第28話 好きだからこそ

『あら黄土さんお久しぶりね』

「お久しぶり、いつものお願いしてもいいかしら」


『かしこまりました。では奥のテーブル席をご利用下さい』


 私と黄土さんは古民家カフェに入ると、私より慣れた感じで注文を済ませ、一番見晴らしのいい半個室のテーブルへと席についた。


「もしかして常連だったんですか?」

「店長が私のファンでね。仕事関連のことをしていた時に偶然聞かれちゃって、それ以来少し贔屓にさせて貰っているの」


 店長がいる時だけの特権、これ内緒ね、とウインクした黄土さんに私は小さく頷き、私も席へと座った。


 何というか、本当に世間って狭いんだね……。


「さて、私が不安定な仕事を選びながら結婚した理由、だったかしらね」

「あっ、はい、中々簡単なことではないと、そう思ったので――」


「まあ、旦那の稼ぎで漫画が描ければ無敵だからじゃないかしら」

「えっ! あ、いや、まあ……確かに、言われてみれば……」


「ふふ、冗談よ冗談、でも私の夫がそう提案してくれたのは事実よ」

「黄土さんの旦那さんが……ずっと夢を応援してくれていたんですか?」


「高校生の時ね。当時は絵もそんなに上手くなくて、一人でこそこそ隠れるように描いていたのだけど、ある時彼に見つかっちゃって、私は凄く恥ずかしかったのだけど、彼は私の絵を凄く褒めてくれたの」

