第25話 あざとさの英才

「…………」


 その日は勉強会だったのだが、俺は古民家カフェで一人黙々と勉強をしていた。


 というのも、藍葉美遊から『少し遅れる』と謝罪スタンプ付の連絡が来たからである、俺は猫が敬礼をしているスタンプを押してそれに返事をした。


 つまり、今は自習時間という奴である。


「……ふむ」


 許嫁関係(という体)を実行してからというもの、あれだけ暇を持て余していた俺は妙に忙しさを感じるようになり、若干勉強が疎かになっていた。


 だが元はと言えば俺が長谷高での劣等感を無くす意味も込めて始まった同盟なのだから、その根幹である勉学がブレては元も子もない。


 それに俺の存在が良くも悪くも学年に広がりかけようとしている今、ここで自分の馬鹿さ加減を晒す訳にはいかないだろう。


 期末試験までに何とか基礎体力を付け直す。故に俺は藍葉からオススメされた参考書を片手に、懸命に復習をしているのだった。


「ううん……反例を見つけるのが難しいな……どうしたものか」


「a≠0なのでc=0、aとbはなんでもいいはずなので、はんれいをa=b=1、c=0とすればいいのではないでしょうか」


「ん……? 確かにそうだ、麻沙美ちゃん頭いいね」

「いえ、ちょうどふもんしきでやったところでしたので」


「あー浮文式か、俺の頃も通ってる小学生いたけど、進むペースが尋常じゃないんだよな、よく高校生の数学やってるって子も聞いて――――!?」

「……? おなかでもいたいのですか」


 まるで最初からそこにいたかのように自然に会話に入ってきたので反応してしまったが、その声は明らかにこの状況において不自然でしかない。


 故に俺は恐る恐る視線を参考書から右手の席へと移したのだが、そこには当然のことながら虎野鶇こと黄土裕美さんの娘さん、麻沙美ちゃんが座っていた。


「えーっと……何でいるの?」

「たまたまとおりかかったらおにいさんがいたので、それで」


 いや、まあ……そこはいいとしようではないか。偶然出くわすなんて往々にしてある話ではあるし、世間の狭さは彼女から教わっている。


 ただ俺の記憶が正しければ住まいは北町だった筈、ここからだと30分以上は歩く距離だし、いくら何でもまた迷子とは――


「……あれ? それは――」


 しかし、よくよく見ると麻沙美ちゃんは黒の制服を着ており、ランドセルではなく、学校指定の鞄を背負っている。


 それは甲東学院大学初等部の生徒であることを表していた。


「なるほど、麻沙美ちゃんこの近くの私学に通っているのか」

「はい。きょうはははがおしごとでとうきょうにいっておりまして、がっこうがおわったのでこれからそぼのいえにいくよていなんです」


「そっか、場所は分かるのか?」

「よくいっているのでわかります、もう少しのぼったさきですね」


 それなら安心だ、甲学は市外からも沢山の生徒が来るのであちこちに警備員が配備されている、その上実家が近いとなれば然程心配はないだろう。


「とはいえ――まだ藍葉さんから連絡はないし……よし、ならお兄ちゃんとそのおばあちゃんのお家まで一緒に行くとしようか」

「いえけっこうです」


 名案だと思ったのだが悩む間すらなく即決で拒否されてしまった。


「そ、そうでございますか……」

「おきもちはうれしいですが、ほんとうにあるいて3ぷんもないので。といいますか、このきっさてんにもなんどか来たことがかありますよ」


「え、そうだったのか」

「はい、じつはわたしもおきにいりのおみせでして。ここのすとろべりーぱいはぜっぴんですよ、ぜひおすすめしたいです」


 そう言われたので俺はおもむろにメニュー表を手に取り確認をしてみる、どうやらできたてを提供して貰えるらしく、確かに美味しそうだった。


「う……だが3500円か……」

「はい。ぜいたくなおねだんとなっておりまして、しょうがくせいのわたしにはなかなかてのとどかないしろものなんです」


「まあお兄ちゃんでも手の届かない代物だけど――」


『グーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』


 そう言いかけた瞬間、突如地鳴りのような音がカフェ内に響き渡る。


 その音は明らかに俺の隣からしたのであるが、あまりの大きさに店内にいた店員、お客が一斉に俺達の方を振り向いてしまう。


 あの……俺じゃないですからね?


「……こほん、しつれいしました」


 そしてそう言う割には全く悪びれている様子のない犯人、麻沙美ちゃん。


 うん……まあ、こんな注目浴びてしまって親でもない俺が買わない選択肢はないだろう、いやはや、麻沙美ちゃんの将来が有望過ぎて嬉しい限りだよ。


「……折角だから食べようか」

「いえそんな、ははにまえのことでおこられたばかりですし」


「だから今回は二人だけの内緒ってことにしよう。それと勉強を教えて貰ったからな、今回はそのお礼と考えれば引け目も感じないだろ?」

「そうですね、ではごちそうになります」


「その言葉を待っていたと言わんばかりの即答具合がまた良いね……」


 まあ俺が貰えるもんは貰っとけの精神を教え込んでしまったので仕方がないのだが……と思っていると、麻沙美ちゃんはこう言うのだった。


「いえ、ひとさまからおめぐみをいただくときは、どれだけそれがほしくてもいったんことわるフリをしろとははのお友だちからおそわったので」


「……それはいい心構えだ」


 どうやら俺の入れ知恵を含めて、スポンジのように何でも吸収する麻沙美ちゃんは良い意味でも悪い意味でもすくすく成長しているようだった。


 こうして、藍葉美遊が来るまでの期間限定ではあるが、麻沙美ちゃんとの午後の一時が始まったのである。



「でもあれだな、それならもう少し間を覚えた方がいいぞ」

「ま、というのはなんでしょうか?」

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