第6話 長谷高なんてチョロい

「小難しく考える必要はないんだよ不等式って、単純にこっちの方が大きい、でも同じ大きさの時もあるっていうだけの話だから」

「ふむ」

「中間考査で考えると不等式上では私より紫垣くんの方が順位は上みたいな」

「完全に馬鹿にしてるだろ」


 藍葉美遊がよく通うという古民家カフェは、閑静な住宅街の一角にあった。

 長谷高からはそこまで距離があるという訳ではないが、山手にあるせいか長谷高生の姿は何処にもなく、隠れ家に相応しいような内装をしている。


『定期考査前は結構ここで勉強したりもするんだよね』


 そして店内に入り、窓際の席に座るや否や『今日の数学の小テストを見せて』と言われ、些細な抵抗の末12点の答案用紙を奪い取られた結果今に至る。


「でもちゃんと基礎問題の計算は出来てるんだよね、不等号の向きを逆にするのを忘れてるけど」

「あ、だからバツなのかそれ……」

「まあこれは所詮マイナスは大きくなってもマイナスって覚えておけば済む話だから、それより問題はやっぱり応用かな」

「そうだな……」


 俺はどう見ても早々に力尽きたとしか思えない回答を見てそう呟く。


「これ相加相乗平均を使うんだけど、まずそれがピンと来てないよね」

「……いや、公式の名前くらいは知ってるけども」

「変な抵抗しなくていいから、私が言いたいのはこの問題を見た時にそれを使えば解けるって気づいたかどうかって話」

「いえ……気づきませんでした」


 俺は誤魔化すようにして珈琲を啜りながらそう答える。するとそんな俺を見て彼女は叱るのかと思いきや、ふっと笑みを見せるのだった。


「?」

「ごめん、何か回答の仕方が昔の私と同じで面白くて」

「そうなのか?」

「勉強をやる気がない訳じゃないんだけど、基礎の枠を外れるとどんどん分からなくなって、でも解決策も見いだせないから放置して低得点って感じだよね」

「それは……その通り過ぎてぐうの音も出ないな」


 だがそれこそが理解力の差という奴だと思う。故に教科書に再度目を通した所で何一つピンとくることがなく、あっという間に取り残されてしまうのだ。

 それを繰り返し続ければ周回遅れになるのも当然の話。おまけにやる気まで奪われてしまっては追いつく術もない。


「でも、藍葉はそこから追いつくことが出来たんだよな」

「簡単にとは言わないけどね。でも紫垣くんにも出来ると思ってるよ」

「俺はそんな買い被れるような男じゃないぞ」

「でも長谷高生なんて正直大したことないから。紫垣くんは長谷高の進学実績がどれくらいか知ってる?」

「いや、調べたことないから分からないな」

「有名国公立に行くのは全体の20人、関西以外の有名私大は40人、残りの240人の殆どはそれなりか以下の国公立、もしくは関西の私大だから」

「……そう言われると、超凄いようには聞こえないな」

「市内で一番の進学校なんてそんなもんだよ。つまり紫垣くんは少なくとも今から最低でも200人は捲くることが可能って話」


 まあ現実はそんな甘い話ではないだろうが、しかし今の彼女から言われてしまうとあながち無理ではないのではと思ってしまう自分もいる。

 俺にも出来るのだろうか、彼女のように。


「だからこれからは週3回、『放課後ぼっち同盟』では勉強会を開くから」

「なるほど……――って、勉強を教えてくれるのか?」

「そりゃ、紫垣くんは学力が向上していくし、私は教えることで記憶力の定着度が上がるから成績も上がる、お互いウィンウィンだし」

「いや、それは……そうかもしれんが……」

「何より放課後ぼっち同盟は不本意に奪われた学生の三大要素を取り戻すことに意義があるから、そしてゆくゆくはのうのうと学校生活を送っている長谷高生を足蹴にしてしまうことが最終目標」

「でも藍葉さんは既に達成している気がするけどな」


「してないよ」


 客観的な話をすれば現在テストは50位以内をキープしており、放課後事情はよく分からないが、学校内では見事な交友関係を築いている。

 こんなことを言うのはアレだが、正直彼女にとって同盟など不必要にしか見えない――だが藍葉美遊の表情を見ているとそんな風にも思えなかった。

 なら、それを訊くのは野暮なのだろう。


「……そうか、ならいずれは俺が教える日が来るかもしれないな」

「お、それはいいね同盟らしくて」


 果たしてそんな日が訪れるのか甚だ疑問ではあるが、藍葉は満足そうな笑みを見せると珈琲を口にしたので、俺も釣られて珈琲を飲んだ。


       ○


 翌日の体育の時間。

 きっと今までの俺であれば何の気にも留めることなく見ていたであろう日常の一幕に、違和感に覚える出来事があった。


「倫っ!」

「よっと!」

「ナイスキー!」


 その日は雨だった為体育館での授業となり、コートを分けて男子はバスケットボール、女子はバレーボールを行っていた。

 当然ながら俺は無意味に張り切り倒すバスケ部様や運動部の邪魔にならないよう、端っこでパスを貰うフリだけをしていたのだが、時折聞こえる軽快なスパイク音に、男子女子問わず歓声が上がっていたのである。


『やっぱりシラアイコンビは凄いな』

『藍葉さんの柔らかなトスから白井さんの見事なスパイク、バレー部の女子達も顔面真っ青ときたもんだ』

『俺は白井さんのスパイクを顔面に受けたいよ』

『ついでに彼氏のペナルティキックも飛んでくるぞ』

『それは何も嬉しくないから勘弁』


 確かにその光景は文句のつけようもないくらいシラアイコンビの信頼度、そしてスポーツも万能であることを疑いようもなく証明していた。

 きっとそれ以上も以下でもない、普通ならそれで終わるのが至極当然だろう。

 だけど。


「美遊持ってきて!」

「ナイスキー!」


 それがおかしいのかどうかは別として、常に藍葉がトスを上げ、常に白井が打つという構図は、コンビという割には少しに見えなくもなかった。

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