初天神

 二人は福岡にある遠藤家の門の前に立った。長距離バスの長旅疲れで月花は既にヘトヘトだが、ティムは遠足気分で楽しそうだ。

「月花さん、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です」

 それから意を決して月花は呼鈴を鳴らす。中から出迎えたのは母親だった。

「おかえりなさい。さあ、上がって」

 促され、ティムが一礼して玄関をくぐる。通されたのは、父親が好んで応接用に使う和室だった。ティムと横並びに正座して待っていると、みしっ、みしっという重苦しい足音が聞こえる。月花の背筋がピンとなる。その緊張感が伝わったのか、ティムも一層背筋を伸ばす。そうして父親はやって来た。久々に見る父親は、顔にしみが増えて少しお爺さんっぽくなっていた。

「お父さん、お久しぶりです」

 月花は立ち上がり、頭を下げた。ティムもそれに倣って同じようにした。

「まあ座りなさい。……久しぶりか。おまえがここを去ったのが昨日のようだ。歳をとると時間が経つのが早いものだ」

 父親が腕組みして庭先に目を向けた。ティムも同じ方向を見た。

「素敵なお庭ですね」

「君に日本庭園の良さがわかるのかね」

「はい。日本の文化、とても素晴らしいです」

「なるほど……私はヨーロッパ出張の時に何度か和食レストランに行ったのだが、正直なところ、日本文化を履き違えている代物ばかりだった。……君の日本びいきもそのようにしか見えん」

「お父さん、失礼よ!」

 月花がいきり立つと、ティムがそれを制した。そして懐から扇子を取り出して改まった。

「それではここで一席、おつき合いいただければと思います」

 父親は苦笑した。

「落語の真似事か? 猿真似が通じるほど生易しい芸ではないぞ」

「ご忠言ありがとうございます。……生易しくないといえば、親と子の関係でございます。昔から親の心子知らずなんていわれますが、親のほうだって子のことがわかると胸張っていえるもんでもありません。


『なあおとっつぁん、天神さんに連れてってくれよ』

『だめだ、おめえは連れてくとすぐ、あれ買ってくれこれ買ってくれって、うるせぇったらありゃしねぇ』

『いわねえからさぁ、連れてっておくれよぉ』

『男と男の約束だからな、絶対いうんじゃねえぞ』


『おとっつぁん、色んな店が並んでるね』

『ああ、だけど約束忘れんじゃねえぞ』

『忘れてないよ。あたい、あれ買ってくれこれ買ってくれっていってねえだろ』

『そうだな』

『偉ぇだろ』

『ああ、偉ぇな』

『だから褒美にあの凧買ってくれ』

『なにいってやがる……こら、凧売りのおやじ、てめえまでけしかけてんじゃねえ。仕方ねぇ、凧を買わねえくらいで騒がれても困る。やれやれ、やっぱりガキなんか連れてくるんじゃなかったよ』

『お買い上げありがとうございます。良く飛ぶ凧でございますよ』

『この凧売りめ、嘘だったら承知しねえからな! ……ん? ほほう、なるほどこいつは本当に良く飛ぶ凧だ。こりゃ面白え。そらひゅーいひゅーいっと!』

『おーい待ってくれ、おとっつぁーん、おとっつぁーん! あたいにもさせておくれよー! ……やれやれ、おとっつぁんなんか連れてくるんじゃなかったよ』


 ……おあとがよろしいようで」


 ティムが頭を下げると、月花も頭を下げた。そしてふと父親の顔を覗き見ると、相変わらずのしかめっつらだった。

(やっちゃった……?)

 月花はヒヤヒヤして生きた心地がしなかった。

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