第8話
それから数日と経たず、私はお義母様から学園に通うようにと命じられた。
巻き戻るまえはただ反発して、未熟な娘はウィスタリア侯爵家に必要ないと追い出されただけだったけど、今回の私は冷静に応じることが出来た。
相変わらず、お義母様は突き放すような言い方しかしてくれなかったけれど、それでも冷静に応じたことで、なぜ私が学園に放り込まれたのかは分かったような気がする。
一つ目は、実権を握っているのがローズマリーお義母様だと内外に知らしめて、ウィスタリア公爵家のあれこれを狙う者の標的から私を外すこと。
そして二つ目は、言葉通り、未熟な私に成長を促すこと。そして同時に、私に学園で人脈を手に入れさせようとする腹づもりのようだ。
お義母様の下を離れることには不満もあるが、王都の学園とウィスタリア侯爵家はそれほど離れていないので、その気になればいつでも帰ることが出来る。
なにより、いまのままの自分では、とてもお義母様のお役には立てない。先日のカミラの一件のように、お義母様の足を引っ張ってしまうことになるだろう。
だから私は学園に通うことを決意した。
問題は私の学力が低いことだ。
巻き戻るまえの、私の入試結果は中の上くらいだった。その成績に対して、当時の私は、まあ悪くない成績なんじゃない? なんて思っていた。
だけど……違う。平民と貴族で受けられる教育のレベルが違うように、貴族社会の中でも、爵位によって養育費がまったく違うのだ。
大侯爵家の令嬢である私は、世界で最高の教育を受けられる環境にいる。そんな私が、ろくな家庭教師も得られない子供が混じるグループで中の上。
ローズマリーお義母様の娘として、そんな恥ずかしい真似はもう二度と出来ない。
だから私は、学園の試験を受けるまでの数ヶ月、文字通り死に物狂いで勉学に励んだ。
元々、四年間真面目に学園に通った下地がある。そこに足りない知識を死ぬ気で補った私は、見事に実力で首席合格という結果を導き出した。
――嘘だ。
体感時間で四年ほどまえとはいえ、まったく同じ内容の試験を受けているというのが大きかった。だから首席になったのはすべてが私の実力という訳じゃない。
だが、首席合格を果たしたのは紛れもない真実だ。私はお義母様からお褒めの言葉をいただき、私は由緒あるウィスタリア侯爵家の一人娘として学園に向かった。
学園の寮――といっても、割り当てられたのは上位の貴族令嬢が暮らす大きな部屋で、レディースメイドやウェイティングメイドが暮らす部屋までが隣に用意されている。
その寮の部屋、一足先にカミラがしつらえた部屋に私は足を踏み入れた。巻き戻るまえは、お義母様が用意した使用人達がしつらえたために、部屋の内装がいまとは少し違う。
私はその事実に少しだけ安堵した。
だって、この部屋で過ごした三年間は悪夢のような日々だったから。
お義母様が新しく用意した、見知らぬメイド達とともに押し込められた不慣れな地。お義母様を敵だと思っていた私は、新しいメイドの全員が敵だと思っていた。
実際は、いまの方が敵が多いはずだけど……と、部屋に集合したウェイティングメイド達に視線を向ける。その中に一人だけ、見覚えのない――否。
巻き戻るまえにしか見たことのない、ウェイティングメイドが混じっていた。
「カミラ、彼女は誰かしら?」
「あっ、紹介が遅くなって申し訳ありません。彼女は急遽やめさせられた前任者の代わりに務めることになったウェイティングメイドです」
「やめさせられた前任者?」
「ローズマリー奥様から横領を働いていたとうかがっています」
「……そう、分かったわ。貴女……名前は?」
「フォルと申します、エリスお嬢様」
「そう、よろしくね、フォル」
フォルと挨拶を交わしながら、お義母様の手際の良さに感謝する。
私の周りで金品を扱っているのはカミラだけだ。ウェイティングメイドの彼女が横領を働けるはずがない。やめさせられたメイドは間違いなく、何処かと繋がっている内通者だ。
なにより、ローズマリーお義母様が送ってくださったイチオシのメイド。
彼女であれば、それなりに信用できるだろう。
これで色々と動きやすくなる。
「……そういえばカミラ、私の薬は指示通りに瓶に移し替えてくれたかしら?」
「はい。仰るとおり、市販のもっともポピュラーな瓶に移し替えましたが……本当によろしかったのですか? 他と区別が付かないと、すり替えられる危険が増しますよ?」
「いいのよ、それで」
未来を知らなければ、私の行動は理解できないだろう。
私は小さく笑って、その話を強引に打ち切った。
それから入学式を経て、二度目の学生生活が始まる。
一度目はなにも思わなかったけど、クラスには下級貴族の子供も多く含まれている。そして、そんな子供達の多くが、いつの間にかいなくなってしまっていたことに気付く。
ウィスタリア侯爵家にとっては取るに足らない学費だけれど、下級貴族に取ってはそうじゃない。ましてや、跡継ぎでない子供達に充てられる養育費は決して多くない。
途中で学費を払えなくなって辞めていった者もいるだろう。
だけど――と、私は何人かの顔ぶれを確認する。
巻き戻るまえの私と多少なりとも交流のあった……いや、正直に言おう。高慢で愚かな侯爵令嬢にも気を掛けてくれた優しい面々達がいた。
彼らはなんらかの不祥事を起こして退学になる。
あの頃は、類は友を呼ぶ――なんて陰口を叩かれて悔しい思いで一杯だった。彼らがなぜそんな不祥事を起こしたのか、考えもしなかったけれど……いまなら少しだけ予想が付く。
彼らはきっと、私と同じように嵌められたのだ。
アンジェリカか、あるいは似たような悪意ある誰かの手によって。
許せない。
その悪意ある誰かはもちろん、それに気付かなかった私自身を。
今度の人生ではそんなお粗末な結末にはさせない。
かつて第一王子は言った。
重要なのは有無を言わせぬ証拠だと。
かつてアンジェリカは言った。
貴族社会では騙される方が悪いのだと。
ずる賢い人間が勝者となる世界なら、私はそれに倣おう。
この身を悪に染め、アンジェリカの企みを打ち砕いてみせる。
そんな決意を胸に、初日の授業を終える。ホームルームで話題に上がったのは、三日後に開催される新入生の歓迎パーティーについてだった。
忌まわしい記憶。父兄が参加するそのパーティーで、私は父兄のワインに毒――トリアの涙を盛った疑惑を掛けられ、大恥を掻くことになった。
きっと、お義母様も大恥を掻いたことだろう。
ウィスタリア侯爵家の権力と、毒が少量だったこと、証拠が不十分という三つの理由でお咎めはなかったけれど、私はその事件を切っ掛けに肩身の狭い思いをするところだった。
するところだったというのは、アンジェリカの取りなしがあったから。
公爵家の彼女が「これはきっとなにかの間違いです。彼女はそのようなことをする方ではありません。わたくしは、そう信じておりますわ」と庇ったからだ。
その結果、私はかろうじて体裁を保つことが出来た。
その代わり、アンジェリカは株を上げ、私自身も彼女を慕うようになる。
本当は、彼女自身が仕掛けた罠だったにもかかわらず、だ!
思い出すだけでもはらわたが煮えくり返る。
でも、騙される方が悪い。
アンジェリカの言う通りだ。
だから、今度は私がアンジェリカを騙す番だ。
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