「わぁ……嬉しい話ですね」


「その日から絵を描くのがもっと好きになって、彼も私の絵を毎日見たがるから嬉しくなって、次第に本気で漫画家を志すようになったのよ」

「素敵……そんなに言われたら好きなっちゃう気がします」


「そうね、でも今にして思えば気の迷いみたいなものよ」

「へ? そうには思えませんけど……」


 合間合間にブラックなジョークを織り交ぜる黄土さんに私はどう反応すべきか迷ってしまうが、どうやらそれは嘘ではないらしい。


「実は私ってとても引っ込み思案で殆ど友達がいなくて、藍葉ちゃんとは真反対の人種だと思ってくれたらいいかしら」

「え、いや、私は別にそんな――」


「ふふ、まあいいわ。でも要するに私の話し相手が主人だけだったってだけの話なの。そりゃね、その人しか知らないんだから好きにもなるわよ」

「それは……でも結婚したんですから愛しているんですよね?」


「それは勿論。まあ授かったのは不可抗力だったりもするけど……でも嬉しかったし、お陰で子供の為にもっと頑張ろうと思えたから」


 大変なのは事実だけど、後悔は全くしてないわよ、と黄土さん。


「ですが、それならどうして気の迷いなんて――」


「私が言いたいのは、恋愛ってそんな小難しいことじゃないってこと」

「!」


 その台詞に私は思わずドキリとしてしまうが、構わず彼女はこう続けた。


「大人になったら違うわよ? 単純に好きだけじゃない理由も絡んで来るけれど、でも学生ならそんな小難しく考える必要無いと思うのよね」

「……ただスポーツをしている姿が格好いいから、でもですか?」


「全然いいじゃない。私なんて『絵上手いね、君の漫画読んでみたい』って言われただけよ? そんなの本来誰でも言えることだし」

「ですが、そこは旦那さん以外に言ってくれた人がいなかったから――」


「それが仮に今の夫じゃなくても好きになっていた可能性は高いわ、結婚をしたのは運良く彼の人柄が良かったから、それだけね」

「そう言われると、そうかもしれませんが……」


「でも藍葉ちゃんは紫垣くんが好きなのでしょう?」

「えっ!? い、いや別に私は紫垣くんの話を――いえ、勿論好きなのは嘘ではないのですが……その――」


「成程、その言い方は、ライク――いえ、ラブではある筈なのだけれど、何かが邪魔して一歩を踏み出せない、そういう顔をしているわね」

「う――」


 流石は恋愛の物語を描き、支持されているだけのことはある、かどうか分からないけど、鋭い指摘に私は思わずたじろいでしまう。


 故に、そこから先の言葉が出てこずにいると、黄土さんから口を開いた。


「良かったら、そうなってしまう理由を聞かせてくれるかしら」

「……その、実は私こう見えてお付き合いしたことがなくて」


「あら、本当に意外ね。貴方なら機会はいくらでもあったと思うけど」

「確かに機会はありました。でも中学生の頃、私はあまり頭が良くなくて、それでよく小馬鹿にされていたのが屈辱で勉強の虫みたいになっていたんです」


「それはまた。じゃあ周囲の人間を敵ぐらいに思ってた訳だ」

「そんな感じですね。だからプライベートは殆ど捨てて勉強をしていたので、周りの友達みたいな普遍的な学生生活は送っていませんでした」


 ただひたすら見返す為に、たまに下らない男から告白されても興味ないと一蹴して勉強をし続け、結果市内で一番偏差値の高い高校に合格した――でも。


「けれど、長谷高に入りさえすれば学生らしい恋愛をする余裕はあるわね」

「私も誇らしく長谷高生らしい高校生活の中で恋愛をすると思っていました。――でも何と言いますか、彼らのことがまるで魅力的に見えなかったんです」


 中学生の頃私を小馬鹿にしつつも告白してくるような輩が少しだけ賢くなってまたいる。そう思うと急に視界が煤けて見え、学生生活から色が消えた。


「でも貴方のことを周りが放おっておく筈がない」

「気づいたら人が集まっていました。しかも勝手にイメージを作り上げられて、『シラアイ』コンビと呼ばれて持て囃されて、割と息苦しかったです」


 とはいえ全く楽しくなかったと言えば嘘になりますけど、と私は一応弁解する。


「ですが、恋愛をしようという気には微塵もなれませんでしたね」


「ふうむ、高校生なのにそうなっちゃう子も珍しいね」

「そんな日々の中2年になって、紫垣くんとクラスメイトになったんです、最初見た時に直感的に『この人は自分と似てるかも』と思いました」


「で、話しかけてみたと。そして彼と交流を深めていく内に、自分の周囲にはいない彼の性格に何となく惹かれていったのね」


「はい。前に麻沙美ちゃんと遊ぶ姿を見て、ぼんやりとしていたものが鮮明になった気がしました。ただ……それでも私が踏み出せないのには2つ理由があります」


「2つ?」

「1つは私の存在は自分の手を離れて大きくなり過ぎてしまっていることです。身近な人の中には後押ししてくれる人もいますが、中にはそうでない人もいる筈なので、彼に迷惑がかかるかもしれないと思うと凄く嫌で……」


「ふむ……可能性としては無いとは言えないかもね」


「そしてもう1つは――折角紫垣くんと出会ったのに、もし付き合って関係性が崩れて、今みたいに戻れなくなったら嫌だな――って」


 私は苦笑いのような笑みを浮かべて、そう答えた。


 友情なんてあってないようなものだとそれっぽいことを言っておきながら、結局私は好きになったら戻れる場所を失うことを私は恐れていた。


 でもだって仕方ない、紫垣くんと2人でいる時間がこの上なく好きだから。


「……すいません、独り善がりなことを言ってしまって」

「ううん、全然いいのよ。寧ろ私は今藍葉ちゃんが可愛くて仕方がないって思っちゃった、ちょっと抱きしめてもいい?」


「えっ?」

「ふふ、冗談よ。そっかー、そう言われると気持ちは凄く分かっちゃうなー……でもその解決策がない訳ではないのよねえ」


「? ほ、本当ですか?」

「その前に、私からも1つ訊いてもいいかしら?」


 正直、私としては八方塞がりな状態でどうしたらいいか分からなかったので、黄土さんのその台詞に少し前のめりになってしまう。


『お待たせしました、セイロンティーとストロベリーパイになります』


 しかし、黄土さんの質問を訊く前に彼女の『いつもの』が届いてしまったので一旦椅子に座り直す。成程、パイは黄土さんのお気に入りだったんだ。


 すると黄土さんはストロベリーパイを切り分け私のお皿へ置いてくれたので感謝を告げると、今度自分のお皿に置いたストロベリーパイにフォークを突き刺し、こう言ったのだった。


「――仮に紫垣くんから告白されたら、藍葉ちゃんはOKする?」


「えっ、それは――……はい。出来るならそうしたいです」


 一瞬自分が打ち明けた悩みが頭を過り言葉に詰まる、でもそれが紫垣くんの強い想いなのであればと思い直すと、私は自然とそう口にしていた。


 それに対し黄土さんは「うん、いい返事ね」と満足そうな表情を浮かべてパイを口の中へと運ぶと、最後にこんなことを言い出すのだった。




「じゃあ、紫垣くんに藍葉ちゃんが作った壁をぶっ壊して貰いましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る