第6話

「大丈夫よ、事実が明るみに出なければ。家族はもちろん、貴方が罰を受けることもないわ」

「……エリス、お嬢様?」


 絶望の淵にいた彼女は、私の甘い囁きに希望の光を見たような顔をする。私にはそれが、悪女に助けを求めてきた、哀れな獲物のようにしか見えなかった。

 私はさきほど用意した書類を彼女に手渡す。


「供述書よ。それにサインすれば、貴方を助けてあげる」

「供述書、ですか? 私ことカミラ・フランは、エリス・ウィスタリアが飲む薬を毒にすり替えたことを認める――って、このようなのにサインしたら私は終わりじゃないですか!」


 怒りを滲ませる彼女はまだ自分の立場が分かっていないのだろう。でも、それも無理はない。私も、自分が破滅する直前まで、自分の身になにが起こっているか理解できなかった。

 だから――と、私は彼女を優しく諭してあげた。


「そんなものなくても、貴方は破滅する運命にあるのよ。それに、その供述書にサインすれば、貴方は破滅を免れるわよ。だって、私はその供述書を脅迫材料に使うつもりだもの」

「わ、私を脅迫するのが目的ですか?」

「そうね。といっても、私は貴女の雇い主みたいに酷い女じゃないわよ?」


 カミラは貴方の雇い主という言葉にびくりと身を震わせ、酷い女という言葉にはとくに反応を示さなかった。この時点で、彼女を操っているのは女性の誰かだと当たりを付ける。


「私が望むのは、レディースメイドとして相応の働きをすること。そして……二重スパイをすること。その二つをこなしてくれる限り、貴方の所業が明るみに出ることはないわ」

「二重スパイ、ですか……?」

「引き続き雇い主の味方の振りをして、私に情報を流すの。難しいことじゃないでしょ?」

「無理です! バレたら殺されてしまいます!」

「そうね、いまバレて殺されそうになっているものね?」


 現実を突き付ければ、彼女は身を震わせた。

 だが、それでも、彼女は即答しない。ここで従うしか生き残る道はないということは分かっているはずなのだけど……おかしいわね。

 なにか、見落としている点は……と、そっか。


「二つ、貴方に言い忘れていたわ。一つ目は、雇い主からの報酬はいままで通り受け取りなさい。そしてそれとは別に、私からも報酬を出してあげる」

「……え、それは、どういう?」

「お金に困っているのでしょう?」

「ど、どうして、そのことを……っ」


 カミラの部屋からは金目の物が消えていた。そこから導き出した憶測だ。でも、私はそうやって立てた憶測だとは告げず、さもすべて知っているかのように振る舞う。

 カミラは少し怯えた顔をして、それからぎゅっと目を瞑った。

 再び目を開けたとき、彼女の瞳には諦めの色が滲んでいた。


「エリスお嬢様の仰るとおりです。お母様が重い病気に罹り、その治療に莫大なお金が……」


 私はもちろん知っていたわよ――という顔をするけれど、もちろん知るはずがない。というか、そういう事情なら相談しなさいよ、力になってあげたのに!

 と、喉元まで込み上げた思いは嚥下した。


 私に必要なのは裏切らないコマだ。

 冷酷な決断を下すためにも、下手な情は必要ない。


「貴女が二重スパイになると頷けば、その辺りの世話はしてあげましょう。それと、もう一つ。私に味方したとしても、少なくともしばらくは、その裏切りがバレることはないわよ」

「……え、どういう、意味ですか?」

「なんのために、私が小芝居をしてまで、貴女の無実を訴えたと思っているのよ」

「えっと、私を脅迫するには、私が無実だと周囲には思わせる必要があるから、ですよね?」

「それも理由の一つよ。でもそれだけなら、あんな小芝居をする必要はなかったの。あれは、私が貴女を無実だと信じている――と、貴女の雇い主に思わせたかったからよ」


 こんなにもだいそれたことをする相手が、スパイを一人しか送り込んでいないとは思えない。少なくとも、あの場所にもう一人くらいはスパイがいる前提で動くべきだと思った。


 だから、私はあんな小芝居でカミラを庇ったのだ。今回の計画は失敗したけれど、カミラにはまだ使い道があると、カミラの雇い主に思わせるために。


「雇い主にはこう言いなさい。エリスお嬢様は私のことを疑っていません。ただ、周囲の監視の目は強くなったので、しばらくは自由に動けそうにありません、とね」


 そうすれば、カミラは相手に疑われることなく二重スパイを始められる。


「……その上で聞くわよ。二重スパイになるつもりはあるかしら?」

「わ、私が破滅しないという保証はあるのですか?」

「ないわ。ただ一つ、私は、使える駒をわざわざ潰す趣味はないわ」


 破滅したくなければ、精々役に立って見せなさいと笑う。


「……分かりました。二重スパイの件、お受けいたします」

「そう、手間が省けてよかったわ。もし貴女が断っていたら、貴女の家族に相談しなければいけないところだったものね」


 私の脅しに、カミラは再び身を震わせる。


「エ、エリスお嬢様は、一体、何者なのですか……?」

「……私? 私はただの、無知で愚かな小娘よ」


 素直な気持ちを口にすれば、絶対あり得ませんという顔をされた。

 主にそんな態度を取るなんて、自分の置かれている立場が分かっているのかと心配になるけれど、周囲の目を気にするのならいまのままがいいだろう。

 私は供述書にサインを――と、彼女に促す。


 カミラはほどなく、供述書にサインをした。

 これが有る限り、彼女は私に逆らうことが出来ない。


「さて、それじゃ本題に入りましょう。貴女の雇い主は――誰?」


 カミラはゴクリと喉を鳴らし、それから諦めたように口にした。


「雇い主は……アルトゥール公爵家の奥様です」

「……あはっ」


 私は歓喜のあまりに笑ってしまった。

 だって、こんな幸運に恵まれるなんて思わなかったから。


「……エリス、お嬢様?」

「あぁ、ごめんなさい。ちょっと、降って下りた幸運を噛みしめていただけ。いいわ、最高よ。貴女がアルトゥール公爵家と繋がったこと、心から褒めてあげる」


 だって、アルトゥール公爵家は、私を陥れたアンジェリカの家名だから。

 

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