第17話 友情がないのなら
「
麻沙美ちゃんがそう言ったと同時に、母親と思われる人も彼女の存在に気づくと、声を上げて駆け寄って来た。
そして俺と藍葉の間に座っていた麻沙美ちゃんはベンチから飛び降り母親の元へと向かっていく、ぎゅっと抱きしめられ感動の親子再会となった。
「もう……あれだけ手を離しちゃ駄目と言ったのに……」
「……すいませんでした」
「これで一件落着だね」
「ああ、一時はどうなることかと思ったが」
やはり子供の暴走を止められるのは母親だけなのであると改めて実感する、まあお陰で窮地から脱することが出来たのだが。
そんなことを思いながら俺と藍葉は遠巻きに2人の姿を眺めていると、暫くして麻沙美ちゃんが母親と手を繋いでこちらに近付いてくる。
「お二人が娘を見ていて下さったんですね、ええと――」
「藍葉美遊と言います」
「紫垣悟です」
「藍葉さんと紫垣さん、この度は本当にありがとうございました」
そう言うと麻沙美ちゃんの母親は深々と頭を下げる。
何というか、麻沙美ちゃんをそのまま大きくしたような感じである、言う通り非常に美人なのだが、何処かおっとりした雰囲気があるというか。
ただ喋り方は流石に麻沙美ちゃんのようではなく、まさに母親、といった感じで言葉の節々に申し訳なさが滲み出ていた。
「申し遅れました、私
「いえそんな、とてもお利口さんでしたよ」
「この子昔から注意散漫でして、少し目を離したらすぐ何処かへ行ってしまうので、私も気をつけてはいたのですが……」
「ですが僕達も驚くくらい落ち着いていましたね」
「恐らく父親譲りでして、変に肝が据わっているんです。昔も何度かはぐれたことがありましたが、泣いていたことは一度もないので」
「偉いねー麻沙美ちゃん」
「おんなのなみだはさいごまでとっておくべきものなので」
「麻沙美、そういう問題じゃないの、悪い人に連れて行かれていたらどうするの」
「……すいません」
終始飄々とし、母親が迷子なのだと言い放つ麻沙美ちゃんであったが、母親を目の前にし反省している所を見ると、どうやら少し強がっていたらしい。
ちゃんと子供らしい一面もあるんだなと思いながら見ていると、黄土さんが麻沙美ちゃんの手にバターサンドがあることに気づく。
「あ――もしかしてお二人が買って頂いたんですか? 申し訳ありません……今すぐ代金はお返ししますので」
「いいですよそんな、それは麻沙美ちゃんへのプレゼントですから」
「そういう訳には、お礼もまだしていませんし」
「何も大変なことはなかったので、本当にお気になさらず」
「流石にそれは出来ません、ええと……財布と……何かお礼を――」
確かに黄土さんからすれば大事な娘を保護してくれていたのだから、何としてもお礼をしないと気がすまないだろう。
しかしこちらとしても恐縮してしまう部分ではあるしな……と藍葉と顔を見合わせていると、麻沙美ちゃんが黄土さんの袖をくいっと引っ張る。
「? どうしたの麻沙美」
「ははのほんをさしあげたらどうでしょうか」
「いや、あれはこういう時に渡すものじゃ――」
「ですがまちがいなくよろこぶとおもいますよ」
「……? そんなことは無い筈だけど、それなら一応――」
「?」
よく分からない会話を親子で行ったかと思うと、何やら黄土さんはショルダーバッグをごそごそと漁り始める。
そしてペンと一冊の本を取り出し開くと、サラサラと書き始めた。
「あの、一体何を――」
「実は私『虎野鶇』という名前で漫画家をしておりまして――」
「……! まさか『後輩くん』の作者……なんですか?」
「あ、もしかしてご存知でしたか?」
「ご存知も何も……」
こんなにも世間が狭いことが果たしてあるものなのかと、俺は動揺を隠しきれないまま視線を藍葉へと向ける。
「…………」
こんなの失神ものじゃないのかと危惧していたのだが――意外にも冷静な表情のままだった彼女は黄土さんに向けて一歩前に進んだ。
「書店の知り合いを通じてサイン本を書いた際の予備で申し訳ないのですが、今サインを入れたので良ければ貰って下さい」
