3つもくぐり抜け最上階に辿り着くと、2つしかない部屋の左手にある扉の鍵を開け、中へと入る。
するとそこにはテレビでしか見ないような空間が広がっていた。
「ひ、広いですね……」
「若い漫画家を志望する子達に夢を見せたくてね。と言いたい所だけど、自分に発破をかけるつもりで仕事場と兼用で住んでいるの」
北町に住んでいる人は富裕層とは昔から聞いてはいたが、最上階となると社長の家にでも来ているのかと思うくらいのサイズ感に圧倒される。
すると2階へと上がり、自分の部屋へと入っていった麻沙美ちゃんの姿が、マンションなのに2階建てとか本当にあるのか……。
「適当にそこに座ってゆっくりして頂戴、今紅茶を淹れるから」
「あ、はい。すいませんありがとうございます」
……とは言うものの、黄土さんの凄さに恐縮してしまった俺はソファの端っこに縮こまったように座ってしまう、床に鞄を置くことすら出来なかった。
「おにいさんみてください」
そんな借りた猫状態の俺の隣に、自室から戻ってきた麻沙美ちゃんが両手に何かを持ち座る。その手をよく見てみると、右手には以前俺がプレゼントした『しろねーじゅ』が、そして左手には意外なものが握られていたのだった。
「あれ? 『くろーんぶら』じゃないか」
「おにいさんのためにがんばってとりました。なのでおやくそくどおりこれとしろねーじゅをこうかんしましょう」
「――! ありがとう麻沙美ちゃん、俺も大事にするよ」
やったぞと言わんばかりに鼻を鳴らしてくろーんぶらを渡してくれた麻沙美ちゃんに、俺は目頭が熱くなりそうになりながらそう答える。
しかしその姿を見られるまいと誤魔化すようにして彼女の頭を撫でていると、黄土さんがトレイの上に高級そうなティーカップを乗せて戻ってきた。
「それ、私からのお礼も込めさせて貰っているけどいいかしら?」
「え、黄土さんも、ですか?」
「親として、流石にちゃんとお礼をないといけないでしょう?」
「ははがおとなのちからをみせてくれました」
そう言って二人して親指と人差し指で丸を作り、クスりと微笑む。
そうか、このくろーんぶらは黄土さんが当たるまでぶん回して手に入れたものなのか、だとしたら一層に大事にしないと……。
「すいませんわざわざ――ですが有り難く受け取らせて頂きます」
「いいのよ、貴方みたいな子に使うお金に躊躇はないから」
「そ、それはどうも……」
「よいしょ」
「? 麻沙美ちゃん?」
すると隣にいた麻沙美ちゃんが俺の膝の上によじ登り、そのままちょんと座りだす、そして『ふんー』鼻息を鳴らし俺の身体に背中を預けるのだった。
「あら、麻沙美は本当に紫垣くんが好きなのね」
「とうぜんです、しょうらいけっこんするならおにいさんいったくです」
「えっ? 参ったなそれは……」
「ふふふ」
(子供とはいえ)まさかそんなことを言われる日が来るとは思っておらず、普通に照れくさい気持ちになってしまう。
しかし麻沙美ちゃんがこうやっていつもと変わらない振る舞いをしてくれたお陰か、いつの間にか緊張は解けていた。
故に緊張感は徐々に無くなってきていたのだが、それを好機と見たのか、黄土さんがすっと向かい側のソファに座ると紅茶を一口啜り、こう言い出すのだった。
「さて、藍葉ちゃんの攻略法でも話すとしましょうか」
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