第2話 2人のウソとホント
冷静に考えると、このモールは長谷高生に関わらず、市内の高校生であれば定番とも言える手軽なデートスポットであることを忘れていた。
制服姿で手を繋ぎ歩くカップルを見る度に、えずきそうになっていた自分がフラッシュバックする、まあもう手遅れなのだが。
遠くであれば大丈夫という安易な思考がものの見事に打ち砕かれ、己の馬鹿さ加減に目眩を起こしそうになる。
(……とはいえ)
いくら同じクラスでも藍葉が俺のような落ちこぼれを知っている筈がない、きっと制服が同じだから思わず反応してしまった、そう考えるのが妥当だ。
故にこのまま会釈をして離れればやり過ごせるだろう。
何せ、藍葉の彼氏を間近で見せつけられた所で得などないのだから。
「えっと……紫垣悟くんだっけ」
ところが。
彼女から湧いてきた言葉は、あろうことか俺のフルネームだった。
思わぬ事態に身体が前のめりになりかける――しかし俺はそれを嬉しいと思うよりは面倒だと思ってしまっていた。
彼氏云々の問題もあるが、どちらかといえばお前は馬鹿で有名だからなと言われているような気がしてならなかったからである。
被害妄想も甚だしいかもしれない、ただ劣等感を浴びせられながら一年半も過ごしていれば多少は性格も歪むというもの。
「まあ――そうだな」
だがこうなると無視という訳にもいかず、仕方なく俺は早くこの時間を終わらせようと素っ気ない態度でやり過ごそうとする。
なのに、この女は空気を読むセンサーが故障しているかの如くまた喋り始めた。
「紫垣くんは学校の帰り? 部活は?」
「いや……部活は入ってないけど」
「ふうん、なら私と一緒か」
一緒だったら何だというのだ。俺は彼氏のトイレ待ちの間の暇つぶし道具じゃないからな、暇なら赤本でも立ち読みしていればいい。
だが藍葉は依然として帰る気配はない。悪態でもつけば去ってくれるかとも思ったが、メリットも無ければ何一つ言えそうな言葉も無いので黙っておいた。
「紫垣くんはよくモールに?」
「いや、目当ての漫画が近所になかったから今日はそれで、藍葉さんは――あ」
「私はブラブラ服とか見たりかな」
自分の些細な嘘に満足し、思わず余計な質問をしてしまったのだが、さらっと打ち返された返答に俺は肩透かしを食らう。
いや、そりゃそうに決まっている。いくら無名の落ちこぼれ相手でも、不用意に彼氏の存在を公言したりなどしないだろう。
ただただ嘘を嘘で返されただけの話、そう思うと何て不毛な会話か。。
「服ね、俺は基本的にユリクロで済ませてるな」
「いいんじゃない? 友達でもユリクロって人結構いるよ」
「まあ一番手軽でメジャーだしな」
「ただ見栄えは大事だけどね、そういう所って結構見られるから」
「ふうん」
私服を着て外に出ている時間が短い俺にはまるで縁のなさそうな話だったが、藍葉ぐらいになればそういうのは常識なのかもしれない。
そう思いながら、3ヶ月は切っていない髪を人差し指で軽く掻く。
「…………」
「…………」
しかしここから会話が続かないのがクラスメイトとの交流を断った人間の末路である、哀れなもんだが何一つ会話の種が浮かばないのだ。
けれど、こういう空気なら流石に藍葉も帰ってくれるかもしれない。これで無駄な墓穴を掘らずに済みそうだと思っていたのだが、彼女は積まれた単行本の山を指差すと今度はこんなことを言い始める。
「紫垣くん、漫画読むんだね」
「? 漫画くらい誰でも読むだろ」
「あーいや、少女漫画って意味で」
「ああ――」
そう言われて俺は先程手に取ろうとしていた漫画に視線を落とす、無論先にも述べた通り俺は少女漫画など一度として読んだことはない。
それにも関わらず、何故か俺は読んでいないと言い出すことが出来ず、代わりに単行本の表紙に描かれたタイトルを読んでしまっていた。
「『後輩くんの令嬢になりまして』……」
「面白いよね、高校で先輩後輩の関係だった2人が、大人になってブラック企業で働く主人公がIT系の社長になった後輩くんに令嬢に迎え入れられちゃう話」
所謂主従逆転的な話だろうか、確かに思っていたより気になる設定ではあるが、事ある毎に八頭身の後輩が壁ドンしている姿しか思い浮かばない。
「うん、まあ、面白いよな」
「連載当初から好きで応援してたんだけど、友達は皆同意してくれなくてさ――でも今となってはもう6巻だからね、ザアマミロって感じ」
「周りに否定されても、信じた事が間違ってなかった時は気分がいいしな」
「ねー。ま、私は人より見る目はあるからね」
そう言って少し誇らしげに笑う藍葉に、つい俺も表情を崩しかける。
「……?」
そんな自分に、俺は強烈な違和感を覚えた。
ついさっきまであれほど彼女といる時間に拒否反応を示していたのに、どういうことか今はそれを嫌がっていない自分がいる。
まさか楽しんでいるとでも? なら相当ヤキが回ってきたらしい。
けど、もし一つだけ弁明する余地があるとすれば、今の彼女は学校での藍葉美遊とは少し違う気がしたのだ。
外野から見る限りだが、普段の彼女はもっと明るく飄々としている。クラスの中心にいるのが宿命とでも言えそうな、そんな雰囲気。
でも、今の彼女は――
「あ、紫垣くん、これこの書店限定の冊子付きだって」
「え?」
そんなぼんやりとした思考に飲まれそうになっていると、藍葉が『後輩くんの令嬢になりまして6』の単行本を手に取り俺に見せてくる。
「特典は藤高時代の話か、確かに本編じゃ詳細に描かれてないんだよね」
「あ、ああ……そういえばそうだな」
「はい、これ紫垣くんの分」
「……は?」
「偶然だけど、この書店に買いに来てラッキーだったね」
まさかの購入を促されるような発言に、俺は一瞬言葉を失ってしまう。
いや完全に誤魔化し続けたツケが回ってきただけなのだが、今更それを打ち明ける訳にもいかず、俺は黙ってそれを受け取るしかなかった。
『781円になります』
結果として読んだこともない漫画の最新刊を、特典付きの値段で買う羽目になり、いよいよ俺の財布はただのポイントカード収納袋へと成り下がったのだった。
安い嘘の代償としてはあまりに重い。
「じゃ、また明日ね」
そして胸元で小さく手を振り、きっと彼氏の元へと去っていった藍葉を見届けると、俺は彼女が向かった方向とは逆に歩き出し帰路へとつく。
「何だろうな」
あの時間を言葉で表現するならば、それはきっと虚無だろう。故に今日のことは無かったこととし、また変わらぬ日常へと戻るのが健全といえる筈。
この期に及んで無意味な関係性を築くのは馬鹿でもしないのだから。
それなのに、あの時の彼女は俺に似ている気がしてならなかったのだ。
因みに『後輩くん』は壁ドンからの主人公に腕をキメられていた。
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