第14話 噂はウワサ

「……上がってる」


 俺は週明けの数学の小テストの点数を見て、思わずそう漏らしてしまう。

 隣の席に座っていたクラスメイトが訝しげな表情で俺を見た気がしたので慌てて口を噤んだが、心の中では小さくガッツポーズをしていた。


 28点。


 まだまだ余裕の赤点圏内ではあるが、以前は6点とか、よくて12点とかもザラだったことを考えれば、これは大きな一歩でしかない。


(しかし)


 1年、そして2年の数ヶ月の間の穴埋めは中々進んではいないので、正解出来ている問題も殆どが基礎問題のみ。

 それでも藍葉美遊との勉強会や、自学の時間を増やしたことが点数として反映されていたるのは否が応でも嬉しくはなる。


 自分は長谷高の生徒なのだと、久しぶりに思えた気がした。


『じゃーん、66点』

「相変わらずミス平均値だね」

『うるさい、そういう倫はどうなのよ』

「80点」

『大台に乗せるとはこしゃくな、美遊はどうだった?』

「85点、まあいつも通りって感じかな」


 異次元な藍葉達の会話には少し目眩を覚えるが、決して届かない訳ではない点数なのだと思えば以前ほど劣等感は覚えない。


「んじゃ、私はそろそろ帰るから」

「あい、お疲れ美遊」

『美遊ホント最近すぐ帰るね』

「んーまあね、2年になってから親が勉強にうるさくなってさ」

「アンタも真面目に勉強しないと大学受験で泣きを見るよ」

『いやー国公立目指さなきゃ割と何とかなるって』


 そんな話を最後まで盗み聞きすることはなく、俺は鞄を背負うと教室を出た。

 この点数を早く藍葉に報告したいと思う気持ちは当然あったが、それよりもここからどう伸ばしていけるかを考えたい気持ちが強く、その話をしたいと思うと自然と足取りが早くなる。


 いつもより大分容易に生徒の波をかき分けながら進んでいき、そして昇降口へと繋がる階段へと差し掛かった時だった。


『あ、ちょっといい?』


 2人の女子生徒に、突如声を掛けられたのである。

 長谷高生になってからまるで経験のしたことのなかった事態に俺は少し驚いてしまうが、比較的冷静なトーンでそれに応じる。


「え、何?」

『え、えっと、その……』

『ほら、早く』

「…………?」


 しかし相手が思いの外言い淀んだ感じを見せだし、スムーズに話が進んでいかない。

 昔こんなシーンを漫画で見たような気がするが、その割に相手の女子生徒はもじもじはしておらず、寧ろ居心地の悪そうな表情を見せる。


 何か面倒くさいことになりそうだな……と思い始めていると、意を決したのか最初に話しかけてきた方がこう切り出してくるのだった。


『あの、藍葉さんと付き合ってるって本当ですか?』

「…………」


 ああ、やっぱり何処かで見られているよなと、俺はある種驚きよりも納得したような気分になる。

 きっと藍葉美遊もそうである筈だし、俺自身も気を使ってはいたが、いくら人目につかないようにしていても長谷高生はそこら中で闊歩しているのだ。


 そうなれば死角から目撃されていたとしても何ら不思議な話ではない。


 ただ、確認事項がいくつかある、返答内容はそれ次第でいいだろう。


「いや、同じクラスメイトではあるけど、何で?」

『え、あの、その……見たって言う人がいて』

「見た?」

『紫垣と藍葉さんが2人で歩いている所を後輩が見たの』


 すると今度は隣にいた女子生徒が痺れを切らしたかのように割って入ってくる。

 まさか名も知らぬ女子生徒から自分の名前が出てくるとは思いもしなかったが――しかしそういうことならと、俺は会話の方針を定めた。


「なるほど……じゃあ、逆に訊くけど、俺と藍葉さんが付き合ってるってあり得ると思う?」

『え、そ、それは……』

「だってあの『シラアイ』コンビの藍葉さんだろ? 好き過ぎて声も掛けられないって人もいるくらい男女共に人気の」

『まあ、だからこそ言ってるんだけど……』

「だからこそ俺はあり得ないと思うんだけど、どう思う?」

『あり得ない…………と私は思ってる』

「じゃあそういうことじゃないか、きっと誰かと見間違えたんだろう」


 もしここにいる2人が見たというならどうしたものかと思ったが、彼女達が見た訳じゃないのならいくらでも言いようはある。

 故に俺は澄ました顔でそう返答したが、気の強そうな方があまり引く気配を見せない。


『いやでも私が後輩に紫垣の顔を確認して貰ったから、そしたら間違いないって言ってたし』

「人の記憶って案外曖昧なものだと思うけどな。確かに俺も彼氏の噂を聞いたことはあるけど、それが俺は流石に話が出来過ぎだって」

『……私もそう思ってるけど』


 自ら否定の方向に持っていっているので仕方はないのだが、流石に同意し過ぎだろと若干思う。

 ただまあ、それは俺に限った話でもないとは思う、白井倫がサッカー部の主将ではなく平々凡々な帰宅部だったら普通は誰も信じたりしない。

 女優が一般男性と結婚と聞いて蓋を開けたら、その世界では実はかなり有名な関係者なのと同様、現実はそんなものである。 


 それに、付き合っていないのは事実だし。


「まあ、後は俺が藍葉さんの彼氏だったら今頃皆に自慢してると思うから、そうでないということは違うってことだ、それじゃ」

『あっ、ちょっと――』


 そこまで言っても彼女はまだ納得していない感じだったが、これ以上話した所で意味はないと思った俺は話を打ち切り階段を降りていく。

 とはいえ追いかけられそうな気配もなかったので俺は特にスピードを上げずに昇降口に辿り着くと、口を履き替え学校出るのだった。


「皆恋バナが好きなんだな」


 申し訳ないが、藍葉はそういう対象に出来ないのはこれまでの交流でよく分かっている。

 だからこそ彼女達に冷静に返答が出来たのだ。大体彼女に変な気を起こそうものなら、また元の木阿弥になってしまう。

『放課後ぼっち同盟』を、自らの手で潰すことは今の俺には出来そうにない。


「ただ――」


「あ、紫垣くん」


 そう思った時背後から声がして振り向くと、茶色のウルフのような、ボブのような茶髪を揺らして駆け寄ってくる長谷高生を見つける。


 俺はその姿に右手を上げて反応した。


「数学の小テストどうだった?」

「何点だと思う?」

「んー……ちょっと顔見せて」

「残念タイムアップ」


「あっ、もう……ふふ、でも紫垣くんも中々やるようになってきたみたいだね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る