第3話 藍葉美遊には敵わない
『紫垣、後で職員室に来るように』
藍葉美遊と話をした翌日、俺は中間考査の成績表貰った後担任の教師から呼び出しを食らっていた。
どうせ言われることは目に見えているが、気が進む話では決してない、救済措置の提案が入るなんてきっと俺ぐらいものだろう。
「そろそろ行くか」
成績表を入れた鞄はいつもより重く感じる、今日は早く家に帰って仮眠でもしよう、寝ると少しばかり嫌なことも忘れられるものだ。
「美遊は今回何位だった?」
「いや、そんなの言うワケないじゃん」
『そんなこと言って50位以内は固いんでしょ』
「ないない! それよりさ、まあやんの動画見た?」
『見た見た! あの振り子ダンス、曲も中毒性あって無限ループしちゃったし』
「あれでまだ私達と同じ高校生とか信じられないよね」
『1位とるならTekTakで取ってみたいもんだよ』
「でも美遊だったら案外行けるかもね」
「無理無理、それにああいうのは見るものでやるものじゃないから――」
今日も後ろの扉から教室を出ようとすると、シラアイコンビ含めた友人達がそんな話題で盛り上がる声が聞こえてくる。
別にエリート様が集う進学校だからと言って勉強漬けの世間知らずなんてことは全くない。寧ろ普通の学生と同じで流行はしっかり抑えていたりするのだ。
スポーツでも音楽でも、アニメや漫画でも、中学の頃と変わらずそんな話はあちこちで聞こえてくる。ただ勉強も出来る、それだけの話でしかない。
「にしたって50位以内か」
長谷高でそのレベルとなれば相当に地頭がいいのだろう、つくづく俺と暇つぶしでも会話をしたのが不思議に思える、つまらなくなかったのだろうか。
まあ、過ぎた話をとやかく思い返しても意味はないので、俺は盗み聞きを途中で打ち切ると、そのまま職員室へと向かった。
○
教師との間に何があったかは割愛し、俺は最寄りの駅に着くと電車が来るまでの間何をするでもなくベンチに座っていた。
普段なら徒歩圏内なので歩いて帰る所なのだが、こんなことがあった日ではどうにも歩いて帰る気になれなかったのである。
「早く帰らせてくれ」
そんな言葉を呪文のように繰り返し、到着した電車に最後尾から乗り込む。
ラッシュの時間帯ではないので人はまばらで、長谷高生の姿もない、俺は視界に入った席にそのまま腰を下ろそうとした。
のだが。
「やっほ」
つい昨日のことが鮮明に思い出されるような声が、何の前触れもなく片手を上げ俺の目の前に立ちはだかったのだった。
「…………」
だがどれだけ美人と言われる女がいようと、疲労困憊の時に出せるような空元気は持ち合わせていない、故に俺は一瞥だけくれると黙って席へ座り込む。
「あれ、もしかして元気ない?」
「元気があったら返事をするくらいの甲斐性はある」
「それは確かに」
「藍葉さんこそ何でここにいるんだよ」
「そりゃ帰る以外にないでしょ」
「それにしては大分帰りが遅いことで」
「今日は倫達とずっと話してたから、そういう日もある」
主観的に見ても客観的に見ても険のある喋り方をしているなと思っていたのだが、藍葉美遊は特に気に留める表情も見せず、そのまま俺の横に座ってきた。
列車が走り出したことで強い西日が目つきを更に鋭利にする、堪らず日除けの為に俺は腰を曲げたのだが、彼女は凛と背筋を伸ばしたままだった。
「…………」
「元気がない理由、当ててあげよっか」
「そんなことをして何になるんだよ」
「んー、理由が必要なら言ってもいいけど」
「……いや、別に」
黙っててくれとも言える気力もなく、俺は素っ気なくそう返事をする。
別に馴れ馴れしい奴とは思いはしなかったが、クラスの中心にいると必然的に社交性が高くなるものなんだろうなと彼女の声を聞きながら思った。
ただ俺だったら、俺みたいな奴に近づきたいとも思わないが。
それでも彼女は変わらぬ態度で俺に話を続けてきた。
「紫垣くんの元気がない理由――それはテストの成績が悪かったから」
「……30点って所だな」
「あれ、結構いい線いってると思ったんだけどな」
確かに自他共認める馬鹿ではあるが、流石に藍葉がある程度答えを見据えた上で言ってきたことぐらいは分かっていたに決まっている。
大体中間考査の成績表が帰ってきた、そして元気がない、それだけの情報があれば長谷高の生徒でなくても予想はつく。
だから意地の悪いことではあるが、正解だとは言わなかった。
まあ正解を言うつもりもないのだが。
「うーん、ならあと70点か、そうだな――」
「いや、もう当てなくていいから――」
「中間考査で最下位になって、先生にこっぴどく怒られた、これでどう?」
「……」
「お、その顔から察するに、100点満点で良さそうだね」
満足そうに微笑む藍葉とは対象的に、間違っても当てられることはないと思っていた俺は完全に呆気にとられた顔になる。
いや待ってくれ、普通に考えてそんなピンポイントで当てられるはずがない。だからこそ俺は今まで全く悟られないよう振る舞ってきたのだから。
ましてや昨日話をしたばかりの女に分かる筈が――
「言ったでしょ、私人を見る目はあるって」
「それとこれとでは意味が違うだろ」
「まあでもさ、落ち込む気持ちは分かるけど、最下位でも別にいいじゃん」
「……よかないだろ、お先も真っ暗で、生き恥を晒してるようなもんだ」
「でもこれ以上下がることはないし、後は上がっていくだけだし」
「そんな簡単に上がっていくなら誰も苦労なんてしない」
「大丈夫大丈夫。勉強なんて苦手だと思うから難しく感じるだけだから、ゲームと一緒で練習すれば誰だって出来るようになるよ」
東大に行くっていうなら話は別だけど、と藍葉は軽い口調で言う。
「エリート様は随分と勝手なことを言うんだな。生まれつき頭がいいとそういう感覚になるのかもしれんが、現実はそんな甘い話じゃ――」
「紫垣くんは、2つ勘違いしてる」
「……何?」
仮に僻みが込められていたとしても、自分の言っていることに誤りはないと思っていたのだが、藍葉は首を横に振って俺の言うことを否定する。
そして指を2つ上げると、こう口にしたのだった。
「1つ、生まれつき頭がいい子は長谷高には行かない、そして2つ目は――」
そう言った所でブレーキ音がしたかと思うと電車が停止する。気づけば降りる筈の駅をとうの昔に過ぎており、終点に辿り着いてしまっていた。
するとそれに気づいた藍葉はすっと立ち上がって俺の方を見る――その表情は少し寂しそうにも見えなくない、そんな笑みをしていた。
「私も元お馬鹿さんだから。さ、紫垣くん降りよう」
決して見抜かれてなるものかと思っていた事を、こうもあっさりと看破してきたにも関わらず、気づけば俺はまたそんな彼女のことを面倒に思わなくなっていた。
「あ、ああ……」
だから、というべきかは分からないが、俺はそんな彼女の促しに抗うことが出来ず、そのまま殆ど降りたことのない駅に足を踏み入れてしまっていた。
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