「……いえ、私も『後輩くん』のファンなのですが、これは受け取れません」
「え?」
「な!? 藍葉さん何言って――」
「因みにですが、そのサイン本は売る、ということでしょうか?」
「ええ……発売はまだ少し先だったと思うけれど」
「でしたらその時に、正式に書店で買わせて頂きます」
そう言って小さく頭を下げた彼女を見て、俺は藍葉のファンとしての矜持が完全に空回ってしまっていることに気づいた。
本当は大はしゃぎをして喜びたいし、日付が変わるまで話をしてみたいだろうし、何ならサイン本どころか写真だって撮って貰って欲しい筈なのに、それを全力で押し殺して誠実なファンであろうとしている。
まさに見上げた精神――ただ今この場は有名人のプライベートに偶然出くわしたというよりは、迷子だった娘を保護してくれたお礼でしかないのだ。
「ええと……そう言って下さるのは嬉しいんですけど……」
明らかに黄土さんも困っているし、ここは素直にと思う反面、彼女の想いを無下には……と思っていたら、麻沙美ちゃんが今度は藍葉の袖を引っ張った。
「? 麻沙美ちゃんどうしたのかな?」
「おねえさんにいいことばをおしえてあげましょう」
「へ?」
「もらえるもんはもらっとけ、です」
ここに来てまさかの俺が麻沙美ちゃんに言った言葉が、回り回って藍葉へと突き刺さる。まさかの言葉に藍葉はキョトンとした表情になってしまうが、すぐに笑顔になるとこう返したのだった。
「――その通りだね。えっと、黄土さん、では有り難く受け取らせて頂きます」
そんなこんなで。
何でもない平日の昼下がりに起きた事件は終わりを告げたのだった。
「おねえさんもおにいさんもまたおあいしましょう」
結局バターサンド代も返して貰う形となり、何度も頭を下げ感謝を告げる黄土さんと手を振り別れを告げる麻沙美ちゃんを、俺達は姿が見えなくなるまで見送る。
そして二人が角を曲がり姿を消した所で、藍葉がぽつりと呟いた。
「本当は――もしかしたらと思ってたんだよね」
「? 麻沙美ちゃんの母親が虎野先生だってことにか?」
「ほら、麻沙美ちゃんが言ってたでしょ『男女の友情はない』って、あれ実は虎野先生の読み切りで主人公が言ってた台詞でさ」
「え、そうだったのか?」
「そ。だからひょっとしたら、このままだと虎野先生に会える可能性があると思って、途中から平静でいようとずっと必死だった」
「だからあんなに考え込んで――でもそれならもっと黄土さんと話をしたら良かったじゃないか、あんな奇跡みたいなこと、次はいつあるか分からないのに」
「んーまあね。でもこれが偶然じゃないならまた会えるとも言えるから、それに麻沙美ちゃんの前でミーハーみたいになるのも格好悪いかなって」
「それはそうかもしれないが……」
「それよりさ」
と、藍葉はくるりと身体をねじって俺の方を向くと、いたずらっぽい笑みを見せながらこう言ってきた。
「紫垣くんは『男女の友情はない』と思う?」
「ん――ど、どうだろうな……藍葉さんはどう思う?」
随分と狡いやり口だとは思ったが、あんなにあたふたした手前まともな返答など出来ないと思った俺は質問返しをしてしまう。
それに対し藍葉はすんなりとこう返してきた。
「私はね、『男女の友情はなくるもの』だと思ってる」
「それは何故?」
「だって好きな気持ちは友情には絶対勝てないと思ってるから、それを否定することは出来ないし、だから『あってないようなもの』っていうのが正しいのかな」
「……なるほどな」
「でも――」
と藍葉は前置きすると、今度はサイン入りの『後輩くん』の単行本を両手に持ちながら、俺の目を見据えてこう口を開くのだった。
「あってないようなものなら、絶対両想いでいたいかな」
「…………そりゃ間違いないな」
それを藍葉がどういう意味で言ったのかは皆目検討もつかなかったが。
何故か俺の心は、妙に騒いでいた。
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