第8話 藍葉美遊は哲学的?

「雨は憂鬱なのに雪は高揚する違いは何なんだろ」

「え?」


 徐々に恒例化しつつある合図からの待ち合わせを経て、傘を差しながら横並びで歩いていた時、藍葉がそんなことをボヤき始めた。


「違いがあるとしたら固体か液体かという話でしかないんだよ、どっちもただの水なのにさ、なのに人は固体に高揚しがちだよね」

「哲学的だな」

「でも同じ個体でも雹とか霰にはあんまりしないからまた不思議」

「その結果起こる損害の有無はあり得るかもな」

「雨だとびしょ濡れになる、雹霰だと痛い……確かに嫌だね」

「まあ雪でも吹雪くと同じような感じだけどな」

「あー……そうなると落下速度に人は高揚するのかも」

「落下速度か」


 言われてみると雨雹霰は落下速度が早い、それが頭上から大量に振ってくるとなれば高揚よりも鬱陶しさが増すのも頷けるというもの。

 対して雪は吹雪かない限りはしんしんと、ちらちらと降る。

 それが人の正の感情に呼応するというのは考えられなくもない。


「それは一理ありそうだな」

「まあ雪国の人達からしたら馬鹿言えって言われそうだけどね」

「それに雹霰は室内から見てるとちょっと高揚するしな」

「ほんとだね。うーん、人の感覚って難しいな」


 そう言って彼女は腕を組んでうんうんと唸る。

 それにしても実に取り留めもない会話ではある。ただ藍葉美遊はこういう話を何の前触れもなくすることがたまにあるのだ。

 不思議ちゃんというほど酷いものではないが、本人曰く些細なことでも気になってしまうと口に出してしまう性分らしい。

 だが周囲の友人からすると『また始まった』という感覚らしく、あんまり相手にしてもらえず少し不満なのだとか。


 とはいえ俺はそんな彼女のボヤきは意外に嫌いではない。

 単純に自分から話題を振る能力がないというのもあるが、その時の彼女は『シラアイ』コンビの藍葉美遊には見えないからである。

 それは劣等感から来るものなのかは分からないが、宛もない会話をダラダラと続けるのはあまり苦にならない。


「――あ、お化け屋敷だって」


 そんな風に思いながら歩いていると、今度は掲示板に貼られていたポスターを見て藍葉がそんなことを呟く。

 俺はポスターに視線を送ると、そこには俺と藍葉が出会ったモールで脱出ホラーゲームの開催が告知されていた。


「ふうん、改装前のエリアを使って期間限定でやるのか」

「紫垣くんは怖いの苦手?」

「平気。と言いたい所だが、好き好んで行く奴の気がしれん」

「私も右に同じく。だから絶対行かないんだけど――でも好きで行きたがる人って『怖楽しい』ってよく言うよね」

「こわたの……? ああ怖いけど楽しいって意味か」

「怖かったら楽しい筈がないのに、何かおかしいよね」


 まあ楽しくなければ行くわけもないので、その表現が正しいとは思うが、普通なら全く交わることのない言葉だとは俺も思う。


「例えば危ない人に囲まれて、これからボコボコにされるっていう時に、楽しいと思う人なんて絶対いないのにさ」

「そもそも例えが怖すぎるが、勝ち目がないなら恐怖しかないだろうな」

「でもお化け屋敷だとそうはならない」

「安全が確保されているからじゃないか、バンジーだって紐があるから飛べる訳だし、大事になる確率は低いから楽しめるみたいな」

「安全が保証された恐怖って、恐怖と言っていいのかな……」


 その恐怖を全力で怖がっている俺達がそれを言うのかという感じではあるが、その捉え方は妙に的を射ている気がしないでもないから困る。


「まあ怖いというよりは刺激なんだろ、刺激と楽しいは表裏一体とか」

「なるほど、それは一理あるかも」


 そう言って藍葉はポスターから離れ歩き出したのだったが、その割には納得のいった表情には見えなかった。


       ○


「何見てるんだ?」

「んー、TekTak」


 それから古民家カフェに着き、俺は彼女から指示された小テストの、化学平衡に関する復習をしていた。

 その間藍葉はじーっとスマホを眺め続けていたので、俺は少し気になって尋ねると、そんな心ここにあらずといった返事が帰ってくる。


「ああ、女子は皆見てるよな、面白いのか?」

「面白くなかったら見てないけど、紫垣くんは見てないの」

「申し訳ないが俺は見てないな」

「そっかー、まあ最近は私もTekTakerよりおすすめに出てくる衝撃映像系をついつい辿って見てるんだけど――――あ」


 藍葉美遊はスマホから全く目を離さず、抑揚のない返事を繰り返していたのだが、何かに気づいたのか、パッと顔を上げて俺の方を見始めた。


「そっか、そういうことか」

「え、何だ、どうかしたのか?」

「結局さ、人は安全圏から非日常を体験したい生き物なんだよ」

「……は?」


 急に1人で得心のいった表情を浮かべてそう言い出すので、俺は訳が分からず呆然としていると、つらつらと話し始める。


「人っていうのは非日常を求めているけど、でもそれは本来リスクを伴わないと体験出来ない、でもそうなると嫌とか怖いが勝ってしまう」

「あ、ああ……」

「でも雪も雹も霰も、お化け屋敷も、この衝撃映像もだけど、自分にはノーリスクだから高揚感が勝る――だから沢山の人を引きつける」

「な、なるほど……」

「でもそう考えると人って卑しい生き物だね」


 そう言うと藍葉は満足そうな表情を見せて珈琲をすする、だが対する俺は如何ともし難い表情を浮かべていたのだった。


「…………」


 いや、その、多分合ってはいるのだろうが、もっと真理に近い回答が出てくるのかと思っていただけに、俺の感情の着地点が完全に迷走してしまう。


「お、動画更新されてる」


 しかし当の本人は全て消化しきったのか、完全に興味が別に移ってしまっていたので、俺はこれ以上は何も訊けず、勉強へと戻らざるを得なかった。




 ……うむ、これは友人がスルーする方が正しいな、申し訳ないが。

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